ウィッチアイドル

亜朝あおん

プロローグ

詩月しづきぃっ!」

 朝霧あさぎり陽音あきおは声の限り叫んだ。

 どんよりとした赤黒い空。

 鈍色の雲を鮮血で赤く染め上げたようなその不気味さに、空気まで重苦しく感じる。

 街の真ん中だというのに、道を歩く者は誰もいない。

 妙な胸騒ぎがする。

「どこだ詩月ぃっ!」

 陽音はもう一度、双子の姉の名前を呼んだ。

 不意に背筋がゾクッとした。

 反射的に振り向き──。

「────っ?!」

 驚きと恐怖で腹筋が縮み上がり声すらもでない。

 そこに黒い人影があった。

 逆光のせいもあったかもしれないが、それを差し引いても、とうてい人の肌とは思えない異様な色をしていた。

 ──青みがかった黒。

 異様なのは色だけではない。

 岩のようにゴツゴツとして、細かいひびが無数に走り、所々に棘のような先の鋭い突起がある。

 2メートルを越す巨漢のレスラーが、手の込んだ特殊メイクをしているのだと自分にいいきかせれば、納得できないこともない。

 しかし、向けられている殺気と、合計6本の腕は到底偽物とは思えないリアリティがあった。

 ──魔族。

 数年前、突如日本に現れた異形の怪物。

 個体差はあるものの、大抵の魔族は銃弾を全く受け付けず、人とは比べものにならないほどに力が強く、コンクリートの壁くらいなら簡単に穴をあけてしまう。

 しかし、それ以上に脅威なのは、魔法という科学を越えた力を扱う個体が、中に存在しているというところにある。

 最も多く目撃されている魔法が、魔弾とよばれるもので、何もない空中に謎の小さな塊を発生させ、高速で飛ばして対象物を破壊する。

 専門機関の調査によると、その威力は銃弾に匹敵するとされており、銃とは無縁の生活を送っていた日本人にとっては、魔法という得体の知れないモノへの恐怖よりも、銃と同等の凶器が身近になってしまったという恐怖の方が大きい。

 しかも、魔族はどこからともなく現れたかと思うと、闇雲に暴れ回るため、建物や交通機関、電気や水道など被害は多岐にわたり、死傷者も多数でている。

 テレビやネットのニュースでも度々報じられているため、映像や写真では魔族というものを見たことがあったが、いざ実物を目の前にすると、恐怖で体が動かなくなってしまった。

 振り上げられる片側3本の腕。人間の頭蓋骨くらいなら簡単に粉砕してしまうだろう。

 陽音の脳裏に、ニュースで自分のことが報じられる場面が浮かんだ。

 ──16歳の少年、魔族に殴打され死亡。

 死を覚悟した陽音の耳に、突然、歌声が聞こえてきた。

 聴いたことのある歌。

 タイトルは、「閃光」。

 魔族に唯一対抗できる力を持つ、ウィッチアイドル。

 その中でもナンバーワンの人気と実力を持つSIZUKIの魔法歌。

 それは呪歌とも呼ばれているように、歌うことが呪文の詠唱と同義。

 白銀の魔装衣ステージ衣装をまとい、その闘いは閃光のごとく人の目にはとまらない。戦闘結界ステージでは歌声しか聞こえないことから、付いた二つ名が光速の歌姫。

 ぼふんっ!

 突然、鈍い音を残し、2メートルを越す巨体が、遥か遠くのビルまで吹っ飛んだ。

 陽音が目をしばたたかせたその直後、ふわりと翻る白銀の布が視界に入った。

 そこには、白銀の衣を纏った美少女がいた。

 ツインテールにした長い黒髪には、星をちりばめたようなキラキラと光るラメ。

 テレビやネット、雑誌ではよく見かけるが、実物を見るのは初めてだった。

 これが本物のウィッチアイドル、光速の歌姫SIZUKI。

「あれ?」

 陽音が首を傾げる。

 どうして今まで気付かなかったのだろう?

 特に顔を隠したり、変装をしているわけではない。

 違うのは髪型に衣装、あとはわずかばかりの化粧くらいだ。

 見れば見るほどそっくりだ。

 双子の姉──詩月に。

 よくよく考えてみると、SIZUKIと詩月、読み方まで同じじゃないか。

 まるで狐に摘まれたようだった。

 それでも、なぜかまだ心の奥に人違いではないかという不安が燻っている。

 一緒に暮らしている双子の姉が、芸能活動をしているというのに気付かないわけないじゃないか。ただ単に似ているだけの赤の他人だ。

 執拗なまでにそう主張するもう一人の自分が、却って不自然に思えてきた。

 人違いだった時の恥ずかしさをやけくそ気味に振り切って声をかける。

「詩月……なのか?」

 一瞬、キョトンとしたSIZUKIは、上目遣い気味に陽音を様子を伺いながら、

「もしかして、魔法──効いてないの?」

「魔法?」

 陽音がもう一度首を傾げたその時だった。

 背中に何かが当たった感触。

 その衝撃は背中から胸の方へと突き抜けたような感じがした。

 いや、実際に突き抜けていた。

 左胸から細長い何かが突き出している。

 信じられない光景に状況を理解するより早く、服が濡れて重くなっていく。

 目の前のSIZUKIも、しばし茫然としていたが、すぐに状況を理解したのか、

「陽音ぉっ!」

 悲痛な叫び声を上げた。

 フラッと立ちくらみに似た感じがしたかと思うと、視線が勝手に不気味な空に向いていた。

「なんてことをするのっ!」

 すぐそこにいるはずのSIZUKIの声が妙に遠い。

「おかしなことを言うのね? 私は任務を遂行しただけよ」

「医療スタッフ! 早く!」

「無駄よ、心臓がもうダメだもの。それで意識があるっていうんだから皮肉よね」

 そう言ったのは誰だろうか?

「今すぐに別のを移植すればなんとかなるかもしれないけど、その『別の』がないんだからどうしようもないじゃない?」

「陽音、しっかりして! お姉ちゃんが絶対たすけるから!」

 お姉ちゃん?

 やっぱりSIZUKIは詩月なんだ。

 そんなことを考えながら、陽音は深い闇の底へと沈んでいく。

 歌が聞こえてきた。

 美しく澄んだ、優しくて温かい歌声。

「だから諦めなさいってば。あなたの医療魔法じゃ、わずかばかりの延命で精一杯でしょ? 仮にソレで医療スタッフが到着したとして、臓器再生なんて大魔法が使えるウィッチがいる?」

 外野がうるさい。

「ねえ、聞いてる? そんなことしたってどうせ助からないんだから、魔力をドブに捨てるようなものでしょ、苦しむ時間を延ばすだけ却って残酷だわ」

 歌が聞こえないじゃないか。

「ちょっ?! なにをする気?! まさかあなた──」

 だから、少し静かにしてくれ!

「やめなさいよ、聞いたこと無いわよ、術者が自分で自分の心臓を他人に移植するなんて」

 自分の心臓? 移植?

 ──まあ、いいか。

 歌声に耳を傾けていると、痛みも恐怖も不安も消えていき、満たされた気持ちになれた。

 懐かしい。

 それは、幼い頃に大好きだった子守歌に似ていた。

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