草薙桜夜
「来るぞ」
小声で鋭く発した橘川蔵人は、次の瞬間には表情を一転させた。
何食わぬ顔──ポーカーフェイスはお手の物だ。
ただ、背後の方から近づきつつある大きな魔力はかなりのプレッシャーで、額に浮かぶ汗までは、さすがに止めることができない。
幸い隠せるだけの前髪はあるので、なんとか誤魔化せるだろう。
大きな魔力の主は、すぐそこまでは結構な速度で移動していたのだが、あと少しというところに来て急激に速度を落とした。
こちらに逃げる意思がないと判断して魔法を解除したのか、あるいは逃がさない自信のある範囲内に入った余裕からか──。
振り返れば肉眼で見える距離だが魔力感知を誤魔化す意味でも、もう少し気付かない振りを続けることにした。
河原には続々とWAPのスタッフが集まってきていて魔族の回収作業を行っている。
──例え体毛一本でも魔族のモノは残さない。
それはどの現場でも徹底されていることだ。
今回は粉々なので大変そうだが──。
そういえば魔族石は見つかったのだろうか?
練習生は少し離れた所で集まっている。
そこには、高瀬──だろうか? 距離があって顔まではわからないが、一人の女性スタッフが練習生達に何かを話している。
その部分だけを切り取ると演劇かダンスの練習風景のようにも見える。
実戦訓練が終わったあとにはよく見る光景なので、引き上げるタイミングとしてはおかしくないはずだ。
「さて、そろそろ引き上げるとしようか」
不自然にならないギリギリの所まで声を張り上げてみせる。
ザッ、ザッ、ザッ──。
草を踏む音がゆっくりと近づいてきた。
それで初めて気付いた──と装いつつ振り返る。
「お久しぶりです、橘川さん」
わずかにウェーブのかかった金色の長い髪。
日本人離れした整った顔立ちは、祖父がイギリス人のクォーターらしい。
平均並みの身長である橘川と目線の高さがほとんど変わらないのは、履物のせいでないだろう。
なにせ彼女が履いているのは、たいして底の厚くない草履なのだから。
和風なのは履物に限ったことではない。彼女が身に纏う
豊満な胸が窮屈そうで、そこがまたファンを魅了している。
怨歌の妖刀使い、
過激な内容の歌詞を和楽器を使った軽快な曲で演歌風にこぶしを回して歌い上げる独特なスタイルの呪歌は、魔法色戦闘色を強めるため「
戦闘スタイルは二つ名にある通り刀で、さすがに歴史上に登場するような妖刀ではないが、魔法で生成した刀は硬い魔族の皮膚も簡単に両断する。
特に抜刀術を得意とし、魔法による超加速抜刀は魔力次第では光をも超えるとまでいわれ、光速の歌姫とどちらが強いのかを巡ってファン同士が衝突することもしばしばある。
ただWAP調べのウィッチアイドル総合ランキングでは、1位のSIZUKIに対して47位とあまり振るわない。
メディアへの露出やファンとの交流が多いSIZUKIと違って、活動を戦闘ライブに絞っていることが影響しているのは明かであるが、逆に謎の多い高嶺の花が彼女の魅力にもなっていた。
業界ではメディア嫌いとか人嫌いとの噂もあるが、以前、橘川が取材をした時は、そんなことは全くなかった。むしろ人当たりの良さすら感じたほどだ。
ただし、はっきりとモノを言うタイプで、自分にも他人にも厳しく、敵を作りやすそうな印象は受けた。もしかするとそれが悪い噂に関係しているのかもしれない。
なお、一般公開されている総合ランキングとは別に、WAP内部だけで共有されている社外秘の裏ランキングがあり、そちらでは桜夜は9位につけているらしい。
これは様々なデータを元に総合的な強さを数値化した順位で、実際に闘えばさらに上かもしれない──と、情報を提供してくれた知り合いは言っていた。
「その節は、大変お世話になりました」
桜夜が丁寧にお辞儀をした。
「いやぁ、こちらこそ」
営業スマイルを浮かべる橘川。
「その後はどうですか?」
「おかげさまで大勢の方が記事を読んでファンになってくださいました」
優雅な笑みで応える桜夜。
「今日は橘川さんがいらしていると聞いて、ご挨拶をと思いまして」
「ああ、そうでしたか。わざわざすみません」
確かに記事が出た後に表の順位がそこそこ上がったのは確認している。彼女の言葉は単なる社交辞令ではないだろう。ただし全部を鵜呑みにしたわけではない。
挨拶は嘘ではないと思うが、おそらくはそれだけではないだろう。
彼女はここに来たとき、ほんのわずかだが橘川の背後に視線を流した。
若い同伴者を珍しがった可能性も否定はできないが、それだったら朝霧がいる方ばかりなのが気になる。
そもそも彼女が魔力を感知できるのであれば、少年の魔力の大きさが気にならないわけがない。
そこまで考えを巡らせて、はたと気付いた。
もしかすると、南雲が放った魔弾の軌道を感知して怪しんだのではなく、単に朝霧の魔力に興味を持って見に来ただけなのではないだろうか? 挨拶を出しに使って──。
少なくとも少女に意識を向けられたのでなければ、それでいい。
橘川は少し警戒を緩めると、下手に勘繰られる前に先手を打つことにした。
「ああ、そうそう、話が行ってると思いますが、彼らは社会見学でして──」
紹介する振りをして少年達に目配せをする。
「ええ、聞いています」
今度は堂々と朝霧に笑顔を向けると、
「草薙桜夜です」
改めて丁寧なお辞儀をする。
「あ、えっと、朝霧──陽音です。」
警戒を隠そうと頑張ったようだが、作った笑顔がなんともぎこちない。
しかし、一般の男子高生が初めてウィッチアイドルに会って緊張──と取れるので良しとしよう。
「南雲奏音──です」
こちらも表情に硬さがあるが少年とはまた違う。どことなく機嫌が悪そうだ。こうも露骨に少年ばかりでは無理もないか。
「そういえば、みんな同い年じゃないかな? 16だろう?」
すこしだけ緩和剤を投入してやる。
「「ええっ?!」」
少年少女が想像通りの反応を見せてくれた。
身長と顔立ちに加えて着物とこの物腰だ、むしろ実年齢を知っても驚かない方が珍しいだろう。
桜夜もその反応には慣れているようで相変わらずの笑顔で受け流し、
「どうぞご贔屓に」
離脱のタイミングとしては悪くないと判断した橘川は、
「さて、我々はそろそろ引き上げるとします」
「あら、そうですか……」
桜夜は少し残念そうにして見せたが、これは社交辞令だろう。
「もう少し練習の様子をお見せできたら良かったのですが──」
「いやいや、聞くところによるとみなさん実践の経験が浅いそうですが、それでも一人で魔族を討伐できるのですから、なかなか将来有望で我々も安心ですよ」
「そうですね。私も楽しみですわ」
その言葉に何か含みを感じたような気がしたが──。
もし探りを入れてきているのであれば、これ以上の会話は危険かもしれない。
「では、これで」
橘川は営業スマイルで軽く顎を引いて話を打ち切った。
頭を下げる桜夜の横をゆっくりとすり抜け、しばらく歩いた所で大きめに息を吐き出す。
念のため緊張は緩めず、言葉も交わさず車まで戻る。
朝霧と南雲を先に乗せたところで高瀬が戻ってきたので、挨拶を済ませ運転席に乗り込んだ。
ドアを閉めると、少し緊張が緩んだ。
シートに全体重を預け目を閉じたい衝動にとらわれたが、WAP陣営のど真ん中なので気を引き締めなおして車のエンジンをかける。
車が動き出して、ようやく肩から力を抜くことができた。
「なかなか貴重な体験ができたんじゃないかい?」
笑み混じりの軽い口調で空気を和らげる。
「はひぃ」
朝霧が返事と一緒に力を吐き出す。
「あの人って強いんですか?」
南雲はまだ機嫌が悪いようだ。
「桜夜かい? ああ、強い。あまりメディアに出ないから知名度が低く、外部からの魔力提供量の少なさが大きなビハインドだけど、十分な魔力が得られる状況下なら上位に食い込むだろうね」
「ううぅ」
バックミラーに映る南雲は、イラストや漫画なら縦線が入りそうな顔をしていた。
だが、決して絶望をしている様子はない。
それどころか、ライバル心すら持っていて、だからこそ、あまりの大きさに先はまだまだ長いと辟易した──そんなふうに見て取れる。
「まあ、少なくとも練習生とは肩を並べられたか──半歩くらいは前に出ているかもしれない。これは思っていたよりずっと早くデビューのチャンスが巡ってくるかもしれないぞ」
「僕もそう思うよ」
朝霧の援護もあって、ようやく南雲の機嫌も直ったようであった。
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