怨歌の妖刀使い
「あれ?」
やっと人の波を抜け視界が開けた瞬間、朝霧陽音は呆然としてしまった。
何もない。
いや、破壊し尽くされて何もかもがなくなってしまった──という意味ではい。
あまりにも、いつもと変わらなさ過ぎて拍子抜けしてしまったのだ。
魔族や草薙桜夜はもちろん、WAPスタッフの姿もなく、それどころか戦闘が行われた形跡すらない。
本当に戦闘ライブをやっていたのかと疑いたくなる。
もしかして別の場所──いや、そんなはずはない。
3階の窓から見たときは、確かにみんな集まっていたし、人の流れを辿った先なのだから、間違いなくここで戦闘ライブをやっていたはずだ。
魔族を倒す倒さないどころの話ではなく、現場検証から何から、修復とかそういうのまで終わって、みんな撤収してしまった後だとか?
なんとも言えない複雑な気分になりながらも、もしかしたらそこら辺にまだ草薙桜夜が居るのでは? という気持ちで、さらに下駄箱に近づいたその時だった。
一瞬、背筋がゾクッとしたかと思うと、空気が変わった。
ねっとりとした重苦しさに、すぅっと意識が遠退きかけ──。
ふらっとなりながらも、近くの壁に手を突いて、なんとか踏みとどまった。
瞼に力を入れ頭を強く振って意識をはっきりさせると、二度、三度と大きく呼吸をしてから、ゆっくりと目を開ける。
ぼやけた視界がハッキリとした瞬間、呆然となってしまった。
先ほどまでの「いつもと変わらなさ過ぎて拍子抜け」した玄関は、見るも無惨に破壊されまくった玄関へと変貌を遂げていた。
玄関だけではない。
そこには居なかったはずの魔族の姿があった。
シルエットだけなら、筋肉質な大人の男性であった。
しかし、頭髪は無く、衣類は一切身に纏ってはいない。代わりに灰色の蛇のような鱗で覆われていた。
黄色く丸い眼には細い縦長の瞳孔。耳と鼻は遠目では判別しづらい。
半開きの口は顔の側面にまで達していて、細かい棘のような歯がずらりと並んでいた。
それは蛇人間とも呼べる見た目の魔族だった。
そして、その蛇人間と対峙するのは、もちろん草薙桜夜──。
彼女が身に纏う
いつもと変わらない玄関は魔法による幻影か何かで、こっちが本物だというのは容易に想像がつく。
ただ、陽音が呆然となったのは、その衝撃的な現状を目にしたから──というだけではなかった。
広範囲で崩れ落ちた壁から見える空は、どんよりとした赤黒い雲に覆われていた。
それは見覚えのある空だった。
あの日、詩月に付き合わされて街に行き、たまたま戦闘ライブに出くわした。
あまりの人の多さに詩月とはぐれてしまい、携帯にかけても繋がらず、あちこち捜し回っていたら、いつの間にか周りから人の気配が消えていた。
その時に見上げた空が、ちょうどあんな感じだった。
そうかあの時、今みたいに、幻影(?)の魔法で隠されていた場所に入り込んでしまっていたんだ……。
そして6本腕の魔族に襲われた。
あの空が、あまりに不気味で現実離れしていたから、どこまでが夢で、どこまでが実際に起きたことなのかが曖昧だったけど──。
たぶん、全部が本当だったんだ……。
「しゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあっ!」
突然の背筋が寒くなるような不快な音に、陽音は現実に引き戻された。
それは蛇人間から発せられた威嚇音だった。
次の瞬間──。
蛇人間の頭上に銀色に輝く無数の玉が出現する。
ウィッチアイドルの歌が呪文であるように、あの蛇人間は威嚇音が呪文なのだと即座に理解する。
「危ないっ!」
真正面から向き合っているのだから言われなくてもわかっているだろうが、銀色の玉が一斉に桜夜に降り注ぐ様に、つい叫んでいた。
ばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばあぁん!
思わず首をすくめてしまうほどの物凄い音。
それは瞬きする間もないうちに終わったが、その僅かな時間で床のタイルやコンクリートは粉々に打ち砕かれ埃を舞上げた。
そんな中、しかし桜夜は平然とそこに立っていた。
流れるような優雅な動作で、いつの間にか抜いていた刀を鞘へと収める。
刀で防いだ? あれだけの威力と数を? あの一瞬で?
全く見えなかったけど、状況からして、そうとしか思えない。
これが草薙桜夜の技と魔法。
「ナイス、タイミング」
振り向いた桜夜が、満面の笑みを浮かべる。
「助かったわ。魔力が足りなくて困ってたの」
「あ、えっと、何をすれば?」
意識を向けるだけでも提供されるという魔力の特性は知っていたが、もっと良いウィッチアイドル独自の方法があればと思い聞いてみた。
「観ていて、私の
つまり、観ているだけで充分に必要な魔力は供給される──と、とって良いのだろうか。
それにしても戦闘ライブを独り占めなんて、しかもこんな間近で。とんでもない贅沢だ。
桜夜は蛇人間に向き直ると──。
歌い始めた。
わらべ唄のような、ゆっくりとした歌い出し。
夕日に染まったお寺の境内で、子供達が唄っているような時代劇のワンシーンが思い浮かぶ。
どこか懐かしく、心に染み渡っていくような感じに癒やされていく──と思った次の瞬間!
突然の爆発的なシャウトにビクッと肩が跳ね上がる。
南雲に曲を聴かせてもらったので、その変化は知っていたけど、生で聴くと迫力は段違いだった。
激しいリズムの和琴や神楽笛、三味線があたりに鳴り響く。
どこから聞こえてくるのか?
そんな問いは呪歌には無意味だった。
隠しスピーカー説や長距離の超指向性スピーカー説など科学的根拠を元にした説を唱える者もいるが、魔法を発生させるための歌なのだから、その伴奏に科学的な説明を求めるのはナンセンス──というのが一般的な意見である。
「やっつ?!」
すっかり聴き入っていた陽音は、かなり経ってから歌い出しの歌詞に含まれていた数を驚き混じりに反芻した。
そのわらべ唄調部分の数は、1番が「ひとつ」、2番が「ふたつ」というように増えていく。
数が増えるごとに速度が上がるらしいので、八つ──8番を唄っている今はつまり、8速ということになる。
その速さがどのくらいなのかは想像もつかないが、魔法歌を使うことも珍しい草薙桜夜が、8速まで上げないと倒せない──いや、まだ倒せるかもわからない魔族とは、どれだけ強いのだろうか?
「しゃらぁぁぁぁぁあっ!」
再びの威嚇音に背筋が震えたところにきて目まで合ってしまった。
まさに蛇に睨まれた蛙状態。体がすくみ上がり視線を逸らすこともできない。
──にも関わらず、蛇人間の姿を見失った。
思考がついて行けず目を瞬かせていると、いきなり視界に入ってきた。
蛇人間の灰色の鱗──ではない。
白い綺麗なうなじ。
少し遅れて、シャンプーの香りがする金色のカーテンが覆い被さってくる。
その隙間から見える、黄色くて丸い不気味な目。
蛇人間が襲いかかってきたところを、桜夜が間に割って入って助けてくれた──そんな格好だった。
蛇人間は飛び退くと、悔しそうに大きく口を開けて威嚇する。
「私だけを観て!」
歌い終わった桜夜が、蛇人間から目を離さず言う。
その声が少し怒っているようで、
「ご、ごめん」
反射的に謝ってしまったが──。
(今のは仕方ないって……)
口から不満が漏れ出たところで、ふと、ある考えが脳裏に浮かんだ。
魔力は意識を向けると提供される。が、それがウィッチアイドルに限ったことではないとしたら?
今みたいに魔族に恐怖するのも、意識を向けているようなものだし、もしそれで魔力が提供されてしまうとしたら──。
桜夜が怒るのも納得がいく。
と、いうことは、戦闘ライブというのは、歌や踊りなんかで観客のテンションが上がるとウィッチアイドルが、恐怖や不安で下がると魔族が有利になる諸刃の剣?
だから、みんなをこの場から遠ざけた?
避難という意味もあるだろうけど、観客が不安になるくらい戦況が悪くて、魔力が魔族に行ってしまいそうだったから?
だとするなら、この場で魔族に恐怖するのは厳禁だ。
「仕方ない」じゃ済まされない。それが彼女の足を引っ張ることになるのだから。
恐怖しないためには──。
集中だ。桜夜の歌や剣舞に。
そんな気持ちが伝わったかのように、桜夜の動きがより軽やかに、より優雅になる。
いや、実際に伝わっているのだろう。
魔力──という形で。
素早く何度も繰り出される蛇人間の腕を、舞うように躱していく桜夜。
素人目にも、桜夜の方が遙かに優位に見える。
蛇人間が腕を大ぶりしてバランスを崩した。
すかさず桜夜は身を沈め居合抜きの体制になる。
蛇人間は両腕を床に付けたかと思うと四肢を使って大きく飛び退き距離を取った。
桜夜も居合いの体制を崩すと、ひらりと舞うように飛び退いて陽音の前に着地した。
大きく息を吐く桜夜に、
「大丈夫?」
陽音は声をかけた。
「まいったわ」
「え?」
予想外の弱音に耳を疑った。
「どうして? 全然余裕みたいだったけど?」
「避けるのだけはね」
「攻撃は──しないの?」
「してるわよ」
彼女はボソッと言ったかと思うと、
「もう何百回も斬ってるのに硬すぎなのよあいつぅっ!」
爆発した。
優雅で淑やかな彼女のイメージが一瞬にして吹き飛ぶ。
でもそれは幻滅ではなく、むしろ親近感が沸いて、こんな状況にも関わらず笑みがこみ上げてきた。
なんとかそれを飲み下した陽音は、
「攻撃してたんだ」
「見えなかったでしょ?」
思い切り吐き出してスッキリした──というような感じで、少し軽めに口調を戻す桜夜。
「でも速いだけ。刀を警戒する素振りはあるから多少は効いているみたいだけど、致命的にはならないわ。ずっとこんな調子……」
言葉の最後には、ため息が混ざる。
「だから本当に助かったのよ、来てくれて」
そう言ってもらえると、来た甲斐がある。
「他に魔法はないの?」
陽音の言葉に、桜夜は振り向いた。
蒼い瞳にジッと見つめられる。
「あ、えっと……」
何か変なことを言ってしまったのだろうか?
他に魔法がないのか訪ねただけなのに──。
ウィッチアイドルは魔法歌を一つしか持っていないとか、そういったのがあっただろうか?
いや、複数の魔法歌を持っているウィッチアイドルもいたような……。
あ、でも、歌は違っても魔法の効果が同じとか、そんな話を聞いたような聞かないような……。
「あるわよ」
あるのかよっ!
ツッコミはなんとか心の中に留めたが、苦笑は少し染み出てしまった。
今の間はなんだったんだ……。
「でも、やめておきましょう」
「どうして?」
言葉を詰まらせた桜夜は、視線を逸らすと、
「……すごく、魔力が必要なの」
なるほど、大量に魔力を使ってしまうので遠慮しているようだ。
「いいよ、大丈夫」
「本当に……いいの?」
上目遣いで確認する。
「うん」
「後悔しない?」
そこまで念をおされると、さすがに少し怯んでしまう。
「え、えーっとぉ、そんなに、大変なことなの? 物凄く苦しいとか、下手をすると死んじゃう──みたいな?」
「肉体的なダメージというよりは精神的なモノね。でも、人によっては死ぬより辛いかもしれない……」
「マ、マジで?」
「やっぱり、やめておきましょう。まだあと二つあるし、なんとかやってみるわ」
その口ぶりからして、最高速でも厳しいことが予想されるのだろう。
なら、躊躇っている場合じゃない。最悪の場合、本当に死ぬことになる。しかも自分だけじゃない……。
「いいよ、それでいこう。思いっきり持ってっちゃって」
少しだけ大げさに笑顔を作ってみせると、
「あ、そうか、つまり、滅多に聞けない歌が聴けるってことだよね? やった、すっごくラッキー」
「関係者じゃない人の前で歌うのは初めてよ」
優しく微笑んだ桜夜は、再び視線を逸らすと、今度は頬を染めて、
「あー、えっと、できれば、目を──閉じていて欲しいんだけど……」
ウィッチアイドルでも初披露の歌を歌うときは恥ずかしいものなのだろうか?
そんなことを考えながら、陽音は素直に目を閉じた。
と──。
唇に柔らかくて暖かい感触。
驚いて目を開けた時には、桜夜はうつむき加減で、ぴょんぴょんぴょんと軽く後ろにステップすると、くるっと素早く体を半回転させた。
彼女が身に纏っているボロボロの
その光は、制服から魔装衣になった時のように、一度弾けてから再集結すると──。
新しい魔装衣になった。
ボロボロになる前とは色や模様こそ同じだが、フォルムが全く違う。
和装であることには変わらないが、雅やかな振袖ではなく凜々しい袴──。
腰には緋色の鞘に収められた日本刀。
演歌歌手というよりも、幕末の女剣士という出で立ちだった。
金色の髪も大きな黒いリボンで束ねられ、ポニーテールになっている。
これが草薙桜夜の戦闘モードなのかもしれない。
──が、例によって陽音の目には、その勇ましい魔装衣は映っていなかった。
確かに「精神的なモノ」は正しかった。
脳みそが沸騰し、完全に思考が停止しているのだから、ある意味、精神へのダメージと言える。
ましてや一生に一度の初めてのキス。人によっては「死より辛い」もあるかもしれない。
陽音は──まあ、顔を真っ赤に染めボーッとしている様子から推して知るべし。
そもそも、相手は国民的英雄にして美少女のウィッチアイドルだ。
年齢=彼女いない歴の健全な男子高校生が、唇を奪われて死にたいほどに絶望する──などということは、そうはないだろう。
彼女のファンに知られれば、別の意味での死があるかもしれないが……。
桜夜はすぅっと息を吸い込むと、
「草薙桜夜、参る!」
その気合いに、我に返る陽音。
警戒を強め、身を低くする蛇人間。
どこからともなく聞こえてくる琴の音。
やがて、笛や鼓、三味線などの和楽器が加わり、激しいリズムへと変わっていく。
力強い歌い出し。
たったそれだけで背筋がゾクッとする。
気持ちが高揚し、居ても立っても居られなくなる。
本能的に何かを悟ったのか、蛇人間が仕掛けてきた。
構わず歌い続ける桜夜。
しかし陽音は全く不安を感じることはなかった。
直前で見えない壁に阻まれたかのように後ろにはじき飛ばされ、何度か転がる蛇人間。
すぐに体制を立て直したものの、次の攻撃に出ることはなく、「シャーッ」と威嚇音を発しながら後退る。
刀は相変わらず鞘に収まったままだが、もしかすると抜いて収めるまでがあまりに早すぎて見えなかっただけかもしれない。
そうこうしているうちに、歌はサビへと入った。
その迫力とかっこよさに総毛立つ。
これが草薙桜夜の演歌──いや怨歌。
とにかくもう、「すごい!」しか頭に浮かばない。
──でも、魔法はまだこれからなのだ。
それが振り付けであるかのように、歌に合わせて居合抜きの体制に入る。
こぶしをきかせ、高らかに歌い上げつつ、鞘に添えた左手を動かす。
鍔と鞘の間にできた隙間から白い光が溢れだし辺りを包み込んだ。
それは二つ名にある「妖刀」が放っているとはとても思えない、清らかで神々しい光だった。
やがて白い光は蛇人間に向けて収束していき──。
「天舞千妖滅っ!」
その居合抜きは、収束していた白い光を真っ二つに切り裂いた。
ウィッチアイドル 亜朝あおん @asagiri_zakuro
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