橘川蔵人
メールの送信を確認した
煙を吐き出してようやく、一息を付いた気分になる。
妻と娘には煙たがられ、煙草に火をつける時には、肩身の狭いおもいをしていた頃が懐かしい。
あの日から3年が経とうとしていた。
フリーランスのライター、それが彼の仕事だ。
主にオカルトが専門で、昔は超常現象や魔術儀式などの取材のため世界各地を飛び回っていたが、最近ではウィッチアイドル関係の依頼ばかりとなり、日本から出る機会がめっきりなくなった。
そう、魔族は日本でしか確認されていない。
その魔族と闘うウィッチアイドルも日本にしかいない。
魔族はパスポートを持っていない──そんな笑い話をネットでよく目にするが、本当の理由を解明した者はいない。
ウィッチアイドルの記事を書いてはいるものの、橘川自身は彼女達の個性や容姿、歌や踊りといった、世間で一般的に騒がれている魅力には全く関心がなかった。
彼の興味の対象は、あくまで彼女達の奏でる曲や、歌、踊りなどで発動する魔法──。
ゆえに、魔法を使うのであれば、なにもウィッチアイドルでなくても構わない。
たとえ魔族であっても……。
むしろ存在自体がオカルトのような魔族のほうが、より興味をかき立てられた。
あの日までは。
魔族の出現を耳にすると、それまでしていたことを放り出してでも現場に駆けつけ、情報やサンプルを集めていた橘川は、魔族や魔法の研究に関しては、それを専門に扱っているWAPに、かなり良いところまで迫れている自信があった。
そんな橘川から、ある日唐突に愛する妻と娘を奪ったのは、皮肉にもその魔族であった。
しかも現場は、ここ──橘川の自宅。
運悪く、体調を崩していた娘と、その看病をしていた妻が、魔族の犠牲となってしまった。
取材でたまたま訪れていたWAP本社でその報せを聞き、橘川が急ぎ帰宅した時には、自宅は報道陣と野次馬に囲まれ、WAPのスタッフが現場検証を行っていた。
そこは2階にある娘の部屋だった。
無惨に荒らされたその場所には、一刀両断にされた魔族の死体と、すでに息絶えた妻の遺体があった。
ただ娘の姿はどこにもなく、わずかばかりに希望を抱いたが、血まみれになって散乱している布片が、見覚えのある柄であることに気付いた瞬間、それも跡形もなく潰えた。
その柄は、出掛ける前に様子を見た時に娘が着ていた寝間着のものだった。
WAPのスタッフの話では、ウィッチアイドルが到着した時には既に手遅れの状態だったという。
その後の橘川は、より魔族や魔法の研究に没頭するようになったが、その内容は以前のような興味本意からくるものとは明らかに異なっていた。
「ん?」
椅子の背もたれに上半身を預け、立ち上る紫煙を茫然と眺めていた橘川は、インターホンの呼び出し音で我に返った。
机の上に置かれたインターホンのモニターに触れると、高校生くらいの少女と少年が映し出された。
そういえば少し前に編集者からメールがきていた。
なんでも、橘川に会いたがっている学生がいるとかどうとか。
橘川の記事はかなり人気があり、面会を希望する熱烈なファンも多い。
しかし、それらにいちいち対応していたのではきりがないため、編集社に届いた時点で社則を理由にすべてシャットアウトする手筈になっていた。
ただ今回ばかりは特別で、別の出版社に勤める世話になった人に頼まれたらしい。
無料のメールアドレスでも構わないので、連絡を取れる手段を講じてもらえないかとのことだった。
正直面倒ではあったが、その編集者とは古い付き合いだし、仕事に関してもかなり世話になっている。普段から何かと無理を通してもらっているので、こういう時くらいは恩を返しておいても罰は当たらないだろう。
そう思い、無料のメールというのも面倒だったので、信用のできる相手なら住所を教えても構わないと返しておいた。
そういえば、今日だったか……。
くわえていた煙草を灰皿に押しつけると、玄関に向かった。
少女は南雲奏音と名乗った。
眼鏡をかけ、ストレートのロング。外見は地味で大人しい優等生のようだが、中身は全く逆のようだ。わずかな挨拶の言葉からも元気が満ちあふれていた。
少年の方は朝霧陽音というらしい。
喋らなければ、服装でしか性別を判断できないくらい、中世的で整った顔立ちをしている。
彼が音楽業界ではそこそこ名の通った朝霧夫妻の息子であることは、事前に編集者より情報を得ていた。
さすがに玄関で立ち話というわけにもいかないだろう。
お茶の一杯も出さずに帰したなどとネットに書き込みでもされたら、今後の仕事にも影響が出るかもしれない。
メールで連絡をしたほうがまだマシだったかと、今更ながらに後悔する。
とりあえず、リビングへと通す。
本来ならホームパーティーが開けるくらい大きいリビングなのだが、その半分以上を積み上げられた雑誌や本、怪しげなオカルトグッズなどが占領している。
仕事はもちろん、食事も寝起きも一日の大半はここで過ごしている。
お世辞にも綺麗とは言えないが、他の部屋にはほとんど入らないので、ここ以外に客を招き入れるなど、とてもできた状態ではなかった。
家族が居たときでさえ、持て余していた庭付きの一軒家は、一人になった今ではあまりに広すぎた。
「壊れたら取り返しが付かない貴重品ばかりだから、そこら辺のモノには絶対に手を触れないでくれよ」
橘川はそう脅かしながら、少年少女を中央に置かれたテーブルまで誘導し、ソファーに座るように促すと、自分はオープンキッチンへと向かった。
「それで? 用件はなんだい?」
冷蔵庫から出したペットボトルの水をコーヒーメーカーに注ぎながら、橘川は問いかけた。
客に出せるといったら、普段から飲んでいるコーヒーくらいしかない。
仮に、来客がコーヒーが苦手だとしても何も出さないよりは格好が付くだろう。
「魔法のことを知りたいんです」
少年の言葉に、橘川は「ほぅ」と目を細めた。
仕事柄、こういった質問をされることは珍しくない。
特に何か目的があるわけでもなく、ただ純粋に未知なる力への憧れ。
すごい、格好いい、自慢したい、ただそれだけの理由。
目先の派手さと、理解を越えた現象ばかりにとらわれ、それがどういった不幸をもたらすのかまで考えが至らない。
若者にありがちな、無知ゆえに抱ける無謀な好奇心。
マスコミは不謹慎と叩く傾向にあるが、橘川は非難する気はなかった。
かつては自分もそうであったし、彼らがいるからこそ、今の仕事にもありつけている。
ただ、この少年達は、そういった若者とはどこか違う気もする。
「魔法を知ってどうするんだい?」
橘川が問いかけると、少年ではなく部屋の中を興味津々に見て回っていた少女の方が口を開いた。
「ウィッチアイドルになりたいんです」
それから彼女は、自分の夢とそれを実現するために考えたプロセスを、目をキラキラと輝かせて語り始めた。
「なるほどね、WAPへのアピールか」
橘川は思わず口元を緩めてしまった。
ウィッチアイドルにオーディションはなく、完全なスカウト制であることは有名だ。
だがWAPは、スカウトに関する一切の情報を明らかにしていない。
以前、橘川もWAPの知り合いに、それとなく尋ねたことがあるが、それに関する情報は全く聞き出せなかった。
容姿やスタイル、歌唱力はもちろん、魔族と闘うための運動神経と格闘センスを兼ね備えた上で、潜在的に魔法の才能を持つ女性──と世間一般ではいわれている。
しかしそれは、あくまで憶測でしかない。
そもそも「潜在的な魔法の才能」というのはどういうものなのか?
どうやったら、それを見極められるのか?
肝心な部分が謎だった。
ウィッチアイドルに憧れる少女の大半は、年齢を重ねるにつれ、そんな得たいのしれない才能が自分にあると信じ続けることができなくなり、やがてサンタクロースの正体に気付く頃には、アニメか特撮の変身スーパーヒロインにでも憧れていたかのように、昔を振り返ってはにかむようになる。
なかにはウィッチアイドルの夢を捨てきれず、漠然と憧れを胸に燻らせたまま平凡な生活を送っている女子も居るが、彼女のようになんとしてでも才能を認めさせようとあがいている者は極めて珍しい。
その真っ直ぐな姿がなんとも微笑ましくて、できることなら協力してやりたいと思えてしまう。
おそらくあの少年も、橘川と同じ気持ちで、ここまで来たのだろう。
だが、現実とは酷なモノだ。
彼女からは魔力が感じられない。
魔力とは魔法を使うために必要な力で、魔法を家電に例えるなら魔力は電気ということになる。
電気は電池に蓄えることができるように、魔力は人などに蓄えることができる。
ただ、人によって蓄えられる魔力の最大量は異なっており、それを「最大魔力容量」とか「魔力容量」と橘川は呼んでいる。
なお、魔法に関する一切の情報はWAPが独占しており、秘匿される部分も多いため、定義付けなどが必ずしもWAPのそれと一致するとは限らないが、信用できる情報筋とのやりとりを参考にしているため完全な的外れにはなっていないはずだ。
話を戻そう。
電池は家電を動かすことで蓄えられた電気を消費するように、魔法も使うことで魔力が消費される。
大きな魔法ともなれば、一度に消費する魔力量も多くなる。
消費された魔力は、ある程度の条件が整えば時間の経過とともに回復するが、その量は人によって異なるものの決して多くはない。
ゆえにウィッチアイドルとして魔族と闘うのであれば、ある程度の魔力容量は必要となる。
現に橘川が会ったことのあるウィッチアイドルは、候補生も含め、保有している魔力量が一般人とは桁違いだった。
そこからも、WAPが何を基準にウィッチアイドルをスカウトをしているのかは容易に想像がつく。
魔法を秘匿しているWAPが、その基準を公表したがらないのも納得がいくというものだ。
かくいう橘川も、魔力を感知する能力を身につけたのは、ここ数年のことだった。
独自に魔法を研究し、その理論を組み立てて、ようやく得られた技術だ。
魔法の研究者は数多くいるが、そこまで辿り着けたのは、WAPの他には橘川くらいだろう。
最も基本ではあるが、それがなければ魔法の研究にはならない。電気の存在を知らない原始人が、電化製品の研究をするようなものだ。
0と1の差はあまりにも大きく、壁はあまりにも高かった。
その点から見ても、橘川の魔法研究は、他の研究者より頭ひとつ抜き出て、WAPに迫れているといえた。
ただし、橘川は魔力感知技術はもちろん、魔法研究についても他人に話したことはない。
特にWAPには、自分がただのオカルト関係のライターで、記事を書くためだけに魔法の知識を蓄えていると思わせておいた方が何かと都合が良い。
どうせわからないだろうという油断から、重要な情報をポロリと漏らしてくれることもあるからだ。
それはさておき──。
橘川が見た限りでは、あの少女の魔力容量は、ウィッチアイドルに必要な域には達していない。
いや、それどころか、ほとんど──というより、全く魔力を感知できない。
魔法の使い方を知らないのだから、魔力を消費して空になっているわけでもないだろう。
そうなると、魔力容量が生まれつき完全にゼロか、限りなくそれに近いということになる。
一般人──いや、人に限らず動物でも、多少の魔力容量は持っているものなのだが、ここまで見事に無いのはある意味珍しい。
さらに皮肉なのが少年の魔力量だ。
少女とは真逆で、とてつもなく大きい。
ウィッチアイドルですら遙かに陵駕している。
もし、彼が女だったなら、WAPは放ってはおかなかっただろう。
なかなかおもしろい凸凹コンビではあるが──いやいや、当人達は本気なのだから、おもしろがってはいけない。
まったく、世の中うまくいかないものだ。
それはともかく、この事実を伝えるべきか否か。
ハッキリと真実を伝え、早めに諦めさせた方が無駄な努力をしないで済むという考え方もあるが、せっかく夢を抱き情熱を傾けているというのに、簡単に打ち砕いてしまうというのもどうかとは思う。
むしろ、気が済むまでおもいきりやらせてやったほうが、よいのではないだろうか?
そんなことを考えながら橘川は、一人になってからは一度も使ったことのなかったティーカップを一番上の棚から取り出した。
と、その時だった。
目に飛び込んだ光景に、
「それに触るなっ!」
橘川は反射的に叫ぶや否や、キッチンカウンターを飛び越えていた。
咄嗟とはいえ、普段から体を鍛えているからこそできる芸当だ。
ティーカップが床に落ち、派手に音を立てて砕け散るが、そんなことを気にしている場合ではなかった。
少女が手にしている鈍色の筒。
一見ただの水筒にも見えるが、WAPの知り合いから無理を言って手に入れた、特殊な容器だった。
入手当時は空だったが、今は中身が入っている。
その中身は、決して素手では触れてはいけないモノだった。
だから、つい怒鳴りつけてしまった。
少女から容器を取り上げたことで安堵し、冷静さを取り戻した橘川は、
「あーいや、すまない、これは、とにかく──大変貴重なモノなんだ」
さすがに大人げなかったな──と、内心苦笑する。
しかし、それほど取り扱いに注意が必要なモノでもあった。
橘川は「貴重」という言葉を選んだが、下手に怖がらせないようにするための配慮で、実際には「危険」と言ったほうが正しい。
他人がこのリビングに入ることなど想定していなかったため、自分さえ気をつければ良いと甘く考えていた。
「い、いえ、その……ごめんなさい」
さすがに、しゅんと肩を落とす少女。
「落ちてたから、つい……」
「落ちてたぁ?」
橘川は眉根を寄せた。
管理がずさんとはいえ、さすがに危険物を床に転がしておくような真似はしない。
棚に入れておいたはずだ。
よくよく考えてみると、初めて来た他人の家の棚を、なんの許可もなく勝手に開けるような非常識な真似を、この子達がするとは思えない。
会って間もなかったが、人を見る目には絶対の自信があった。
空き巣にでも入られたか?
だったら、この容器に限らず他も荒らされているだろう。
時間勝負の空き巣が、積み上げられた資料を崩さないように気をつかうなど考えにくい。
そうなると、容器が勝手に?
橘川は、その可能性を本気で考えていた。
正確には、容器の中身が──だ。
そういう代物が入っている。
そうならないように加工された特殊な容器ではあったのだが──。
100%安全とは言い切れないと、入手の際に聞いていた。だから、入れてあった棚にも、独自の魔術的細工を施してあった。
嫌な予感が頭の中で膨らんでいく。
容器の蓋にかけた手に、慎重に力を入れていく橘川。
思っていたより簡単に回ってしまった。
嫌な予感が現実に近づく。
はやる気持ちを抑えて蓋を開けた橘川の顔から、血の気が引いた。
中には何も入っていなかった。
「これの中身は?!」
「中身?」
首をかしげる少女。
質問が悪かった。
「蓋は? 開いていたか?」
橘川が問い直すと、少女は目をしばたたかせながら、ぎこちなくうなずく。
「くっ──」
歯がみをした橘川は、片膝を尽くと、床に視線を這わせた。
少女も、なにがなにやら訳のわからないまま、とりあえず、辺りの床を見回す。
「あ、これ──ですか?」
少女の言葉に橘川は、「危険」とは伝えていなかったことを後悔する。
「絶対に素手で触るんじゃないぞ!」
慌ててそう釘を刺す。
「え?」
少女が顔を引きつらせた。
その指には、涙滴型をした透明な石がつまみ上げられていた。
手遅れだった。
橘川は目の前が真っ暗になった。
これから起こる惨劇が脳裏をよぎる。
「ご、ごめんなさい」
少女が慌てて、涙滴型の石を容器に入れた。
石が容器の底に当たり、カランと音を立てる。
橘川は呆然となった。
もしかしたら別の何かと見間違えたのかと思い、容器の中身をのぞき込んだ。
やはり間違いない。
なら、なぜ?
WAPではその石を「
色も形も様々で、そのどれもが宝石のような質感をしていることから、「石」という名が付けられているが、実際には歴とした生命体である。
表面には肉眼では見えない極細の触手が無数に生えており、それを利用して植物の生長ほどのゆっくりとした速度ではあるが移動もできる。
ひとたび触手が生物に触れると、瞬時に
それはまさに寄生であり、「
触手は生物の細胞と同化してしまうため、除去するにはその周囲の細胞ごと取り除かなければならないが、寄生から数分で重要な器官にまで達してしまうソレを完全に取り除くことは不可能である。
仮に魔族石のみを取り除いた場合、体内に残された触手は制御を失い無制限に増殖をはじめ、魔力のみならず細胞さえも食い散らかし、宿主を絶命させる。
つまり、寄生されたが最後、取り除くことはできない。
寄生した魔族石は、充分な魔力を得られないと脳を侵食し宿主の命令系統を乗っ取っる。
そして新たな魔力を求めてさまようことになる。その際に、触手と同化していた細胞を異形へと変化させることもある。
世間を騒がせている魔族とは、実はこの石に寄生された生物のなれの果ての姿なのだ。
人を含めた生物が魔族になり得る上に、倒した魔族が元は人間だった可能性がある──などと世間に知られれば大混乱になることから、WAPが魔法以上に隠しておきたい事実であった。
ゆえにそれは、決して触れてはいけない危険物である。
ましてやこの少女には、吸収する魔力すらないので、触れた瞬間に魔族化するものと思われた。
それなのに──。
魔力が元々ないがゆえに、逆に生物として認識されなかったのだろうか?
それとも他に何か理由が?
いずれにせよ、魔族石に直接触って寄生されないというのは前例がなかった。
魔力の強さだけを求めているWAPでは、見つけることができないであろう逸材。
橘川は俄然、この少女に興味がわいてきた。
「WAPでウィッチアイドルになるのは無理だろうね」
突然、話を戻した橘川に、少女はショックより先に戸惑いの色をみせた。
そんな彼女の心情などお構いなしに、橘川は今まで他人にはしたことのなかった魔力の話を、この会ったばかりの少年少女に話して聞かせることにした。
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