七 闇の手



 広々と広がる草原の真ん中を走る道を、一つの隊商が進んでいた。風が、草原をなでて、さわさわと草が波打っている。雲はゆったりと流れ、空がなんだか広く感じられる。

「今夜はここいらで野営になりそうだな」

 日の傾きぐあいを見ながら、シェーンの父――ダグがぼそりと言った。

 ええ、とシェーンの母――アリーが静かにうなずく。

 シェーンが、ぶつくさと文句を言っているのが、ぼんやりと聞こえる。

 そんなやり取りを、レアンは虚ろな気持ちで聞いていた。


 レアンたちの隊商がユーラムを出たのは、荷の詰込みやら何やらがあって、昼近くだった。隊は四つの商団と、護衛として十人の用心棒で編成されていて、二人一組の用心棒がそれぞれ商人の馬車と馬車の間に入り、さらに隊の先頭と最後尾にそれぞれ二人ずつ用心棒が入るという隊列が組まれた。

 レアンたちの馬車は、一番後ろで、ダグは馬車を操り、アリーとシェーンは馬車の空いている場所に乗っていた。これから先の道のりは長いので、レアンも馬車に乗り込むように勧めたが、レアンはそれを断り、歩くことにした。自分の足で歩きたかったからだ。

 そんなレアンに、ダグは変わったやつだなと言ったが、それ以上馬車に乗ることを勧めることはなかった。シェーンも、にいちゃんわざわざ歩きたがるなんて、変態だよ、おれだったら乗るなって言われても乗るけどね、などと軽口をたたいたが、レアンは、別にいいだろ、とそっけなく返した。

「坊主、自分の足で歩きてぇってのは殊勝なことだが、そんなんでこの先持つのか?」

 最後尾を歩いていた中年で体の大きな用心棒の男が、面白がるように言った。用心棒の男は右手に短槍を抱えていて、旅装に前開きの外套を羽織っていた。そして、その引き締まった肉体は、いかにも凄腕の武人といった雰囲気を醸し出していた。

「おれは森の民アルシェだ。長く歩くのは慣れている」

 用心棒の男の見た目に圧倒されながらも、レアンは冷静に答えた。

「へぇ、坊主、森の民アルシェなのかい。でも、森と街道じゃ、同じ歩くにしたって、全然違うんだぜ。森に比べて、街道の道は硬いからな。そういう道を歩きなれてなかったら、結構足が疲れてくるもんだぜ。それに、いまはまだ舗装されてない道だからいいが、これから先、舗装された石造りの道もあるからな、それも慣れてなきゃ、結構足に来るんだぞ」

 なおも変わらぬ口調で、用心棒の男に言われたので、レアンは少し自信がなくなってきたが、ここで意志を曲げるのは何か悔しかったので、少し強がりを言った。

「別に大丈夫だ。気合で何とかする」

 用心棒の男は、微笑みながら、無精ひげをさすった。

「ずいぶんと強情だなぁ。おまえ、ダグさんのとこの下働きじゃないだろう? なんたってラグダムへ行こうってんだい?」

「人探しだ」

 復讐のために旅をしているなんて、この人の前では言いたくなかったので、短くそう答えた。

「人探し? そりゃ、どんな奴だい?」

 用心棒の男は眉を上げた。

「それは……」

 答えたくはない。レアンは答えに困った。そんな様子を見て、ダグが仲裁に入った。

「おいおい、バーンさんよ。なんたって、そんなにレアンに話を聞きたがるんだい。見ての通り、まだレアンは子供じゃないか。それに、あまり客のことは詮索するもんじゃないだろう?」

 バーンは、ふん、と鼻を鳴らした。

「ガキだろうと関係ないね。それに必要とあらば、客の秘密だって、聞かせてもらわにゃ困ることだってある。そこのガキは、わずかだが殺気を放っているんだ。どんな魂胆で、隊商に同道しているのかわからなきゃ、安心して護衛できねぇんだ」

(……そういうことか)

 自分は知らぬ間にそんなに殺気立っていたのか。いままでそんなに意識はしてこなかったし、誰にも気取られてこなかったので、自分がそこまで殺気立っているとは思わなかった。やはり武人というのは、そういった血の気や殺気を感じ取りやすいものなのだろうか。

 何にせよ、自分が旅の目的を話さないことで、隊商に害のある存在かもしれないと疑われているのは、旅の目的を話すことより都合が悪い。

 レアンは仕方なく、旅の目的を話すことにした。

「おれは、おれの母さんを殺して、おれの集落を襲った男探している」

「探してどうする? 復讐か?」

 挑発するような口調で、バーンが言う。

「それは……会ってみなければわからない」

「わからないってことはないだろう? お前、相当そいつのこと憎んでいるだろう。そいつの話をした途端、相当顔がゆがんだぜ」

 レアンはバーンの胸倉につかみかかった。だが、バーンは平然としていて、もう一人の仲間に、先に行っているよう手で合図を送った。

「そんなの……あたりまえだろ! 母さんを目の前で殺されて、集落のみんなを殺されて、集落を焼き討ちにされて、憎むなっていうほうがおかしいだろ!」

 バーンは、軽々とレアンの手をどけて、薄ら笑みを浮かべた。

「別に憎むな、なんて言ってないし、憎むことがおかしいことでもないさ。おれが気に食わないのは、おまえが答えを濁していることだ。そいつのことが憎くて憎くて殺してやりてぇなら、そう言ってみたらどうなんだ?」

 その言葉に、頭の中の糸がぶつりと切れた。

「ああ、そうだよ! おれは、復讐のため集落を出たんだ! 必ず集落を襲ったやつを見つけて、母さんの仇を討つんだ! たとえ差し違えたって、必ず殺す。母さんが受けた苦しみを、集落のみんなが受けた苦しみを、何倍にもして、体に刻み付けてやるんだ!」

 腹の底から湧き上がってきた怒りが、頭の中を支配した。自分でもなんでこんなに怒っているのかわからなかった。

「おおっ、やっと本音を出したな。それでいい。おれは、憎しみは憎しみしかうまねぇだか何だかいうようなきれいごとを言う気はねえ。だが、おまえじゃあその復讐は遂げられないだろうなぁ」

「なぜそんなことが言える?」

 低くうなるように、レアンが言う。

「言えるさ。お前は憎しみで頭に血が上りきっている。そんなんじゃあ、単調な戦い方しかできなくて、簡単に殺されちまうよ。それに、おまえの口ぶりじゃあ、相手は武人と見た。たかだか森で狩しかしてこなかった森の民アルシェのお前が、武人相手にまともに戦えるわけないだろう」

 確かにバーンの言う通りだった。そして、見て見ぬふりをしてきたことでもある。集落であの男と対峙したとき、全く歯が立たなかった。それはあの男が火の精サラマンダーの力を使えるからではなかった。あの男とレアンとの間には、圧倒的な実力の差があったのだ。プリムラと契約して、地の精ノームの力を得たって、まだまともに使えない。何もかもが、あの男に劣っている。

(おれは……何もかもが中途半端だ)

 悔しさで歯を噛みしめた。

「坊主、強くなりたいか?」

 レアンはうなずいた。

「じゃあ、ちょっとだけおれが稽古をつけてやってもいいぜ。ただし、隊商の旅の途中だから、夜限定でな。どうだ、受けてみるか?」

「お願い……します。でも、何で? おれは復讐のために力が欲しいのに」

 バーンは鼻で笑った。

「さっきも言ったろ。おれは復讐がいけないだのなんだのというきれいごとは言わねえの。それに、おまえに教えるのは、基本的な護身術だ。さすがのおれもあたら若い命が簡単に散っていくのは、気分が悪いからな。あとは、おまえへの投資だ。もしこれで、おまえが武術の道へと進んで、腕利きの武人になれば、おれのとこで雇えるかもしれんしな」

 バーンはあっけらかんとしていた。

「大人は汚いな」

「合理的といってくれ。ただで何かを得られると思うな。さあ、隊からだいぶ離れてしまった。走るぞ」

 隊と合流したあとは、誰とも話さなかった。話せなかった。みっともない姿を見せてしまったのが、急に恥ずかしくなった。


 そんな昼間の出来事を思い出して、レアンは、一息、ため息をついた。横から指す西日が少しまぶしい。

 ほどなくして、隊商長からの伝令が下って、この先の野営地で一晩を過ごすことになった。

 野営地は小さな林に囲まれていて、草はほとんど生えていなく、灰白色の砂利が露出していた。所々に焚火をしたような、黒く燃え残った薪と灰のあとが残っている。

 野営地に着くなり、ダグたちは荷車から天幕を下ろし、組み立て始めた。誰に言われることもなく、レアンもそれを手伝った。だが、その最中もレアンはほとんど口を利かなかった。

「それにしても……」

 夕食のあと、一家で焚火を囲んでいるときに、ダグが堰を切ったように口を開いた。

「昼間は驚いたなぁ。あんたがそんな理由で旅をしていたなんて……」

 ダグに悪気はないのだろうが、その言葉につきりと胸が痛んだ。

「すまない。取り乱してしまって、その……」

 言葉に詰まりながら、レアンはうつむいた。

「なにを、謝る必要があるの? 誰だってそんなことがあれば、冷静じゃいられなくなると思うわ」

 アリーは立ち上がり、レアンの前まで来ると、そっとレアンを抱きしめた。アリーの柔らかい胸が顔に当たる。なんだか懐かしい感じがする。

「つらかったでしょう。あなたがどれくらいつらい思いをしたのか、わたしには想像しかできないけど、きっと、とても、とてもつらい思いをしたのよね。あんなに人を恨んでしまうくらいに……」

 レアンの頭をなでながら、アリーがささやく。その様子を、ダグとシェーンがあんぐりと見つめている。

「…………」

「おばさんね。正直、あなたに復讐なんてしてほしくないって、思っているの。だって、あなたは、本当は優しい子だって、わかってるから。じゃなきゃ、見ず知らずのわたしを助けてくれないでしょ。あなたみたいな子が、復讐なんてしたら、きっと後悔すると思う」

 アリーの口調は、なんとなく母に似ていた。どうりで懐かしくなるはずだ。優しくあたたかく包み込む母のぬくもり。目頭が、少し熱くなる。

 だが――。

(これ以上は……)

 まずい。昼間とは違う感情がこみ上げてきて、こぼれてしまいそうだ。これ以上、みっともない姿を、他人の前でさらすのは嫌だ。

 もう大丈夫だからと言って、レアンはアリーから離れた。母の余韻が、体に残る。

「よっ、もう飯は食ったな。そろそろ稽古始めるか。明日もあるから、時間はないぞ」

 ちょうどいいときに、バーンが来てくれた。初めてバーンに心から感謝した。

「……おばさん、おれたぶん、やるよ。たとえ後悔することになったって。だって、このままじゃ、死んでいった人たちが報われないよ」

 バーンに歩み寄り、レアンは、背を向けたまま言った。

 アリーは何も答えず、ただうつむいた。

 稽古のために、野営地のはずれに向かう最中、バーンは、にやりとレアンの顔を覗き込んだ。

「さっき、泣きそうだったろ。どうした? 母ちゃんのこと思い出しちまったか?」

 何て無神経なことを言うのだろう。

「うるさい! そんなんじゃねえよ」

 嘘だ。確かにさっきは、母のことを思い出して、もう戻らぬ母を思い出して、涙が出るところだった。だがそんなことを、この男の前で認めてしまうのは大変癪だったので、精一杯強がっておいた。

 そんなことはお見通しだというふうに、バーンが鼻で笑う。

「まったく強がっちゃって、かわいくないねぇ」

 レアンはムスッと顔を膨らました。まったく、気に食わないおっさんだ。

 林の中へ入ると、バーンは、さて始めるか、と言った。

 稽古の内容は、本当に護身のためのものだけだった。まずバーンが、手本として受け身の取り方や、攻撃のかわし方を教えてくれるのだが、見るのと実際やるのとでは全然違って、それはもうひどいくらいに、ぼこぼこにされた。何度も投げ飛ばされては背中を打ち、容赦のない蹴りや拳があざを作った。

 痛みで一瞬遠のいた意識の中で、バーンと父の姿が重なった。父に狩りの技を教えてもらっていたときも、それは厳しく教えられたものだ。バーンの口調は、そのときの父の口調に少し似ていた。まあ父はバーンのように、容赦なく息子を蹴ったり投げたりするような人ではなかったが。

 そんなどうしようもない感傷に浸りながらも、レアンはひたすら投げられ続け、殴られ続けた。最初はただ一方的にやられるだけだったが、終わるころには、何回かに一回はちゃんと受け身を取ることができるようになり、攻撃をかわすこともできるようになった。

 体のあちこちが痛む。これでもバーンは手加減していると言うが、あれだけやられれば、そんなことは関係ない気がする。

 ダグたちのもとへ戻ると、あまりのあざの多さに、みんなに心配されたが、大丈夫だからと言って、床についた。疲れていたせいか、落ちるように眠った。


 二日目からは、馬車に乗ることにした。稽古の疲労が半端ではなかったからだ。

 馬車の荷台で、他愛もない話をアリーたちとする。昨日の夜のような話題は、一切上がらなかった。あえて話題にするつもりもなかったが、気を使ってくれたのだろう。

 だが、道中ずっと話をしているということもなく、話題が尽きると、レアンはうたた寝をした。まだ、体に疲れが残っていたのだ。そして、目を覚ますと、昨日の稽古の内容を反芻した。

 二日目の野営地は、ウラム河の支流の一つであるルスプ川を越えた先のほとりでということになった。

 せっかくの水辺ということで、皆かわるがわる水浴びをして、汗を流した。

 レアンもダグたちのあとに、川へ行った。冷たい川の水が、あざにしみてヒリヒリしたが、なんだかすっきりした。

 その日も夕食のあとで、バーンに連れ立って野営地のはずれの川のほとりまで、稽古に出た。川のほとりは、ごつごつとした大きな岩がいくつかあって、少し見通しの悪いところだった。川の水面に、月が映る。

 レアンとバーンは向かい合った。

「さて、今日も始めるか。やることは昨日と一緒だ」

 バーンが言って、レアンが無言でうなずいた。

 レアンは身構えて、バーンの攻撃を待った。そのときだった。バーンのさらに後ろの岩の陰で何かがきらりと光り、レアン目がけて何かが飛んでくるのが見えた。

 すぐさま真横に飛び、それをかわす。突然飛んできたそれは、レアンの後ろ岩に当たり、カランと地面に落ちた――小刀だ。

 バーンが素早く短槍を構えて、振り向く。レアンも、短剣を抜いて、小刀が飛んできた岩をにらみつけた。

 だが次の瞬間、あたりが一瞬で闇に包まれて、近くにいるバーンの姿さえも見えなくなった。

 キン、と鋭い金属音が響く。バーンが短槍で何かを弾いたのだろう。

(……まずいな。これは)

 おそらく、追手だ。

 また金属音が響いた。キン、キンと、何度も何度も響き、音の間隔が狭まっていく。

 バーンが戦っているのだ。そう思ったとき、背筋がぞわりとして、振り向きざまに短剣を大きく振った。

 ふわりと、何かが飛びのいた気配を感じる。

(もう一人いる)

 そう直感した。だが、暗闇で姿は見えない。

「左!」

 プリムラが叫んだ。言われるがままに、そのほうを向くと、風を切りながら、なにかが降ってきて、それを寸でのところでかわした。

「危なかったわね」

 早口に、プリムラがささやく。レアンも声を落とした。

「ああ、でもお前、見えるのか?」

「ええ、黒い外套の男が二人。次、右からくるわ」

 今度は早めに、大きく飛び下がる。ひゅうっと風切り音がする。

 たたみかけるように、正面から殺気が近づいてくる。素早く間合いを取る。

 だが、あちらはもっと素早く間合いを詰めてくる。――まずい。

 不意にプリムラに手を引かれて、真横に倒れる。その瞬間景色ががらりと変わった。

 あたりが青白く明るくなった。レアンを襲っていた男が、目の前にいた。

 レアンは、腹のあたりがひやりとして、慌てて飛びのいた。だが、男はレアンを見失ったかのように、慌ただしくあたりを見まわしていた。

「どうやら、領域に入ったみたいね。好都合だわ」

 レアンは、少しだけ安心した。向こうで、バーンがもう一人の男と応戦しているのが見える。相手の姿が見えていないはずなのに、バーンは実に巧みに相手の攻撃を防いでいる。――さすがだ。

「でも、まずいわね。さっきのあいつ。おじさんのほうに行くわ。さすがに、闇の精シェイドの闇の中じゃ、二対一は分が悪いわ」

 男たちに傍らに、大きな一つ目のコウモリみたいな生き物がいる……あれが、闇の精シェイドなのかと、レアンは思った。

「助けなきゃ!」

 レアンは、バーンに近づいていく男を追おうとした。

「待って! どうせなら、あいつらみんな精霊の力で拘束してしまいましょう。そのほうが早いわ」

 プリムラの呼びかけで、レアンは足をとめる。

「わかった」

「この辺りは、草が生えていないし、あいつら敵だから、思いっきりやってしまっていいわよ」

「でも、おっさんまで巻き込んじゃうんじゃ…」

「大丈夫。そうならないように、わたしが調整する」

「わかった。任せたぞ」

 レアンは、バーンの周りの地面に集中を向けた。

 目を閉じる。

――なんでもいい。あいつらの身動きを止められれば!

 レアンは手を振り上げた。

 バーンたちがいる地面から、何本も植物の芽が生えた。芽はぐんぐんと伸び、バーンを襲う男たちの足に絡みついた。

 突然の出来事に、男たちは慌てて足に絡みつく芽から逃れようする。だが、芽の成長はそれ以上に早く、腕に、胴にツルになった芽が絡みついて、身動きを封じた。

 さらにツルは、男たちを地面に引き寄せるように引っ張り、男たちは抵抗むなしく、地面に突っ伏した。追い打ちをかけるように、ツルは男たちを地面に縛り付けた。

「やった!」

 勝利を確信した瞬間だった。男の傍らから、黒い塊がレアン目がけて飛んできた。――闇の精シェイドだ。

――まずい。そう思ったとき、向かってくる闇の精シェイドの動きがぴたりと止まった。

 闇の精シェイドの背中から、長々とツルが伸びていて、男たちのところにつながっている。

 闇の精シェイドはじたばたと、なおもこちらへ飛んで来ようとしている。だが少しもレアンたちに近づくことはできず、ツルにずるずると引きずられて、男たちと共に縛られてしまった。

 その瞬間、あたりを覆っていた闇が晴れ、月明かりが蘇った。

「……まったく、なに、気を抜いてるのよ! 闇の精シェイドがいるって、言ったじゃない!」

 息を切らしながら、プリムラが一喝する。

「んなこと言われったってよ……。てか、おまえ大丈夫か? 苦しそうだけど」

「ま、まあ何とか大丈夫よ。それより、おじさんのほう大丈夫かしら?」

 まあそうだな、とレアンは言って、バーンのほうへ駆けていった。

 その背中をプリムラは見送る。

(まったく、なんてでたらめな力)

 へたりと地面に座りこんで、プリムラはそう思った。腕がまだびりびりと痺れている。今回は事前に分かっていたから、なんとか対処することができた。だが、それでも、ギリギリのところで抑え込んだという感じだ。もう少し長く、力の奔流が続けば、暴走していただろう。よく闇の精シェイドを捕らえることができたものだ。


 バーンは、あんぐりと口を開けたまま、なにが起こっているのかがわからぬという様子で、棒のように立ち尽くしていた。

「おっさん! 大丈夫⁉」

 大声でレアンが呼びかけると、はっとしたように、バーンが身じろぎをした。

「あ、ああ、大丈夫だ……あまりに不思議なことが起きたもんで、頭の整理が追っついてないんだ。この草は、おまえがやったのか?」

 ぽそり、ぽそりと言葉をひねり出したバーンは、草でがんじがらめになって横たわっている男たちに硬直した表情で目をやった。

「……ああ、そうだ。おれが、地の精ノームの力でやった」

 それを聞いても、バーンはさして驚きもしないという様子だった。

「そうか……森の民アルシェの秘術かなにかか?」

「そんなものないよ。おれが、変わっているだけさ」

 いささか自虐を含めて、レアンは言った。バーンはそこでやっと苦笑を浮かべた。

「……そうか。で、こいつらはなんだっておれたちを襲ってきたんだ」

 バーンは、地面に横たわる男たちへ、視線を落とした。

「……たぶん、おれを狙ってきたんだと思う。おれは集落を襲ったやつの顔を見てるから、口をふさぎに来たのかもしれない」

 レアンも、男たちへ目を落として言った。

 そして、唐突に一人の男のそばにしゃがみ込み、顔を隠している面を外した。

――まったく見覚えのない顔だ。

 もう一方の男も同様に集落を襲ったやつとは別人だった。

 男たちは拘束されたときに、毒でも含んだのだろうか。口から泡を吹きながら、すでに事切れていた。

 レアンは遺体に手を合わせて、なにか身元が分かるものはないかと、懐をまさぐった。すると、小さな黒い包みが出てきて、中には数枚の銀貨が入っていた。銀貨は、表には王冠をかぶった人物の横顔の絵が、裏には何かの鳥の絵が描かれている。そして、なによりも驚くことに、銀貨はどれもゆがみのないきれいな円の形をしていて、どの金貨も同じ形、同じ大きさをしているのだ。――レアンが持っている、不揃いででこぼこな銅貨とは大違いだ。

「おっさん、この銀貨、どっかで見たことないか?」

 そう言って、レアンは、手のひらの銀貨を一枚とって、バーンに投げ渡した。

 バーンはそれを難なくつかみ取って、なめまわすように見つめた。そしてしばらくして、首を大きくひねりながらうなった。

「いやあ、見たことねぇなあ……見るからによその国の銀貨みてえだけど、こんな銀貨は、おれはクレオナートでもフラナスベルクでも見たことはねえなあ。まあ、フラナスベルクには何種類か通貨があるっていうから、もしかしたらその一つなのかもしれんがな」

「どっちにしたって、これはよその国の物ってことだろ?」

「ま、そういうことになるな」

 バーンは肩をすくめながら言った。

「……だとしたら、こいつらはよそから来たってことか。だったら、王都に行くのは無駄になるか……」

 顎をさすりながら、レアンは眉間にしわを寄せた。

「いや、そうでもねえんじゃねえの。だいたいその銀貨がどこの国のもんかもわかんねえんだし、いまさら隊から離れることなんてできねえんだしなあ。だったら、王都まで行って、その銀貨がどこの国のもんか聞いて回ってもいいんじゃねえの」

「そう、だな。それに、王都でじいちゃんに会わなきゃいけないのを忘れていた」

「じいちゃん? お前は森の民アルシェだろう。なんで王都にじいさんがいる?」

「おれの母さんが王都の人間だったんだ」

「へえ、珍しいこともあるもんだな。で、そのじいさんはなにをしてる人なんだ?」

「役人をしていると聞いている……名は、エイザだったかな」

 その名を聞いた瞬間、バーンは目を見開いた。

「……おまえ、とんでもない方と知り合いなんだなあ」

「有名な人なのか?」

「有名もなんも、この国の祭司官を束ねる元締めだぞ。そう簡単に会えるもんじゃないぞ」

「それでも、なんとかして会うしかないよ。母さんのこと伝えなきゃいけないし。それよりも、こいつらのことはどうする? ここにこのままにしておくわけにいかないだろう?」

 そう言って、レアンは男たちの遺体をちらりと見やった。

「そうだな。埋葬までしてやる余裕はねえから、どこか人目につきづらいとこに、連れて行ってやって、あとは近くの詰所の連中に任せるしかないだろう」

「わかった」

 うなずいて、レアンが男の体を抱え上げようと近づいたときだった。男たちの遺体に恐ろしい変化が起きた。それはまさに突然のことで、男たちの遺体が結晶化を始めたのだ。

 そのあまりにも不気味な変化に、レアンは思わず飛びのいた。

 結晶は男たちの体をどんどん飲み込んでいって、やがて元の体の倍ほどもある大きな紫色の結晶になってしまった。

 レアンもバーンも、つかの間、言葉を失った。

「……なんだよ、これは」

 沈黙を破ったのは、バーンだった。

「……わかんないけど、これは――」

 例の謎の病だ。だが、いままで見てきたものとは全然違う。あの病ならば、こんなに早く結晶が育つわけがない。これは、なにかの術かなにかなのだろうか。だとするならば、こんなことをできる連中は、何者なのだろうか。もしかしたら、自分はなにかとてつもない存在を相手にしているのかもしれない。そう考えると、底冷えするような恐怖を腹のあたりで感じる。

(だが、どんな奴が相手だったとしても――)

 関係ない。相手が誰であろうと、集落を襲ったことには変わりがないのだ。母を殺したことには変わりがないのだ。それは、どんなことがあったって、許せるわけがないのだ。沸々と怒りが湧いてきて、いつの間にか、腹のあたりの恐怖が吹き飛んでいた。――大丈夫、おれはまだ戦える。レアンは、静かに気合を入れた。

 月明かりが結晶に当たり奇妙な光を弾いている。身震いするほどの夜風が、川の水面を、草木を、ざわざわとなびかせていた。

 だが、レアンの心は穏やかだった。体は火がともったように、じんわりとあたたかかった。

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