第17話 巡礼の年
ステロイド(プレドニゾロン錠)服用開始1日目。
大量の寝汗と共に起床。足の痛みがあっという間に引いていた。胸はまだ痛い。ロキソニンを服用し、1日家で安静にしている。
ふと、昼頃に胸元を見てみると、8月にY医院で針生検をした傷痕が、ぶよぶよになっていた。皮膚がふやけて膨れており、その下に液状のものが溢れそうになっているのである。これは、権威先生の予言していた「そのうち膿が出てくるかもね」というやつか。膿が出て来たら少しは痛みが和らぐかなあ、でもこれ破れるときは破れるときで痛そうだなあとドキドキしながら過ごしていたが、ぶよぶよ部分の破れはあまり劇的な痛みなどは伴わず、気付いたら極めて小さな穴が空いてじわりじわりと膿が染み出ていた。
最初は皮膚を突き破ってきたからか、血が混ざったような色をしていたが、しばらくするとまさに膿、といった感じの、黄土色とベージュの中間色ぐらいの色味に変わる。膝の生検のときに薬局で買ったガーゼを傷口に貼り、その日はシャワーを浴びるのを避けておいたが、いつまでも風呂に入らないわけにはいかないので、絆創膏の上に貼る防水フィルムを買ってきて、翌日以降はそれを装着してシャワーを浴びた。
胸の痛みは完全に引き切ってはいなかったが、足の痛みは、2日も経過すると嘘のようになくなっていた。これが本当に嬉しく、無駄にテンションが上がってしまった。
自宅に持ち帰っていた業務用PCで、部長及び課長にメールする。
「結節性紅斑の診断がつき、ステロイドの処方で生活の出来るレベルに回復しましたので、通常の業務にすぐ復帰いたします。連休明けの火曜日は診察の予約があるため、水曜日から出社させてください。また乳腺の件は、悪性疾患でなかったことから手術などの長期休暇が必要になる処置はないとのことです。通院のため今後もお休みをいただくことになりご迷惑おかけしますがよろしくお願いします」
火曜日の診療予約は、外科でもなく皮膚科でもなく、初めての内科(内分泌科)だった。
今回の病気の背景に何科別の基礎疾患がないか探るための、診療科巡礼の旅である。
外科、皮膚科に比べ、内科の混み具合は尋常ではなかった。待合室に座る場所がない。立って待っている人がいる。例の、初診の人向けアンケートを渡されたが落ち着いて書く場所がなくて無駄にうろうろして疲弊してしまう。ロビーのソファーまで行って「治る見込みのない病気でも真実を知りたいですか」に○をつけて内科受付に戻ってくると、おじいちゃんが事務員さんと揉めていた。
「俺は薬が欲しいだけなんじゃ!」
「ですから、予約外診療の受付を窓口でしてきていただいて」
「俺はいつもの薬が欲しいだけなんじゃ!」
「ですから、あちらの方の受付でその旨お話して受付していただいてですね」
「俺は歩くのもしんどいんや! 薬が欲しいだけなのに!」
文句を言いながら、最終的にはおじいちゃんは予約外診療の窓口へ歩いて行った。みんなピリピリしている。患者さんは病気で不安だったりしんどかったりするんだろうし、大きな病院だとシステム上融通が利かないこともある、毎日イライラをぶつけられる窓口の職員さんたちのストレスも計り知れないものがあるだろう。こういうのもAIとかが発達したら解消されていくんだろうか。
中待合室に通されたがこっちも大混雑で、座れるソファーがない。立って待っている人がいっぱいいる。病院なのに……病人なのに……立って待たなきゃいけないの……。ステロイド服用で足が治っていて本当に良かった、これで足の痛みがあったらこの待ち時間は本当につらい。
陰気な空間での待ち時間が1時間ほどあって、名前を呼ばれて診察室に入った。
「権威先生からの依頼で、糖尿病性乳腺症の疑いということなんですが……」
「うん? はい……」
そういう依頼だったのか?
「外科で一度血液検査してますよね。結果を見ても糖尿病の疑いはありませんし、糖尿病乳腺症って、そもそも治療の時のインスリンで起こるものなんですよね。ですから、うちで特にすることはありません」
「えっ」
なんだそれ、この1時間の待ち時間は一体何のために……
「ステロイドは今20mg/dayで処方されていますね……長期間服用すると血糖値が上がることがあるので、そのときはうちで診察することになるかもしれません。それでは、来週末に膠原病科の予約を入れておきますので。お疲れさまでした」
診察時間5分未満である。というか、めんどくさい患者押しつけんなよ、という外科と内科の対立的なものを見た気がする……。まあ、今後の治療で再び世話になる可能性もなくもないから面通しした、と思うことにしておこう。
膿はひたすら出続けていた。ガーゼを張り替えつつ、丸一週間ぶりに出勤した。
朝一番に、部長、課長と面談する。メールでも伝えたのと同じ事情を話した。
「結節性紅斑ってやつ、碧さんからメールもらって僕も検索してみたけど、なんか難しい病気らしいね。治ったり治らなかったりするって」
と、部長。課長が隣で「えー、検索とかしたんですか」とか言ってる。
「先生からは、ステロイド飲めばすぐ治るでしょうってことで、安静にする必要とかもないってことです。実際、ここ4日で足の痛みは完全になくなったので、普通に仕事出来そうだと思ってます。ただ、この7日ぐらいずっと寝たきりだったので、体力が心配ですが……」
「うん、それはまあ、自分のペースでね」
デスクに来ると、なんか、書類が山積みになっている。別に7日間私のデスクの上で寝かせる必要なんかなかっただろう、という雑務がため込まれていた。
ちょっとこの仕事復帰後の職場のあれこれを綴ると面白くない社畜の愚痴にしかならないので割愛。色々悔しくてトイレで泣いて、なんかのタイミングで異動願い出そうと決意した。
水曜日、木曜日と出勤して、金曜日は有給を取って皮膚科の受診となった。
膿はだいぶ止まっていた。
結節性紅斑はほとんどすっかり症状が消えたことを確認される。
「痛みもないですか?」
「はい、ほとんど」
「外科から出されてる痛み止めは飲んでる状態?」
「あ、一応、仕事中に痛くなったら嫌だな、と思って1日3回飲んでるんですけど……この三連休、飲まないで試してみます」
「んー、そうですね、プレドニゾロン飲んでるので、痛みも治まってるんじゃないかと思います。胸の方はどうですか?」
「胸も痛みは落ち着いてます。ただ、膿が出て来ました」
「ほう……」
おっぱいを見せると、先生が触診した。
「皮膚の下に結構膿が溜まってる感じがしますね」
「膿が出てくるのって、良いことなんでしょうか? 悪いことなんでしょうか?」
「うーん……わからない」
先生が苦笑する。わからないとはっきり言われる方が安心できる気がしないでもなかった。
ステロイドはできるだけ早く減量したい、とのことで、処方量が20mg→15mgに変更され、この日の診察は終わった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます