第27話 貫禄ハンドパワー
【これまでのあらすじ】
ぷよぷよクエスト!!に没頭するあまり、ついにバトル・リーグで最上位のランクに上り詰めた碧だったが……。
休職が決まり、2018年10月第3週の木曜日を最終出勤日とすることで話が(一応)まとまった。中途半端に木曜日なのは、金曜日が診療日だったからである。
ぐっちゃぐちゃになっている実験台を片付け、課長の嫌がらせにも思える妨害をかわしながら、同僚に着々と業務内容を引き継ぐ。
同僚の一人から、仕事の合間に、
「T病院行ってるんですよね?」
と尋ねられた。
「いや、休職されるんだったら、県外の大きい病院とかにも行けるんじゃないかなって……。なんか、なかなか治らなくて大変だって聞いたんで」
「そうですね……先生方も前例無くて困ってるみたいな感じなんですけど」
「俺も夏頃に一回病気したじゃないですか」
彼は病に倒れまくったうちの部署の平社員6人のうち、一番初めに倒れた人だった。猛暑続きの7月、業務中に動けなくなるほどの背中の痛みを訴え、病院に運ばれたのである。
「あの時は大変でしたね」
「俺、あれ以来、ちょっとしたことでも不安になるんですよね。医者になんともないって言われても、本当かよって思っちゃったりとか……やっぱ都会の医者の方が優秀なんじゃないかとか……ここ田舎だし……」
医者のレベル云々というのはともかく、ちょっとしたことでも不安になる気持ちは、わかる気がした。「耐えがたい激しい痛み」って、一度経験すると本当にトラウマになる。いつまたあの痛みが来るのかと思うと平静でいられなくなるのだ。少しでも不調があると、何かの前触れじゃないかと思って落ちつかなくなる。
「セカンドオピニオン」というのは、どうなんだろう。確かに、時間がいっぱいできたから、遠出もできるなあ、という気はする。が、他の病院に行っても何か新しい展開があるような気もしない。はっきりしないという不安はあるが、今はステロイドを飲みながら様子を見ていく以外の何かはないような気が、素人ながら、した。
結局、火曜日、水曜日は、一日中胸の痛みが続き、午後になるとひどくなってきて、職場の救急箱に入っていた体温計で体温を測ってみると、37℃近くなっていたので、早退した。最低限の引き継ぎさえしてしまえば、あとは私よりよっぽど優秀な同僚がなんとかしてくれる、それまで耐え抜くんだ、とにかくやりかけの実験だけをなんとか……。
と思いながら迎えた木曜日の朝、もう、あまりの痛みに限界が来た。病院の予約は明日なのに。でももう我慢できない。
電話をして、「今日最終出勤日の予定だったんですが、痛みがひどくて今から病院に行くので、今日を休暇にして、明日最終出勤日にさせてください」と告げた。
皮膚科に予約外診療で受付し、ほどなくして名前を呼ばれる。
「すみません先生、明日が予約だったんですが我慢できないぐらい痛んできて……」
腫れているのは先週の金曜日と同じ二カ所だ。触診をして、先生は言った。
「うーん、ちなみに、金曜日針刺して膿を出した後、痛みは治まった?」
「完全にってわけじゃなかったですけど、少し楽になった……ような……気がします」
「うーん……じゃあ、この二カ所もメスで切って、しっかり膿、出してみますか」
「はい……」
というわけで、今回は局所麻酔をしてメスを入れるので、処置室に通された。今までは処置室で処置をするときは、診察室にいるのとは別の若い看護師さんがアシストしていたが、今回は診察室のベテラン看護師さんが担当した。おっかさん感のある、安心感を与えるタイプの笑顔をふりまく感じの人だ。
「胸だから上着脱いでもらわんなんねー。寒いけど堪忍ねー。タオルかぶせとくちゃ」
「あざっす」
写真を撮られ、すぐに麻酔が打たれた。今回は病理検査はしないからか、あの青いシートみたいなのはかぶせられず、おっぱいの様子が自分でもよく見えた。
おっぱいにメスが入る。メスって切れ味が良いからか、実際どれぐらい深く切っているのかとか、素人が見てもよくわからない。しばらくしたら、どばぁっと、褐色みのあるクリーム色のヘドロがあふれ出してきた。
先生がおっぱいを掴んで絞り出した。最初に膿が出て来て今はかさぶたになっていた穴も炸裂して、合計3カ所から膿があふれ出した。それをガーゼで拭い、捨てる、ガーゼ、拭う、捨てる、の繰り返し。
金曜日に針を刺して絞り出したときは、そんなに痛いと思わなかったのだが(乳首に近い方はちょっと痛かったが)、今回はかなりの痛みが走った。メスで傷口が大きいからなのか、金曜日よりもさらに膿が多いからなのかはよくわからない。思わず歯を食いしばりながら顔をこわばらせたら、看護師さんが、ぽんぽん、と私の肩を軽く叩いた。なだめるみたいに。痛いよねー、わかるよ、頑張れ、みたいな感じだった。声には出さないけど。
ボディッタッチが幸せホルモンを出して痛みを和らげる、なんて話を、最近どこかで聞いた気がするけど、この、ぽんぽん、は、私にとっては確かにありがたかった。別に痛みが減ったわけじゃないのだが、なんというのか、気遣われているというのか、見守られている感があるというのか、ちょっとだけ安心できる気分になったのだ。しかし、このぽんぽん、この、貫禄のあるキャラな看護師さんじゃないと、できないよなあ。若い人とか男性看護師だったら、こうはいかない気がする。キャラクターとかが人を救うこともあるんだなあ、なんてちょっと思った。
ぎゅうぎゅうおっぱいを絞りまくりながら、先生は「んー、これ、明日ももう一回来てもらわないといかんな」と呟いた。ゴミ箱がガーゼで溢れていく。
膿の勢いが収まって来た辺りで、この日の処置は終了となった。
若干の放心状態で解放された。もう一度看護師さんに肩をぽんぽんされた。
混雑したロビーで会計を待ちながら、今後のことを考える。明日出勤のつもりだったけど、明日も処置に来いと言われたし、しかしこのぐったりした疲労感で今から会社に行く気も起きない。
このまま、休職してしまおうか。
月曜日、部長には「引き継ぎなんてしなくていい、そのまま休みに入れ」とまで言われていたぐらいだし、だいたい大まかなことはすべて前日までに後任の同僚に引き継いでるので、このままフェードアウトしても大丈夫そうだった。
このまま、休職願届けの提出と挨拶をしに顔だけ出して、そのまま休みに入ろう。
タイミング悪く、このまま会社に向かうとちょうどお昼休みにさしかかりそうだった。麻酔をされたにもかかわらず、傷口がずっとじんじんしていて、このまましばらくして麻酔が完全に切れたらものすごく痛みそうだな、という気がした。
「明日も処置しなきゃいけなくなったので、このままお休みに入らせていただきたく、昼一番にご挨拶代わりの顔だけ出します」
電話をしたら部長も課長もいなかったので、隣の課の長に伝言をお願いした。
お昼ご飯を近場の店で食べ、昼一番に会社に駆け込む。が、まさかの、部長も課長も会議やらなんやらで席を外していた。というわけで、退職届を課長のデスクの上に置き、同僚たちに挨拶をして、これが最後の出社となった。
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