奏音の魔法

 南雲奏音は崖の下を覗き込みながら、橘川の合図を待った。

 左手の魔族石と一緒に握りしめている魔法陣を書いたメモは、いい具合に汗が染み込んでフニャフニャだ。

 臭う──かどうかはわからないが、なんとなく恥ずかしいので、これが終わったらこっそり捨ててしまおう。

 車で移動することになったのでポケットに入れようと思ったら、魔族石は逃げ出す危険性があるからしっかり握っているように言われた。

 魔族石が入っていた水筒のような入れ物は裏ルートで手に入れたものらしく、WAPに見つかるといろいろと都合が悪いらしい。

 仕方がないのでメモだけポケットに入れ、魔族石はそのまま握ってここまで来た。

 崖の下を魔族が通ると聞いたのでメモを取り出して握り直した。

 それからかなり時間が経つが、未だに魔族が現れる気配はない。

「おっ、ようやくターゲットを捕捉したか」

 少し離れた木の根元に腰を下ろし煙草を燻らせていた橘川がボソリと呟いた。

 反射的に顔を向けた奏音は、彼が目を閉じていることに気づいた。

 どうやら魔力の動きを感じ取っての発言らしい。

「来ます?」

「いや、まだ少し距離はあるな。ようやく1人が見つけて、こっそりあとをつけている──といった感じか。仲間の到着を待って──ん?」

 話の途中で橘川が言葉を切った。

「魔族の動きが止まったな。1人で仕掛けたのか? いや、尾行に気づかれて逆に襲われたか」

「「ええっ?!」」

 奏音のあげた驚きの声が、朝霧のそれと重なった。

「助けを呼んだ方がいいんじゃないですか?」

 奏音の心配をよそに、吸い込んだ煙をゆっくりと吐き出す橘川。その口元には笑みすら浮かんでいる。

「安全対策はしてあるってことですか?」

 朝霧が確認するように問いかけた。

「そういうこと。戦闘に慣れている子が近くに居るよ」

「それならそうと言ってくれればいいのに」

 奏音は思わず口を尖らせた。

「さてと、戦闘が始まった以上はここで待っていても仕方がない。こちらから出向くか」

 橘川は煙草を携帯灰皿に押し込むと、ゆっくりと立ち上がった。


 崖沿いをしばらく歩くと、川で大きな水柱が上がるのが見えた。

「おお、やってるやってる」

 慣れている橘川は楽しそうだ。

 河原に人影が見えた。

 まだ少し距離と高さがあるのでハッキリとはしないが、そこらにありそうな運動着を着た女の子だ。

 ステージ衣装ではないウィッチアイドルを見るのは初めてなので、少し新鮮な感じがした。

 そういえば橘川は、ステージ衣装は魔法でできていて魔族の攻撃から身を守っていると言っていた。

 ランクの低い魔族とはいえ危険であることに変わりはないのだから、あの運動着だって魔法でできているのかもしれない。

 彼女が拳銃らしきものを両手で構えた。

 反動で両腕が跳ね上がった瞬間、再び水柱が上がり銃声がこだまする。

 映画やドラマ、戦闘ライブなどで見る拳銃の撃ち方と比べると、かなり腰が引けている感じがする。

「ウィッチアイドルが使う魔弾には大きく分けて2種類あるのは知っているかい?」

 不意に橘川がウィッチアイドルのトリビア問題を出してきた。

「魔力の塊を飛ばすタイプと、銃と弾丸を魔法で生成して撃つタイプですね」

 朝霧に先を越された。

 ウィッチアイドルを特集したテレビ番組などで、よく紹介されるので知っている人も多い。

 もちろん奏音も知っていたので、負けたような気がして少し悔しい。

「そうだ。それぞれに長所があってWAPでは両方のやり方を教えるらしいけど、銃の生成は得手不得手が分かれるらしくてね、結局最後までできない子も多いらしい。彼女はしっかりできているようだね」

「橘川さんは、『銃の生成』の方は……?」

 奏音はほんの少しだけ期待を込めて聞いてみた。

「それがわかるなら、ステージ衣装もわかったかもしれないね」

 橘川がさも当然という口調で言って笑った。

「ですよねぇ」

 わかっていたことなので特にがっかりはしないが、

「あれ? でも、それだったら苦手な人は、ステージ衣装ってどうしてるんですか?」

「そこなんだよ。武器と鎧で根本的な何かが違うのか、鎧を優先すると武器まで手が回らなくなるのか、銃の構造を知っているかいないかの差なのか──」

「『構造』だとするなら教えれば済む話じゃないんですか?」

 朝霧が橘川の粗を拾い出す。

「教えられたがために却ってできないこともあるかもしれないぞ。部品一つ一つの生成に気をとられてしまって結局──とかね。そもそも魔弾が撃てればいいのであって、精巧な武器を作り出すのが目的じゃないからね」

「ああ、そっか、なるほど」

 なんとなく──という感じで朝霧も納得する。

「よし、ここら辺でいいだろう」

 橘川が歩みを止めた。

 川縁の魔族もよく見える。

 蜘蛛に似ているが脚の数は蜘蛛のそれより遙かに多く、大きさは中型犬ほどもある。

 ──が、どうしても小さいという印象を受けてしまうのは、戦闘ライブでウィッチアイドルが闘う魔族は大人の男性より大きいことが多く、それに見慣れているせいかもしれない。

 とはいえ、やはり魔族は魔族、瞬発力が尋常ではない。魔弾を簡単に躱してしまう。

 本格的に魔弾を習っているウィッチアイドルがあの調子なのに、初挑戦の自分が当てられるとはとても思えない。距離だって彼女よりずっとある。

「あんなのにどうやって当てればいいのぉ……」

 奏音の口から思わず本音が漏れる。

「上手い子は移動先を読んだり、弾速を上げたり、追撃させたり、気づかれないくらいの超長距離から狙ったりと、それぞれ工夫をしているよ」

 言いながら橘川は煙草をくわえ火を付けると、

「でもまあ、どれも高度な技術が必要だからね、一朝一夕にできることじゃない。初心者の嬢ちゃんは無理しなくていい」

 そう言って大きく煙を吐き出した。

 気遣ってくれているのだろうが、最初から期待されていないようで、それはそれで悔しい。

「あのぉ! 撃ってもいいんですかぁ?!」

 少し意地になった奏音は、声を荒げて問いかける。

「ああ、そうだな、そろそろいいだろう。ただし彼女にだけは当てないように。あとあと面倒だからね」

 橘川の冗談が、奏音の火に油を注いだ。

 頬をひくつかせながら、魔族石を握る左手を強く握り、右手の人差し指と親指を立てる。

 朝霧に視線を送ると、「がんばれ」とエールを送るように力強く頷いた。

 それで少し落ち着きを取り戻した奏音は、頷き返すと視線を魔族に戻し、左目を閉じて狙いを定める。

 あとは橘川がやったのを思い出しつつ、指先に魔力が集まっていくイメージ。

 相変わらず魔力がどういうものかわからないので、何かこうぼわぁっとしたパワーのようなよくわからないけど温かいモノが、左手のメモ用紙から流れ込んでくる様子を想像する。

 そして、それが体を駆け巡り、右手の人差し指へと流れて行き──。

「ばんっ!」

 ぱあぁんっ!

 奏音の声が、響き渡る銃声と重なった。

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