第12話 SMAPふたたび
朝起きたら、膝が痛くて立てなくなっていた。
何がなんだかわからずしばらく呆然としていたが、すぐに思い至った。
そうか、夜に飲んだロキソニンの薬効が、寝ている間に切れてしまったんだ。
激痛が走ったのは右膝だった。体重をかけなければ痛みはほとんど感じなかった(そのため、目が覚めてしばらくベッドの上でごろごろしているときは異変に気付かなかったのだ)。寝室の床で両足を投げ出し、寝間着のズボンをまくり上げる。
右膝は昨日と同じくらいか、それより広範囲が赤く腫れ上がっている。左膝裏の小豆様のできものも変わりない。加えて、右の足首全体がうっすら赤くなっているのと、脛にも一カ所、小さな痣のようなものができていた。痣と言っても、気をつけてみていないと見過ごしそうな、小さくうっすらとした物で、気付かないうちに蚊に刺されて治りかけてたのかな、というような感じの見た目をしている。
これは一昨日読んだ症例報告の「結節性紅斑」というやつではないだろうか。
とにかく、ロキソニンを飲まないと、このままでは動けそうにない。
薬はリビングに置いてある。狭い家で良かった。これが3階建ての豪邸とかだったら家の中で死亡フラグ成立である。そばにあったベッドやら椅子やら本棚やらに手をつきながら、なんとか立ち上がる。
右足は一瞬でも力を入れるとものすごい激痛だった。
「う”う”お”お”お”お”」
「ちょっとちょっとちょっと、さっきから何を騒いでんの」
うめき声を聞きつけた母がリビングからやって来た。
「ひ、膝が、痛くて、歩けない……病院に行かなきゃ……」
「ええー! そんなに悪化したの? おばあちゃんが使ってた杖出そうか?」
今は施設に入っている母方の祖母(伯父の家に住んでいたので私たちとはもともと同居していない)が使っていた杖が、何故かうちにあった。足が三つ叉になっている形状のやつである。
「うっうっ 使い方がわからない……」
狭い家なので呻きながら杖の使い方を試行錯誤しているうちにすぐリビングにたどり着いた。母がコップに水を入れてくれたので、椅子に座ってロキソニンを飲む。会社に休暇の連絡をしなければいけない時間までは余裕があった。じっとして、ロキソニンが効いてくるのを待つ。
パラサイトシングルで良かった、とこのときほど思ったことはない。一人暮らしだったら、リビングに移動して薬を飲むところまではなんとか這ってでも実行できるかもしれないが、病院に行くのは無理がありそうだ。
30分ほどすると痛みが和らいできたような気がした。杖を使って、少しでも右足に体重がかからないようにしながら、寝室へ戻る。
足が一本使えない状態で杖を使うのは初めてだった。杖を持った手に全体重を乗せて移動するのは結構しんどい。
部屋にたどり着き、鞄から携帯電話を取り出し、ベッドに横になる。会社に電話するまではまだ時間がある。Kindle Fire HDでブラウザを立ち上げ、念のため、結節性紅斑を検索してみる。
・何らかの感染によって、皮下組織が炎症を起こす病気
・受診する科は皮膚科になる
・一般的に脛に痣が出るが、悪化してくると膝や足首、手にも広がることがある
この病気もやはりマイナーらしく、メジャーな病気について検索するとトップをだいたい埋め尽くしてしまうような、きな臭いアフィ系まとめサイトが面白いぐらい出てこない。
実際に罹患した人の話も見たいと思い、ブログ的なものはないかと検索したら、同じく歩行困難になるぐらいの激痛に見舞われたという人を発見した。
寿司マーブルさん「原因不明の結節性紅斑になった話」
http://sushipolar.hatenablog.com/entry/2017/04/01/023645
こちらのブログの記事だが、口に何か物を含んでいるときに読むことは絶対に避けていただきたい。私はこのとき、ベッドの上で痛みと不安に震えていたにも関わらず、読み進めていくうちに思わず吹き出し、最後にはゲラゲラ笑い転げてしまった。
大体なんで痣が出来た1日目から様子おかしいなと思って写真まで撮ってんのに3日目に3km歩いて症状悪化させてるんだよ! 突っ込みが追いつかないよ!
そして病院での検査の様子についての描写にかなり力が入っている。確定診断には生検が不可欠らしいのだが、
>「麻酔なんてしたことないもんねえ。怖いよねえ。大丈夫だからねえ。」
>と声をかけてもらいつつ、ナースさんの「音楽!」の掛け声で穏やかなSMAPが流れてきました。後で聞いて理解したくらいで聞く余裕がなかったです。
またSMAPか!
会社に病院に行くため休むという連絡をし、母に付き添ってもらって病院に行った。寿司マーブルさんのおかげで、少し気が楽になっていた。私は昔から、何かとおちゃらけたい気質の人間ではあるが、病んでいる時こそできるだけユーモアを忘れたくないと、このブログに救われて、改めて思った。
後から気付いたのだが、彼女のブログの更新は、一年以上止まっているようだった。心身が元気になったからブログに飽きた、とか、そういう理由だったらいいのだが。
病院の玄関の前で杖をつきながら車から降りると、警備員の格好をしたお姉さんが近づいて来た。
「おはようございます! 車椅子も使えますが、持ってきましょうか?」
そういえば、病院の玄関にはスーパーの買い物カートみたいに折りたたみ式の車椅子が沢山置いてあった。自由に使って良いらしい。が、このときは、杖ですら上手く使えず苦労しているのに、車椅子なんて余計使い方わからなくてまどろっこしそうだ、と思って、断った。
そして、歩き出そうとして、気付いた。
「あっ?! 歩ける!!」
ロキソニンを飲んで3時間程度経過し、杖に頼らなくても歩けるようになっていた。なんだか気恥ずかしい気持ちになりながら、杖を抱えて警備員さんの前を通り過ぎた。
外科は紹介状をもらって受診したが、皮膚科は初めての受診になるので、初診の扱いになるらしい。「治療が困難でも本当の病名をしりたいですか」に丸をつけ、中待合室へ通される。名前を呼びながら出て来た看護師さんが、「お母様もどうぞ」と母を促したので、二人で診察室に入った。
「4,5日前から深夜に発熱と関節痛があって、3日ほど前から右膝が腫れてきたんです。それから、今朝から脛と足首にも痣みたいなのが……それで、痛くて歩けなくなってしまって」
「ほう……とりあえず見せてもらって良いかな」
先生は前回の外科の代診先生と同じぐらいの、中年の男性だった。
「うーん」
ちょっと考え込んだ先生に、例によって母がしゃしゃり出る。
「最初は胸だったんですよ、先生」
「……はあ?」
「あ、いや!」
その言い方唐突すぎるだろう! と思い、焦って私が説明する。
「先月から、左の乳房に炎症が起きてて、先週末に外科の権威先生のところを受診したんです。そのときに針生検したんですけど、それと関係あるのかな、と思って、2日前に外科を受診したんですけど、原因がわからなくて。とりあえずロキソニンだけもらってる状態で。で、代診先生は整形外科の領域じゃないって言われたんですけど、ちょっと自分で調べて、結節性紅斑ってやつに似てるかな、と思って、こちらの皮膚科に……」
「ふーん、ちょっと、胸の方も見せてもらって良い?」
おっぱいは相変わらずパンパンに腫れている。軽く触診すると、先生は何かを印刷した。
「足の方はね、確かに結節性紅斑に似ているとは思うんだけど、普通は脛に症状が出て、悪くなると膝や足首に出るんだよねえ。とりあえず、生検といって、皮膚を切って組織を見る検査をしたいので」
そう言うと、先生は紙に何やら赤い色鉛筆で小さい丸を書いた。
「局所麻酔をして、メスでこういう風に切り取ります」
こういう風にと言われても、ただの赤い丸である、この絵、必要なのか……
と思いながら、その謎の赤丸の下に、処置に同意するサインをする。
「それじゃあ碧さん、こちらへ」
看護師さんに誘導され、隣の「処置室」なる部屋に連れて行かれた。外科の針生検は診察室でそのまま行ったが、皮膚科の生検は別室でやるらしい。
「準備するのでちょっと待ってて下さいね」
私はひとり、ベッドの上に座らされた。部屋を見回す。ガーゼやら綿棒やら包帯やらが雑然と並べられた棚の中に、私はそれを見つけた。
「あ、あれは……!」
ポータブルCDラジカセ!
ついに私も、SMAPをBGMにメスを入れられるというのか!
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