第14話 私のお腹の中の消しゴム

 病院の予約は午後からだったので、午前中は横になって過ごした。MRIは造影剤を使うことになっているので、お昼ご飯は食べてはいけないらしい。痛みでそれどころじゃないと思っていたが、お昼を過ぎてしばらくするとお腹が空き始めた。我ながらすさまじい生命力である。

 MRI検査の前に皮膚科の診察を受けた。

「抗生剤を飲んでみてどうですか」

「足の痛み、少し和らいだような気がします!」

 本当にそう思っていたのだが、グワバッとスカートをまくり上げ膝を見せると、先生は首を振った。

「いや、これは治ったとは言わないので……抗生剤は効かなかったみたいですね。別の薬を出します」

 と言って、処方箋を印刷して渡された。「ヨウ化カリウム丸」と書いてあった。

「これは……何か、炎症を鎮めるとか、そういう薬なんですか?」

「うーん、説明が難しいんだけど……作用機序がはっきりしていないけど、結節性紅斑のときにこれを服用すると、治るケースがあるんだよね」

「ほほー」

 結節性紅斑自体もよくわかっていないところのある病気なので、そういうこともあるのだろう。なんにせよ、ものは試しと言うことだ。


 MRIの検査室の前にやってきた。

 MRIは強力な磁気を使う検査なので、金属のあるものを身につけないで下さい、みたいな説明書きを渡され、廊下で待たされる。私の他に待っている人はいなかった。

 例によって、検査するなら炎症止め作用のあるものを飲まない方がいいのでは、とこの日はロキソニンを我慢していたので、胸がめちゃくちゃ痛かった。待たされるだろうと、待ち時間に読む文庫本を鞄に入れていたが、あまり集中して目で文字を追える気分ではなく、一文字も読めなかった。

 廊下に、テレビが設置してあって、フジテレビの「グッディ」という昼のバラエティ番組が放送されていた。こういうところってNHKしか流さないわけじゃないのか……と思いながら目をやると、三田佳子の息子が覚醒剤で逮捕されたニュースをやっていた。

 三田佳子、私の世代にとってはもはや女優と言うより「息子が覚醒剤でよく捕まってるなんかよくわかんない人」という感じの存在である。アナウンサーぽい女の人が、三田佳子のことを厳しく批判していて、なんだか、名状しがたい違和感があった。

 著名人の息子が覚醒剤を「売ってた」んなら、社会から手厳しく批判されても仕方ないけど、若いうちに薬物依存になってしまったんだったら、なかなか厚生しようとしても難しいことだと聞くし、ちょっと気の毒な面もあるんじゃないかと思ってしまう。田代まさしだったかも、頑張って社会復帰しようとしているのに、握手会でそっと薬物を渡してきた人がいた、とか告白してるのをTVで見たことがあって、大変だなあと胸が痛くなった。自分も精神科系の依存性の高い薬を服用していて、いずれ減薬・断薬のときに多少の苦労をするのがわかっているし、今も「はあはあ……はやく……はやくクスリを……ロキソニン飲みたいよぉ……」という病的な気分なので、なんだか、他人事みたいに薬物依存の人をただ貶したり、ましてそれを家族関係のあり方の問題だ! と罵るだけ罵るのって、なんだか、違うんじゃないかなあ、とか思っていた。

 ところでこの三田佳子の下りを書くに向けて、前に逮捕されたとき記者会見で「もう一度お腹の中に入れて産み直したい」とか言ってた気がしたからそれに絡めて今回のサブタイトルをつけたつもりだったが、今その台詞をググってみたら全然ヒットしなかった。私の記憶違いだったのだろうか。


 そんなこんなでようやく名前を呼ばれた。

 女性の看護師さんが更衣室に案内して、上下とも病院着に着替えるように指示される。金属をつけちゃいけないともう一度説明された。

 着替えて処置室に連れられる。造影剤を入れるため、人生で初めての点滴となった。肘の横らへんの静脈に針が刺され、すっと抜かれた。ビニールのような針に置き変わった。金属はNGだからね。なるほど、おもしろい仕組みだ。

 ぽた、ぽた、と、透明な液が、管の中で落ち始める。看護師さんが速度を調節した。

「気分が悪くなったらすぐに言って下さいね」

 造影剤については、権威先生の最初の診察の後に一度、外来の看護師さんから説明を受けていて、そのときに「稀に呼吸障害が出ることなどが……」という紙を渡されていたので、ちょっとびびっていた。今まで薬剤アレルギーなどは起こしたことがないし、確率的にも滅多にないとのことだが、やはり文字で見るとドキドキする。

 MRI室の前の椅子に座らされた。検査室からは「ビビビ!」「ガガガ!」という激しい音が聞こえてくる。一人取り残され、暇を持て余し、ぽたぽたと落ちる透明の液滴を眺めていた。太いビニールの針が腕に刺さり、何かの液体が身体の中に入っていると思うと、気分が悪い気がした。いや、これは造影剤アレルギーではない

、気のせい気のせい……早く順番来ないかなー、暇だな。検査室の前にはTVもないし、私物は全部更衣室に置いてきたから本も読めない。気を紛らわす物が何もなく、なんだか気持ち悪い気がする、という気持ちにばかり、気持ちがいった。そんなお気持ちと戦っていると、通りがかった看護師さんが、

「あ、液少なくなってるね、変えましょう」

 と言って、新しいパックを持ってきた。

 え、そんな適当に追加したりするもんなの? と思いながら、看護師さんが手早く変えたパックに印刷された文字をよく見ると、

「生理食塩水」

 とはっきり書いてあった。

 私の身体に入っていたのは生理食塩水だったのだ。薬剤アレルギーなど起こすわけがない。気分が悪いのは完全に気のせいである。


 前の検査の人が終わり、MRI室に案内された。MRIの機械自体は、学生時代に病院見学をしたときに見たことがある。ただし、そのときは脳とか腹部とかの検査をする人が主だった。仰向けに寝ていたのである。

 乳房MRIはうつ伏せになって検査をする。患者は、検査台に空いた二つの穴部分におっぱいを入れ、うつ伏せになるのだ。時代劇のなんかヤのつく人っぽく、ぐわっと手術着の前部分をはだけさせ、おっぱいをはめ込む。看護師さんが寒くないように上からタオルかなんかを掛けてくれた。

「これから30分ぐらい、できるだけ動かないようにしてほしいので、この時点でちょっと体勢に辛いところがあったら遠慮無く言って下さいね」

 ちょっともぞもぞしてOKを出すと、ヘッドフォンをつけられ、機械が動き出した。ヘッドフォンからは、癒やし系のオルゴール・ミュージックが流れていたが、すぐにすさまじい「ピーピーピーピーピ!」「うおんうおんうおん」「ガガガガガ」という音にかき消される。

 「動かないでじっとしている」というのは、思っていたほど苦痛ではなかったが、これはうつ伏せになっていたからかもしれない、と思う。おっぱいはめこまれてるし、うつ伏せの方がなんだかじっとしていやすい気がするのだ。

 最初は造影剤なしでの撮影が行われ、一旦検査が中断され、看護師さんたちがやってきて、点滴のパックを造影剤に交換した。

「造影剤、ちょっと流してみますね。針先が痛くなったりしてませんか?」

「大丈夫です……」

 今この瞬間まで造影剤は一滴も流されていなかったのに、なんだか気分が悪かったような気がしていた私、いつか「これは猛毒です」って言われて渡された砂糖の塊とか飲んで普通に死にそうである。

 造影剤が全部入ると、一瞬なんだか喉の辺りに違和感があった気がしたが、すぐになくなり、再び騒音にまみれ、MRI検査は終了した。

 点滴の管を抜いてから、看護師さんが再び、造影剤アレルギーについて説明する。

「もしもなにか異常があったら、この番号に電話して下さい。夜間でもかまわないので、今日、MRIで造影剤を使ったことを説明してくださいね」

 そこに列挙された「稀に起こる症状:これらがあった場合はすぐに連絡下さい」のところに「発熱」とあったが、この日はずっと熱があったため、造影剤の影響ではないだろうと思い、放っておいた。

 新しく処方された「ヨウ化カリウム丸」に、これまで通りの痛み止めを飲み、この日は就寝した。

 ヨウ化カリウム丸は、とても臭かった。化学系の学校を出たり、仕事に就いている人などなら嗅いだことがあると思うのだが、ヨウ素は臭い。あのままの臭いである。そしてそれを飲むので、胃からそれがせり上がってくる。非常にきつかった。

 そして、結論から言うと、ヨウ化カリウム丸は私の結節性紅斑に、全く効かなかった。くそう、臭い思いだけさせておいて!

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