見学

 車がなんとかすれ違える程度の郊外の細い道は、アスファルトのあちこちにヒビが入り草が顔を覗かせていた。

 辺りは木と雑草ばかりで民家どころか人の気配も全くない。

 そろそろ携帯端末に送られてきた地図の場所だが──。

 道が二股に分かれており、その片方が移動式のバリケードで塞がれていた。

 WAPのスタッフジャンパーを着た男が、バリケードの前に立ち誘導棒を振っていた。

 橘川蔵人が車を停めると男が駆け寄ってきた。

 窓を開けながら、WAPが発行した許可証を見せる。

「ご苦労様です」

 愛想良く挨拶した男は、かなり若い感じで、ジャンパーの下は紺のスーツだった。

「広域の実戦訓練かな?」

 橘川は一応確認した。

「はい、みんな経験が浅く初見もいますので、あまり近づかないようにしてください」

(そりゃ好都合)

 心の中で言って口元を歪めると、

「責任者は?」

「少し先の駐車場をベースにしています。いま開けますので、車もそこに停めて下さい」

 若い男がバリケードに駆け寄り、車が通れるように移動させた。

 橘川は軽く手を上げると車を出す。

 バリケードを抜けた辺りで結界の存在を感じた。

 ──対魔族結界だ。

 魔族の出現が確認された際に被害の拡大を防ぐ目的で一時的に展開される結界で、たいした下準備も必要なく広範囲にわたって張れる上に魔族に対してのみに有効という特徴がある。その反面、魔法攻撃に弱くC級以上の魔族には足止め程度にしかならない。

 状況に応じて二重三重に張ることもあるが、たいていの場合は突破される前に戦闘結界ステージの準備が間に合い、戦闘ライブへと突入するというのが通常の流れだ。

 もちろん今回は実戦訓練であり魔族もE級であるため戦闘ライブはない。このまま対魔族結界のみでいくはずだ。

 だからこそ、こうして一般人が迷い込んでしまわないように人員を割く必要がある。

「経験が浅いうちは遠距離からの魔弾に頼りがちになるし無駄弾も多くなるから、1発や2発こっそり撃ち込んでも誰が撃ったかわからないだろう。

 うまく魔族に当てられれば今後の闘いの目安にもなるんだけど無理はしなくていい。それよりこっちの魔法がWAPに見つかる方が厄介だから、秘匿最優先ということで頼むよ。

 一応、場所とタイミングは指示するから、それまでは撃たないように」

「はい」

 後部座席から力強い南雲の声が返ってきた。

「少年はとにかく応援に集中だ。今回の接続に使った術式は一方通行の補助型なんで、君の方から送り込んでやらないと魔力が供給されない」

「わかりました」

 朝霧の表情は硬い。

「まあこっちはあくまで実験が目的だから、魔族退治は本業に任せて気楽にやろうじゃないか」

 橘川は軽い口調で場を和ませた。

 そうこうするうちに、道は移動式のバリケードで塞がれ先に進めないようになっていた。

 左側にある舗装のされていない広いスペースに入るしかない。

 そのスペースに入ると、奥の方にWAPのロゴが入ったワンボックスカーが2台停まっていた。

 近くには30代くらいの女性スタッフが1人、A4サイズのタブレット端末を片手に立っている。

 あとから資材が運び込まれることもある、橘川は少し離れた場所に車を停めた。

「調子はどうですか?」

 橘川は朝霧と南雲を伴って女性スタッフに歩み寄り声をかけた。

「どうも橘川さん、ご無沙汰です」

 そのスタッフとは前に何度か実戦訓練の現場で会ったことがある。名刺交換もしていたはずだ。

 確か、高瀬といったか。肩書きは──詳しくは覚えていないが、何かの主任だったはずだ。おそらく現場の責任者は彼女だろう。

「大怪我さえしなければよし──といったところですね」

 高瀬は苦笑すると、橘川の背後へと視線を流し、

「あのぉ──そちらは?」

「知り合いに頼まれましてね、社会見学みたいなものです。取材現場を見たいということで連れてきたもので許可をいただこうと思いましてね。手続きか何か必要ですか?」

「いいえ、橘川さんのお知り合いということでしたら特には要りませんが、とにかく闘いに慣れていない新人ばかりなので周りにまで気を配っている余裕がないと申しますか……」

 不安げに言った高瀬は、言葉の最後を濁した。

 ようは見るのは勝手だが、もし何かあっても責任は取れないといいたいのだ。

 それは今回に限ったことではない。

 訓練といっても本物の魔族を相手にしているのだからそれなりの危険はある。ゆえに一般人を入れないようにしているのであって、そこに特別に入れさせてもらうのだから自己責任であることは覚悟しなければならない。

 暗黙の了解というやつだ。

「わかってます、万が一のことがあってもご迷惑はおかけしませんよ」

 橘川は笑顔を作ってみせた。

「わかりました。では、よろしくお願いします」

 わずかに表情をゆるめて頷く高瀬。

 デビュー前でもちょっとした記事をきっかけに人気が出ることもある。WAPとしても取材はしてもらいたいというのが本音だろう。

「じゃ、見させてもらいます」

 橘川が軽く顎を引くと、朝霧と南雲もそれにならって頭を下げた。

 舗装された道まで戻り、車の行く手を塞いでいたバリケードの間をすり抜ける。

 そこでいったん立ち止まった橘川は、大きく息を吐き出した。

 それからゆっくりと大きく呼吸をすると、目を閉じ魔力を感じ取ることに意識を集中させる。

 すぐ後にいる朝霧のものを除いて、大きい魔力が6つ。うちひとつは他とは明らかに異質な禍々しさを感じる。恐らくそれが魔族だろう。

 過去の広域実戦訓練からして、1人は万が一に備えた監視のウィッチアイドルのはずなので、訓練を受けているのは4人ということになる。

 橘川ですらこの程度の芸当ができるのだ、ウィッチアイドルはもちろんWAPスタッフにも同等以上のことができる者がいても不思議ではないはずだ。

 たとえば先ほど会った高瀬──。

 妙に朝霧ばかりを気にしている節があった。

 顔立ちの整っている彼に女性として興味を持ったという可能性も全くないとはいえないが、潜在的に秘めた巨大な魔力を感じ取った可能性も否定はできない。

 ただし繁華街を歩いていても大きな魔力を持つ者とすれ違うことはまれにある。朝霧はその中でも抜きん出ているため多少の驚きはあるだろうが、だからといって特別に騒ぎ立てることではないはずだ。せいぜい「女だったら良かったのに」と残念がる程度だろう。

 それよりも気がかりだったのは、南雲と彼女の手にある魔族石の方だった。

 魔族石そのものは全く魔力を発しない。

 寄生して魔族化した時でさえも──だ。

 あの独特の禍々しい魔力は、異形となった宿主が生み出しているものにほかならない。

 ゆえに今の南雲からは全く魔力を感じない。が、却ってそこを怪しまれでもしたら──。

 朝霧のように魔力の大きい者が「まれ」なら、南雲のように完全に魔力を持たない者は「極めてまれ」なのだ。しかも、魔族石を素手で握っているときている。

 WAPは魔族や魔法が関係している場合に限り、警察と同等以上の権限がある。わずかでも不審に思われ所持品検査でもされた日には、いろいろな意味で大騒ぎになったことだろう。

(結局は取り越し苦労だったな……)

 橘川は自嘲気味に口元を緩めた。

 自分も初めは魔力の大きな朝霧ばかりに気がとらわれていた。魔族石を素手で掴むハプニングがなければ南雲には興味すらもたなかっただろう。

 「出る杭は打たれる」とはよく言ったモノで、たいていの人間はとりわけ大きい場合は目に付くがその逆となると見逃しがちだ。

 だが中には変わり者も存在する。取り越し苦労で済んで良かったと考えるべきだろう。

「かなり手こずっているようだな」

 橘川は同伴者にも分かるように声に出して独りごちてみせた。

 どうやら訓練を受けているウィッチアイドル達は魔力の感知ができないようで、魔族に向かって一直線に進んでいる魔力はない。

「そんなに強い魔族なんですか?」

 朝霧が食いついてきた。

「いや、それ以前の問題さ」

 橘川は苦笑して状況をざっと説明してやった。

「あのぉ、その魔力っていうのは、練習すれば誰でもわかるようになるんですか?」

 南雲が角度の違う質問をしてきた。

 ウィッチアイドルになるのなら自分も練習した方が良いと思ったのかもしれない。

「なんなら教えようか? 俺のは我流なんでWAPとやり方が違うだろうけど、それでもいいというなら──」

「はい、是非に!」

 南雲の向上心を、橘川は微笑ましく思いながら、

「ま、とりあえず、今回は魔弾の実験だな」

 それから携帯端末を取りだすと、アプリケーションを起動させる。

 それはWAPが取材者向けに開発したアプリケーションで、周辺の地図に訓練をしているウィッチアイドルの位置がリアルタイムで表示される。

 機械的に魔力を感知する技術がまだないため発信器を持たせていると、前にWAPの知り合いから聞いたことがある。

 魔力感知は範囲を広げれば広げるほど魔力源の距離や方角が曖昧になるし、一方向に絞り込んでも距離があると肉眼で遠くの物を見るようなものでぼやけてしまう。当然小さい魔力は見えなくなるし、ウィッチアイドルくらい大きくても意識を集中しなければならないのでかなり疲れる。

 だから詳細なウィッチアイドルの位置と地形が表示されるこのアプリケーションは重宝している。魔力感知と併用すればなお便利だ。

 当初の予定では、ウィッチアイドルの戦闘に乗じて魔弾を撃ち込むつもりだったのだが、その戦闘がなかなか始まる気配がない。

 とりあえず魔族の移動ルートを予測し、適当な場所で待ち伏せることにした。

 立ち並ぶ木の間をすり抜け生い茂った草をかき分けて進む。

 やがて視界が開けてきたと思ったら、その先は崖になっていた。

 ビルの4~5階分くらいの高さはあるだろうか。下はキャンプでも出来そうな程の広い河原になっていて、大きな川も流れている。

 どうやら魔族はあの河原を川に沿って進んでいるようだ。

 無理をすれば降りられなくもないが、今いる場所の方が木や草で身を隠せるので狙撃ポイントには適している。

 降りるときに足を踏み外す危険と、魔族の前に身をさらす危険、戦闘になれば巻き込まれる危険に加え、魔弾を撃つ姿を目撃される危険を考えたら、断然ここからの狙撃を選択すべきだろう。

 問題は射程距離だ。

 魔力は拡散しやすく、魔力の大きさにもよるが、意外と射程距離は短い。

 それを伸ばすには魔力を練って拡散を減らす工夫が要るが、魔弾初挑戦の初心者にそこまで要求するのはさすがに酷というものだろう。

 せっかくこんな所にまで出向いた意味が薄まってしまうが仕方がない。

 今回は安全を優先し、魔弾が撃てるかどうかを試せるだけでも良しとしよう。

「いいかい嬢ちゃん、魔族はこの下を通るはずだ。少し距離があるから届かせるのは難しいだろうけど、狙えるだけ狙って撃ってみようか」

「はい!」

 南雲の素直で切れの良い返事は、なかなか清々しくて気分が良い。

 次に朝霧に視線を向けると、「わかってます」とばかりに頷いた。

 頷き返した橘川は、

「まあ、まだ時間はかかりそうだから、のんびり待とうじゃないか」

 軽い口調で言いながら未成年2人から少し離れると、ポケットから煙草を取りだした。

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