遠退く夢

「これが魔法……」

 南雲奏音は思わず呟いた。

 屋上に出るドアのノブはすんなりと回ってしまった。

 誰かが来ていることは確かではあったけど朝霧たちとは限らないので、音を立てないように慎重にドアを押すと、そっとのぞき込んで──。

 水篠が朝霧に頭を下げている現場を目撃してしまった。

 転校してきたばかりの彼女が、なぜ人気の無い場所でそのような行為に至ったのか? 何かトラブル?

 気になって、つい聞き耳を立ててしまった。

 少し距離があって聞き取りにくいが、水篠の口から出た「ファン」や「魔法」の単語からウィッチアイドルを連想した奏音は、すぐさまその可能性にまで思考を展開させていた。

 ──水篠はウィッチアイドルでは?

 会話を聞いているうちに、それは確信へと変わっていき──。

 ふと、先日会ったウィッチアイドル草薙桜夜と転校生の水篠桜夜は、同一人物ではないかという考えが脳裏をよぎった。

 それが呼び水となったように、二人の共通点が次々と頭の中に浮かんでくる。

 これほどわかりやすい特徴だらけ──いや、そもそも顔がそっくりなのに、どうして気付かなかったのか? 逆にそれが不思議だった。

 そして奏音は理解した。

 これが魔法なのだと。

 もしかすると、顔を隠しているわけでもないウィッチアイドルの正体が完全に謎なのは、こんなふうに魔法を使っているからではないだろうか?

 ただ、朝霧は話し振りやその内容からして水篠の正体に気付いているように見える。

 前にWAPの本社前で会った時もそうだった。

 自分だけが他の人と記憶が違うようなことを言っていた。

 あの時も魔法が絡んでいたのだとすれば、彼にはウィッチアイドルの魔法が効かないか、効きにくい何かがあるのでは?

 そうなると、光速の歌姫SIZUKIが双子の姉という彼の記憶も……。

 ──などと考えていたまさにその時だった。

「光速の歌姫SIZUKI──」

 一瞬、魔法か何かで頭の中まで読み取られたのではないかと息を飲んだが、すぐにそんな焦りなど吹き飛ばすほどの衝撃な言葉が続いた。

「あなたの双子の姉──」

 自分の状況も忘れ、思わずドアを開け放って聞き返してしまうところだった。

 聞き耳に集中していなかったので、どういう経緯で出た言葉かはわからないが、そこだけでも充分に朝霧が知りたかった情報が含まれていることはわかった。

 そしてそれは奏音がウィッチアイドルになるための交換条件でもあった。

 現役のウィッチアイドルから必要な情報が得られたのだから、朝霧はもう奏音に協力する理由がなくなったということになる。

 複雑な気持ちになるのも仕方がない。

 魔力のない奏音がウィッチアイドルになるためには、朝霧の協力は絶対に必要だと橘川は言っていた。

 ──夢が遠退いた……。

 最初に「WAPではウィッチアイドルになれない」と聞いた時よりショックが大きい。

 何もない状態から突き落とされるより、可能性を見せられてから突き落とされた方が、より絶望感が大きいということだろうか……。

 奏音は大きく息を吐き出すと、音を立てないようにそっとドアを閉めた。

 そのままの姿勢でしばらくいると──。

 ぐうぅぅぅぅぅ。

 お腹の音で呆然が解けた。

 お昼を食べる気分ではないのに、お腹はしっかりと鳴ってしまう。

 ないとは思うが、その音で盗み聞きが見つかってしまうのは恥ずかしい。

 奏音は重い足を引きずるように階段を降り始めた。

 下の階まであと数段というその時だった。

 遠くで悲鳴のような声を聞いた。

 続いて昼休みの雑踏が、それまでと違った異様なざわめきへと変わる。

 嫌な感じがする。

 過去に、これと同じざわめきを聞いたことがある。

 場所も時間も関係なく突然に現れる。

 ──それが魔族だ。

 ただ、ウィッチアイドルが転校してきたその日に──というのは運が良いのか悪いのか……。

 彼女の存在を知っている奏音には、そこで思わず首を傾げるだけの余裕があった。

 本当に偶然? もし、逆──だったとしたら?

 何らかの方法で魔族の出現を察知し、退治目的で水篠が転校してきた──とか。

「まさかね」

 そんな回りくどいことをしなくても、もっと簡単な方法はいくらでもあったはずだ。

 そもそも、まだ魔族と確定したわけではない。

 何か別の事件や事故の可能性だってある。

 ──それはそれで問題なのだが……。

 いま降りてきた階段を振り返ってみるが、屋上のドアは開く気配がない。

 もしかして、悲鳴やざわめきが届いていない?

 いや、草薙桜夜は魔力を感知できたはず。だったら気付くのでは?

 じゃあ、魔族とは関係ない?

 考えていても仕方がない。

 とにかく、奏音は行ってみることにした。

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