第13話 バームクーヘンと脳科学
処置用のベッドに寝かされると同時に、さっきの診察室の先生とは別の、手術着を着たお医者さんが部屋に入ってきた。
「どれどれ見せて、うーん、腫れてるね。切るときに膿が滴るかもしれないからちょっと敷かせてもらうね」
口早に言いながら、室内犬用トイレシートのようなものを私の右膝の下に差し入れる。確かに腫れているけど、あの中に膿が溜まっているかもしれないのか、とちょっと驚いた。
「膝を切らせてもらうんだけど、伸びたり曲げたりする場所でしょ。ちょっと他の場所に比べると、ケロイド――ってわかる? 傷痕みたいな。残りやすいんだけど、そこだけ了承してね」
「はあ」
膝に多少の傷が残っても私は気にしないが、モデルさんとかだったら大変だな。そういうのを隠す医術もあるんだろうけど。
「じゃあちょっと切るところに印つけさせてもらうねー」
マッキーで新キャラ先生が膝に丸をつけたと同時に、診察医の先生が、でっかいカメラを片手に入室してきた。
「あっ、まだ写真を撮ってなかったんだけど……」
なんかドラマでモデルさんが撮影してもらってるシーンにでてきそうな、でっかいストロボのついたカメラである。
「丸つけちゃったよー」
「しょうがないわ。はい、撮らせてねー」
右の膝と脛、足首、左膝裏の小豆を手早く撮影すると、先生は退室した。そして間髪入れず、注射針を持った手術着の先生が視界に入った。
「局所麻酔しますねー。ちょっと痛いですよー」
BGMはなかった。
無音の中で、針が刺される。局所麻酔は痛いと聞いていたが、あんまり痛くなかった。先生が一旦部屋を出て、しばらくして戻ってきて、膝を触った。
「押してるの感じます?」
「いえ、何にも」
「お、効きがいいね」
麻酔が効きやすい体質と効きにくい体質というのがあるらしい。こういうとき、効きが悪くて処置の間も痛かったら大変だと思うので、運がよかった。
そして手術着の先生と診察室の先生が交代した。この手術着の先生に接したのはこの日だけだった。メスを入れる前に「今のは誰だったんですか?」と聞くタイミングを逃し、未だ何者だったのかわかっていない。最初、麻酔医なのかと思っていたが、いつも皮膚科のフロアで姿を見かけるし、では皮膚専門の麻酔医なのかと思ったら、この日以降の局所麻酔が必要な日は結局診察の先生が麻酔をするようになったので、何故初日だけ登場したのか謎なのである。
お腹の上で、天井からつるされたライトがぺかーっと光った。医療ドラマの手術室で場面が切り替わるときによくカッて光る、まさにあれである。ライトは3つあり、私の膝を照らした。
生検は診察の先生一人と看護師さん一人で実施されたと思う。皮膚組織を取り出している間は仰向けになっていて、患部はよく見えなかったし、麻酔が効いていたので何の感覚も無かった。今傷口縫ってるんだな、というときだけ、手元がちょっと見えた。無音の空間であっという間に処置は終わった。膝から膿は流れ出なかった。
その日はお風呂に入らないでくださいとか、2日目以降は傷口を優しくあらってガーゼを当てて下さいとかの説明を看護師さんから受けた後、血液検査とX線検査を受けた。
2日前に針を刺されたばかりなのに……と思いながら採血室の椅子に座ると、採血管が4本見えて、うわ、と思ってしまう。採血をしてくれた看護師さん(検査技師さん?)は、手慣れた様子で穴が一個空いている隣の血管に針を刺し、スムーズに4本分の血液を採った。私の血管ははっきり浮き出て針が刺しやすいので、そういう面でもラッキーだったと思う。腕の血管から血を採りにくくて、手の甲から針を刺されるような人だと、こんな高頻度で採血があったら苦痛だろう。
血液検査とX線は、今後、ステロイドを処方しても問題ないか、結核や肝炎にかかっていないかを調べるのと、結節性紅斑の原因と疑われる抗体などを調べたらしい。結節性紅斑かどうかは、生検の結果を待たねばならず、それは乳腺の場合と同じでやはり一週間かかるということだった。
「でも一週間何もしないというのもあれなんで……ためしに、抗生物質を数日飲んでみましょうか。次の火曜日にMRIで来院することになってますよね。それまでの分を処方しておきます」
処方されたのは初めて飲む薬で、ちょっと大きなサイズの錠剤だった。
朝の持病の薬、朝夜のメンタルクリニックの薬、そして朝昼夕食後の痛み止めのロキソニンと抗生物質を飲む生活が始まった。
とにかく、この時点で一番困っていたのは、朝目が覚めると、ロキソニンの薬効が切れていて、膝が痛くて歩けなくなっていることである。痛み止めが効いてくれば歩けるようにはなるので、寝る前に、枕元にペットボトルのお茶と、ロキソニン(+一緒に飲むように処方されている胃薬)を用意した。朝、目が覚めて、ベッドの上でそのまま痛み止めを服用し、効いてきてから起き上がる、という方法をとることにしたのだ。空腹の状態でロキソニンを飲むと胃が荒れるかもしれないので、軽く何か食べるものも用意しておくことにした。台所を漁ると、ちょうど、母が買い置きしていた、コープ印のカットバームクーヘンがあったので、それを寝室に持ち込んだ。ベッドの上で食べ物を食べるのには抵抗があったが、致し方ない。
朝目が覚める。この時点で既に胸が痛い。足は痛くない。
流石に目が覚めてすぐにものを口に含む気も本当は起きないのだが、他に何もしようがないので、お茶を口に含む。乾きをいやしたところで、バームクーヘンを食べる。だいたい3口ぐらいで食べ終われる大きさだ。しっとりしていて食べやすい食感でよかった。それからロキソニンとレバミピド(胃薬)を飲んで、そのままベッドの上で、薬が効いてくるのを待った。
ぼーっとしながら、Kindleでtwitterを眺めたりして時間を過ごす。
最近はあまり見ていないのだが、フジテレビで放送されている「ほんまでっかTV」というバラエティ番組があって、そこにレギュラー出演している澤口某という、脳科学者という人が、以前、「朝起きてすぐに身体を動かさず、頭を使うことをしてしまうと、うつ病になりやすい」とか言っていたような気がする。身体を動かすというのは、歯を磨くとかコーヒーを淹れるとか、そういうレベルのことでよくて、目が覚めてすぐにそういったことも一切せず、布団の中でごろごろしながら本を読んだりスマホを触ったりするのがよくない、とのことだった。
その学説とやらが正しいのかはさておき、まあ、今の自分は若干病んでるなあ。だって、朝目が覚めたら痛みで立てなくて、ベッドの上でバームクーヘン食べて薬飲んで、何もすることがなくてぼーっと考え事をして、考え事してると、状況が状況だけに、ついよくないことを考えちゃうから、まあ、そりゃあ、病むよなあ。
なんて思いながら、胸の痛みが少し癒えてきたな、というタイミングで立ち上がる。薬さえ効いていれば、とりあえずまともに動いて1日過ごせそうだった。とは言え、この土日はできるだけ安静にしていようと、ずっと大人しくしていた。
胸の痛みに変化はなかったが、足は、抗生物質の効果があったのか、なんだか痛みがちょっと弱まっているような気がした。
あと、この3日は、お腹を下し気味だったのと、胃の中からなにか不快な臭いがせり上がってくる感じがあるのが気になった。処方されている薬について、「ロキソニンは胃に対する刺激が強い」旨の説明を毎回されるため、てっきり、ロキソニンを飲んでいるせいなのかと思っていたが、後から、このときだけ飲んでいた抗生物質の副作用であったことがわかった。
土曜日が過ぎ、日曜日が過ぎ、月曜日がやってきて、この2日と同じように朝起きて、薬が効いてから出社の準備をし、職場にやってきた。
「課長、先週は突然お休みいただいてすみませんでした。抗生物質を処方してもらって足の痛みも引いたので、しばらくはまた普通に就労できそうです」
「抗生物質?!」
何故か驚かれたが、治ったんならよかったね、ぐらいのことを言われ、その日は1日普通に就労した。
翌日は午後にMRIと、皮膚科の診察が予約されていたため、午前中に仕事をして、午後から半日有給で病院に行く予定でいた。
だが結局、翌日は朝から出社できず、1日会社を休んだ。
なんでだったか思い出せず、また足が痛んだのかな、と思いながら、twilogをチェックしてみたところ、その日の早朝、
「発熱!下痢!ツイッター!」
と呟いていたため、どうも発熱があったらしいことが推察された。
というか、発熱!下痢!ツイッター!ってなんだよ、自分。
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