魔術補助

「その『魔術的な補助』って、どんなことをするんですか?」

 そう問いかけた朝霧陽音の脳裏には、床に魔方陣が描かれた部屋で、黒い三角の布をかぶり呪文を唱えながら羊に剣を突き立てる怪しげな儀式が浮かんでいた。

「一番手っ取り早いのは粘膜接触だな」

 橘川がさらりと答える。

 それがあまりにも自然で、しかも想像との落差が大きかったため、

「それだけ?」

 思わず口をついて出てしまった。

「──ですか?」

 敬語を足した後で、言うほど簡単ではないことに気付く。

 「粘膜」ですぐに思いつく場所と言ったら……。

 南雲の柔らかそうな唇に意識が行き、顔が火照っていく。

 経験のない陽音にとって、かなりハードルが高い。

 南雲は──平気なのだろうか?

 動揺した様子は窺えないが、逆に表情の変化が無さ過ぎるような気もしないでもないような……。

 そうこうしているうちに、視線がぶつかってしまった。

「ま、魔方陣とか生け贄とか、そういうのは、いらないんですか?」

 跳ね上がる心臓を誤魔化すように話題を逸らす──というか、本来の道筋に戻した。

「まあ、そういったやり方もあるが、信仰している宗教とか、個人個人の考え方なんかも効果に影響するし、準備もあれこれ必要になる。

 その点、粘膜接触は魔術的な意味もあり効果が高い、なにより単にくっつけるだけだから楽でいいだろ?」

 意味深な目で話を戻し返され、顔がさらに加熱される。

「とはいえ、ウィッチでも一般でもアイドルにとってのイメージは大切だからね。特にアイドルファンは純潔さを求めるから、いくら魔力提供だと言っても納得しないだろう。スキャンダルになりうる行為は極力避けた方がいい」

 沸騰する脳みそに差し水がされ、ほっとしたような、少し残念なような──いやいや、南雲の夢のためにも残念がってはいけない。

「そこでだ──」

 橘川は緩んだ口元を引き締めると、机の上に転がったペンを取る。

 近くにあったメモ用紙を1枚破りスーッと円を描く。

 フリーハンドでありながら見事な円の中に、図形や文字らしきものが描(書)き込まれていく。

「魔法陣ですね」

 ようやくの魔法らしさに陽音は安心した。

「なんかの、おまじないみたい」

 南雲が率直な意見を口にすると、

「君たちは気軽な感覚で『おまじない』というけど、それだって呪術や魔術の類なんだ。力のある物が正式な手順で行えば、それなりの効果を発揮する」

 橘川が得意気に話して聞かせた。

(そういえば、この人は元々そういう記事を書いていたんだっけ)

 内心苦笑する陽音。

「よし、できた」

 橘川は魔法陣を描いたメモ用紙を手に取ると、

「少年、ちょっとこっちへ──」

「あ……はい」

「ベロを出して」

 訳もわからず言われたとおりにする陽音。

 出した舌に、橘川は手にしたメモ用紙を押しつけてきた。

「ぶわぁっ! ぺっ! 何するんですかぁ!」

 不意を突かれて慌てる陽音。

「唾液が必要でね」

 メモ用紙をヒラヒラと揺らしながら言う橘川。

「血液の方がより効果は高いんだけど、ただの実験で傷をつけるのもなんだしね。これでもいけるはずだ」

「言ってくれれば自分でやりますよぉ!」

 陽音は抗議の声を上げたが、橘川はむしろその反応を楽しんでいるかのようであった。

「よし、次は魔族石──」

 笑みをこぼして二人のやり取りを傍観していた南雲は、いきなり向けられた視線に、

「あー、はいはい、あたしね──」

 慌て気味に左手を出すと、手の平を上に向けて指を開いた。

 橘川は涙滴型の透明な魔族石にメモ用紙を乗せると、

「このまま一緒に握りしめて」

 南雲は言われたとおり、グシャリとメモ用紙ごと魔族石を握りしめる。

「これで接続完了だ」

「はーい」

 軽い感じで返事をしながら、床に転がったペットボトルを拾いに行く南雲。

「ちょっと待ったぁ!」

 慌ててそれを制する橘川。

「はい?」

「一応おもてに出ようか。魔族石への魔力供給は格段に上がるはずだから、壁に当たれば穴くらいは簡単にあいてしまう」

「そうなんですか?」

 先ほどの上手くいかなかった感覚を引きずっているらしく、あまりピンときた様子のない南雲。

 橘川の本心にピンときて、思わず苦笑する陽音。

(狙いを外すことが前提なんですね)

 南雲は気づいていないようなので、そのツッコミは口には出さないでおいた。

 ピロロロ、ピロロロ、ピロロロ……。

 突然、シンプルな電子音が鳴り響いた。

 橘川は、携帯端末を取り出すと、画面を見て不敵に笑みを浮かべた。

「これはちょうどいい、おあつらえ向きの獲物だ」

 陽音は南雲と顔を見合わせた。

「魔族さ」

「いきなり実戦ですかぁ?!」

 陽音が驚きの声を上げる。

「Eランクだから危険度は低いよ。しかも郊外で民家もない場所だから、デビュー前の子達の実戦訓練に使われるはずだ」

「実戦訓練なんてするんですか?」

 南雲が意外そうな顔をする。

「そりゃするさ。デビュー戦が魔族との初対戦なんて、さすがに厳しすぎるだろう?」

「あははは……確かに」

 笑って誤魔化す南雲。

「実はこういう小さい実戦訓練は結構頻繁にあるんだ。

 住民への被害がない場合なんかは広範囲に結界を張って、魔族を見つけ出すところから始める。

 当然、安全を保証できないから関係者以外立ち入り禁止で一般公開されていないんだ」

「じゃあ、入ったらマズいんじゃないですか?」

 陽音が当然の疑問を口にする。

「いや、俺は関係者だからね。注目新人の追っかけ取材とか、実戦訓練風景を記事に書くこともあって、特別に許可をもらっているんだ。だから、こうして情報ももらえる」

「さすが、人気ライター」

 南雲が感心の声を漏らし、陽音は「うん」と頷いた。

「君たちは──社会見学で俺の助手ってことにでもしておこうか」

「「はい」」

 陽音の返事が南雲のそれと重なる。

「よし、じゃあ行こうか」

 机の上に無造作に放り出されていた車のキーを掴み、玄関へと向かう橘川。

 その背中を追いかけながら、陽音の脳裏には魔族に襲われたときの光景が蘇っていた。

 それがどこまで夢で、どこまでが現実なのかわからない。

 ──ただ、入院したのは事実なので、少なくとも魔族を間近で見た恐怖は本物だろう。

 橘川は「危険度は低い」と言っていたが、それでも魔族は魔族──さすがに緊張する。

 そういえば、南雲も魔族に襲われた経験があるようだけど──。

 チラリと視線を向けて驚いた。

 やはり緊張した面持ちではあるが、明らかに自分とはベクトルが違う。

 まるで、これから人生初の絶叫マシーンに自ら進んでチャレンジしようとしているような──不安はあるもののどこか心を躍らせている──そういった表情だった。

 もしWAPにスカウトされていたらやったかもしれない実戦訓練なので、興味津々なのはわかるがそれを差し引いても自分なんかより遙かに肝が据わっている。

(やっぱり南雲さんはウィッチアイドルに向いているんだな……)

 改めて思う陽音であった。

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