転校生

「なっ?!」

 朝霧陽音は思わず絶句した。

 ──転校生。

 緩いウェーブのかかった長い金髪、モデルのようにスラッと高い身長、制服をこれでもかと押し上げる大きな胸、透き通るような白い肌、宝石のような蒼い瞳、そして整った顔立ち。

 教室がざわめくのも仕方がない。特に男子。

 しかし、問題はそんなことではなかった。

 彼女が、この間の日曜日にウィッチアイドルの実戦訓練で会った草薙桜夜ということだ。

水篠みずしの桜夜さくやです」

 彼女はそう自己紹介をした。

 それが本名で草薙は芸名──あるいはこちらが偽名ということも考えられる。

「祖父がイギリス人なのでこのような見た目ですが、日本で生まれて日本で育ったので日本語しか話せません。英語は苦手なので聞かれても困ってしまいます」

 綺麗な日本語で冗談(?)を交え笑いを誘っているが、陽音はそれどころではなかった。

 偶然──ではないだろう。

 やはりあの時に疑われていて、ここまで追いかけてきたと考える方が自然だ。

 しかも、わずか数日の間に同じクラスに転校してくるなんてデタラメなこと、WAPの力がなければ無理だ。たぶん……。

 でも、なぜわざわざ学校? 疑うなら家に直接来て監視なり調べるなりしたほうが早いような──。

 もしかして、もう全部調べ終わっている?!

 数日は空いているし、あり得ないことではない。

 あとは話を直接聞き出すだけ──とか?

 さすがのWAPでも、普通の高校生に何の理由もなく尋問はできないので、先にクラスメイトになっておけば、多少強引に出ても友達同士の揉め事として処理できるという魂胆?

 ──いや、だったら、わざわざ転校なんて面倒なことをしなくても、普通に友達になればいいだけの話だ。

 お互いに自己紹介は済んでいるわけだし。

 ──あ、でも、ウィッチアイドルのルールに、学校以外の男子と友達になってはいけない──とかあったりして。

 パパラッチの目より、転校のほうが遙かにマシ──みたいな。

 どれだけ凄いんだパパラッチ。

 いやいや、何もあの場に居たのは自分だけじゃない。

 南雲に接触すれば問題ないわけで──。

 わからない。

 考えれば考えるほど、迷走していく。

 あと、もう一つ気になるのがクラスのみんなの反応だ。

 普通に会話ができる程度にはウィッチアイドルの知識がある陽音でも、会うまでは知らなかった草薙桜夜。

 しかし、クラスには陽音の知識量を遙かに凌駕するウィッチアイドルマニアが何人もいる。

 中には現役ウィッチアイドルの名前と呪歌とスリーサイズを完全に把握していると豪語する強者だって……。

 そういった連中が黙っているわけがない。

 確かにざわめきはあるが、それはあの外見に対してだけで、ウィッチアイドルだからというわけではない。

 そういえば、双子の姉がウィッチアイドルだという記憶。

『もしかして、魔法──効いてないの?』

 キョトンとした顔のSIZUKIの言葉。

 あれが現実に起きたことだとするのなら、ウィッチアイドルの素顔が謎なのは、徹底した変装で気付かれないようにしているのではなく、何かの魔法を使っているからではないだろうか?

 そうとでも考えないと、これだけ特徴のあるウィッチアイドルが、変装もなしに気付かれないワケがない。

 その仮説が正しいとするなら、なぜ自分だけは?

 南雲が魔族石に寄生されない特異体質であるように、自分は魔法が効きにくい特異体質だったりするのだろうか?

 完全に効かないわけではないのだろう。魔族に襲われたあの時までは、詩月とSIZUKIが同一人物だとは夢にも思わなかった。

 もちろん、双子の姉──朝霧詩月が本当に存在するのであればの話だが……。

 こちらも考えれば考えるほど迷走していく。

 陽音が頭を抱えたその時だった。

「よろしくね」

 すぐ近くで声がして、陽音は跳びあがるほど驚いた。

 顔を向けると、いつの間にか草薙──いや水篠が隣の席に座っていた。

「な、なんでぇ?!」

 思わず声を上げてしまった。

 今朝までは右隣の席は別の女子だったはずだ。

 その女子はいつの間にか一つ後ろに下がっている。

 陽音の席は教室のほぼ真ん中だ。わざわざその隣に来るなんて、どんな理由を考えても説明がつかない。

「なにボケかましてんだよぉ」

「水篠さんに見とれてるんじゃねぇっての」

「くぅー、うらやましいな、このヤローぉ!」

「俺と席変われーっ!」

 あちこちから男子達のヤジが飛んでくる。

 それでいて「不公平」とか、「納得できない」などという声は一つも上がらない。

 みんなは、この不自然な席決めを何の疑問も感じず受け入れている。

 ──と、いうことは、これも魔法?

 そこまでして、いったい何がしたいんだ?

 真綿で首を絞めるように精神的にジワリジワリと追い詰めようという魂胆?

 あーもう、いっそのこと堂々と尋問してくれたほうがまだマシ──。

 いや、待てよ、本当だったら自分にも魔法は効いていて、こんな異常な状況でも普通に受け入れていたんじゃないだろうか?

 そうだとするのなら、効いた振りをしておいた方が良いのでは?

 目的はわからないけど、魔法が効きにくいと知られたら、いろいろと面倒なことになるかもしれない。

 例えば、もっと強力な魔法を使われるとか、下手をしたら拉致された挙げ句、騒ぎにならないようにみんなの記憶から存在を消されたりとか……。

 とにかく今は水篠を警戒しつつ、口の中で「よろしく」とだけ返しておく。

 これは橘川に相談したほうがよさそうだ。

 あと気をつけなければいけないのは、南雲の特異体質と魔族石か──。

 橘川にもそれは強く言われている。

 この間の魔族石は橘川の家に保管してある。ソレが手元にない以上は特異体質に気付かれることはないだろう。

 でも安心はできない。南雲に自白をするような魔法を使われたら終わりだ。

 WAPが南雲の特異体質を知ったら、それこそ──。

 逆にそれをきっかけにウィッチアイドルへの道が開ける──なんてことは、あるのだろうか?

 たぶんWAPは魔力のない南雲を戦力としては見ないだろう。そうなると研究が目的になるわけで──。

 さすがに解剖まではないだろうけど、血液検査や薬物投与くらいはあるかもしれない。

 臨床試験なんかもされて、データをとるために体の隅々まで調べられたりとか……。

 ──体の隅々……。

 つい、浮かんでしまったいかがわしい妄想を、陽音は慌てて頭を振って打ち消した。

 しかし、思春期のそこは既に反応を始め、ズボンを押し上げていく。

 顔が火照らせた陽音は、誰にも気付かれていないことを祈りつつ、さりげなく目立たない位置にずらす。

「ふふ」

 小さな笑い声が聞こえた気がした。

 息を飲んだ陽音は、その方向を恐る恐る視界へと入れていく。

 そこには蒼い瞳があった。

 頬杖に支えられた興味津々の笑顔は、机へと流れる金色の髪と相まって妖しげな美しさを醸し出している。

 慌てて顔を戻してうつむく。

 見られた?

 サーッと血の気が引いていく。

 いや、大丈夫。視線は下の方には行ってなかった。

 そう自分に言い聞かせたが、すぐに悪い考えが頭をもたげてくる。

 いくら魔法が効かなくても、弱みを握られてしまったら元も子もない。ソレをネタに自白を迫られることも考えられる。

 言い聞かせと悪い考えとで思考の塗り直しを何度も何度も繰り返し、そのせいで午前中の授業は全く頭に入らなかった。

 その間もずっと蒼い視線に貫かれているような気がしたが、確認をしたわけではない──というか確認できなかった──ので、単なる疑心暗鬼かもしれない。

 昼食も喉を通らないし、とにかく教室から出たいので陽音は席を立った。

 橘川にも連絡しないといけない。

 実をいうと授業の合間に何度か電話をかけているのだが、仕事で忙しいのか連絡がつかなかったのだ。

 弱みを握られたことも相談しないわけにはいかないだろう。

 ──さすがに「弱み」の内容までは恥ずかしくて言えないけど……。

「朝霧くん」

 教室からの脱出まであと僅か──というところで、背後からの綺麗な声にビクッと肩が跳ね上がった。

 背筋を冷たいモノが流れる。

 一瞬、無視して駆け出したい衝動に駆られたが、ウィッチアイドルの彼女が本気を出したら逃げ切れるものではない。

 むしろ逃げたことで余計に怪しまれるかもしれない。

 陽音は小さく息を吐くと、渋々──しかしなるべく平常を装って振り向いた。

 そこには、にこにこ笑顔の水篠が立っていた。

 こうして見るとやっぱり美人で、でも可愛らしさも同居していて、さすがウィッチアイドルだと思う。

 もし何もない本当にただの転校生だったなら、名前を呼ばれたときに別の意味でドキッとしただろう。

「な、なに?」

 できるだけボロが出ないように最小限の言葉で返す。

「校内を案内していただけないかしら?」

 たぶん、言葉通りの意味ではないだろう。

 陽音はクラス委員でもなければ日直でも何でもない。単なる隣の席というだけだ。しかも、ほとんど話をしていないどころか、顔すらあまり合わせていない。

 さらに言うと彼女は、学校案内を買って出たクラスメイトを何人も断っていた。

 ──にもかかわらず陽音を指名をしてくるなど、別の目的があるとしか思えない。

 断ろうか迷ったが、弱みを握られた以上は──いや、実際に握られたのかどうかも定かではない。それを確かめる意味でも、彼女に付き合ったほうがいいと判断して小さく頷いた。

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