第二章 結晶の森

一 謀りごと



 王宮の議場を出たアルサムは、ときおりミシミシと音を立てる廊下を歩いていた。ここ王都ラグダムの王宮は、その大部分が木造であるが、築城後二百年以上が経ついまでも大規模な修繕は行われてこなかった。だが、日々何度も人が行き交うような議場前の廊下は、多少は傷んできているのかもしれなかった。

 アルサムは、突き当りで左に曲がった。議場がすこし遠ざかると、少し気が緩んで、それまで抑えていた感情が沸々と湧き上がってきた。

(あの老人どもは、国防のなんたるかを、まるで分っていない)

 アルサムは、怒りが表情に出てしまわぬように努めて、心の中で悪態をついた。三十四という若さで、エザフォス国軍の将軍に上り詰めたアルサムだが、その若さゆえに、国政を担う各官の長が集まる最高議会の場では、まだ世間を知らぬ若造だと侮る者も多い。今日も先ほどまで行われていた議会の中で、アルサムの議案が退けられた。

 精霊の力を戦の道具にする――それがアルサムの考えだ。

 特に猛烈な反発をしたのは、祭司官長のエイザだ。精霊を見ることのできる者だけがなれる祭司官は、自ら精霊と意を介することによって、国政を支えている。だがその祭司官の数は、祭司官の高齢化や、適正者の減少によって、年々少なくなってきている。精霊の力を使うには、精霊と契約しなくてはいけない。それができるのは精霊が見える者、すなわち祭司官候補だけだ。ただでさえ少ない祭司官候補を兵役に出してしまえば、祭司官の数はますます減り、務めが成り立たなくなるというのが、エイザの主張だ。

 それについては策があった。それは東の大国メルビス帝国で生み出された技術――人工精霊を用いることだ。これならば精霊が見えない者でも、精霊の力を使うことができる。だがその策に対しても、さらに強い批判の声が上がった。人の手で精霊を生み出そうなどおこがましい、そんなまがい物を用いればいままで精霊と築いてきた関係が壊れてしまうのではないか、と。この辺りは、想定していた通りの反応だった。だが、一つだけ聞き逃せないことがあった。

――そこまでして、精霊の力を戦力にする必要があるのか。

 この言葉には、愕然とさせられた。あまりに世界のことを知らなすぎると思った。

 いま周辺諸国で、精霊を武力として持たない国は、エザフォス王国だけだ。

 人工精霊を主戦力とし勢力を拡大しているメルビス帝国はいま、精霊信仰が深く、護国隊アチェリーという精霊の契約者で編成された軍隊を持つ南の大国フラナスベルクの領土を狙って長いこと争いを続けている。西のクレオナートは風神信仰が盛んで、神の使いである風神の子シーフェ風の精シルフ)を使役する武人がいるという。そのクレオナートに度々略奪を仕掛けている北の遊牧騎馬民族ラムザは、その素性や文化はわかっていないが、彼らもまたなにやら精霊の力と思われる妙技を使うのだそうだ。

 世界ではこんなにも精霊が武力として使われているのだ。このままでは他国との争いになったときに、簡単に敗北してしまうだろう。最悪の場合、国が亡びるかもしれない。だがそれでも、あの老人どもは言うのだろう。二百年以上、一度も他国の侵略を受けたことがないから大丈夫だろうと。確かにエザフォスは四方に山脈が連なっている上に、周辺諸国よりもやや高地であるために、侵略してくるのは容易ではない。だがそれはいままでは、という話だ。二百年もあれば人の持つ技術は格段に進化する。仮に山を越えられるようになってしまえば、エザフォスのような小国はあっという間に占領されるだろう。

 だからこそ、武力が必要なのだ。精霊という強大な力が。武力は抑止力だ。なにもこちらから戦を仕掛けようというのではないのだ。ただ武力を示して、弱小国ではないのだと思わせるだけで良いのだ。われらの祖先も、精霊の力を借りて戦をしたじゃないか。そのころに立ち返ればよいではないか。今度は奪うためではなく、国を、民を守るために。

 アルサムは、頭に上った熱を冷ますように、頭を軽く振った。考え事をしている間に、いつの間にか城の出口まで来ていたようだ。外に出ると、空気が少しひんやりとしていた。空が朱色に染まっている。目の前には、赤い塗装がところどころ剥げている数段ほどの木製の階段があり、その先には正門へとつながる目の粗い石畳の道が続いている。その道の両脇には、白い玉砂利の庭が広がっていて、根元を敷石で円形に囲まれた松の木が一定の間隔で生えていた。

 アルサムは階段を下りて、石畳の道に入った。影が、右側に長々と落ち、白い玉砂利を黒く染めた。

 衛士に軽く会釈してから、門を出ると、門に背を持たれかけ、腕組をしている女がいたので、アルサムは足をとめた。女はアルサムの姿を認めると、不気味なくらい薄く微笑んだ。

「お疲れ様です。アルサム殿。議会のほう、首尾はいかがでしたか?」

 声をかけられて、初めて女の顔を見た。いつ見ても奇妙な女だと思った。雪のように白い肌、肩まで伸びた美しい金色の髪、顔立ちもよい。だが、その黒々とした瞳は、見る者を恐れさせるなにかがあった。そう、まるで見続けた者を、黒い渦の中に引き込んでしまいそうな、なにかが……。

 この女と出会ったのは、ついひと月ほど前、視察で南東の国境沿いにある交易都市ミルタを訪れていたときだ。不法入国の疑いで、関所で尋問されていたところに偶然鉢合わせたのだ。そのときの女の様子は、妙に落ち着き払っていて、奇妙なことに衛士の問いかけに、訛りのない流ちょうなエザフォス語で答えていたのだ。女は東のメルビス帝国から来たのだと答え、衛士が来訪の目的をたずねられたところで、女はアルサムと話がしたいと言った。衛士は女の申し出を拒んだが、アルサムは話とやらに少し興味がわいたので、話を聞いてやることにした。衛士に変わり、女の前に座ると、女はわずかに微笑みかけてから、口を開いた。

「人の手で生み出された精霊に興味はありませんか?」

 女は、自分はメルビス帝国で人工精霊の研究をしていたが、訳あって帝国を裏切り、身を隠すために、エザフォス王国に亡命したいのだと続けた。もし亡命させてくれるのなら、帝国から持ち出した人工精霊――帝国の主戦力――の作り方と扱い方を教えるという条件を付けて。

 このときアルサムは思った。これはまたとない機会だと。わたしが求めていたのはまさにこれだと。アルサムは、女を自分の屋敷でかくまうことにした。それからだった。精霊の力で軍隊を強化しようという野望が、現実味を帯びて、ひそかに動き出したのは。

 アルサムは肩をすくめて、女の問いに答える。

「いいえ、思った通りそう簡単にはいきませんでした」

 女は、なおも薄笑いを浮かべたまま、あきれたように鼻で笑った。

「そうですか……まったく、この国はどうなっているのでしょうね。異国の密偵が何人も侵入しているのにも気づいていない上に、つい先日は賊に一集落を襲撃されたというのに……」

 アルサムは苦笑した。

「それを言われてしまっては、返す言葉もありません」

 続きは歩きながらでも、と貴族街への道を手で示すと、女はそうねと、うなずいた。

「ところで、これからどうするのですか?」

「まずは祭司官長のエイザさまに、調査のために祭司官をお借りできないか、頼みに行こうかと……」

 女の顔に納得の色が浮かんだ。

「なるほど。いまの状況を考えると妥当な判断ですね。ですが、祭司官長殿は、いまのあなたの話をまともに取り合ってくれるのでしょうか?」

 女は挑みかけるように聞いたが、アルサムは不敵に笑った。

「いいえ。心配には及びません。策はあります」

「では、ここはアルサム殿にお任せしましょう。わたしは先に屋敷に戻ります。よい知らせをお待ちしています」

 女はそう言うと、軽く頭を下げて、一人アルサムの屋敷のある方の道に入っていった。アルサムはしばらく、女の小柄な後姿が小さくなっていくのをただ眺めていたが、やがてその姿がほとんど見えなくなると、女が入った道とは反対の道へ歩き出した。


 祭司官長が暮らす祭事堂は、王宮の北にある。祭事堂はその名の通り祭事の儀式を行う場所であるが、祭司官長をはじめとする上級祭司官たちの住処としても使われている。

 アルサムが祭事堂に着いたのは、まだ空が明るいうちだったが、それからエイザの自室に通されたのは、あたりがすっかり暗くなってからだった。

 このごろ祭司官たちの動きが慌ただしい。というのも、大昔に流行ったという奇病が、最近になって国中で流行っていて、その治療に祭司官たちがあたっているからだ。

 道中、案内してくれたまだ二十四、五かそこらの若い祭司官の男によると、その病は、体から結晶のようなものが生えることから、結晶ノ病と呼ばれていて、いかなる治療も薬も効かず、唯一精霊の儀式によってのみ治すことができるのだそうだ。だが重症になると、上級祭司官でなければ治療ができないらしく、また各地で病が蔓延しているため、そちらにも人を遣らねばならず、大幅に人手が足りていないのだ。そこでいまは、平時の務めにあたる上級祭司官の人員を削り、代わりに下級祭司官を補佐に付けたり、軽症の者はなるべく下級祭司官が対応するなどして、なんとかやりくりしているが、これにエイザは骨を折っているそうだ。

 エイザの自室の前まで来ると、案内してくれた祭司官は、軽く辞儀をして、また来た道へ戻っていった。それを見届けることなく、アルサムは扉を叩いた。すると中から低い声で、入れと、返事が返ってきた。

 失礼しますと、中に入ると、書類やら筆記具やらがたくさん乗っている大きな書机の前に座って、険しい顔をしているエイザが出迎えた。部屋の中は角灯がいくつか置いてあるだけで薄暗かった。

 エイザに導かれるままに、向かって右側の長椅子に座ると、エイザは反対側の長椅子に座って、目の前の背の低い長机に、先ほどの書机から持ってきた角灯を置いた。そうするとやっとお互いの顔がはっきり見えるようになった。エイザの顔には所々疲れの色が見えるが、しわの深い威厳のある表情は、いつもと変わらないように見えた。

「わしになにか頼みごとがあると聞いているが、何用かな? 議会でそなたが申したことについてなら、わしは折れるつもりはないぞ」

 厳しい口調で、エイザは言った。アルサムは、心の中で少し身じろぎをした。

(やはり、迫力のあるお方だ)

 エイザはさして体が大きいわけではないが、底知れぬ覇気がある。体格も、六十を目前にしている壮年とは思えないほどにはがっしり引き締まっていて、一目見ただけでも一筋縄ではいかない男だとわかる。もしエイザが祭司官になっていなければ、間違いなく武人になっていただろう。

「いえ、今回はそのことではありません。議会でのことは、わたしもあきらめていませんが、そちらについてはおいおいと……」

 努めて平静に、アルサムは言った。それを見て、エイザは一瞬目を細めて険しそうな表情になって、ふんと鼻を鳴らした。

「……ではなんだというのだ」

「それがですね……」

 言って、アルサムは少し深刻そうな顔をした。

「今朝、ユーラムの兵から伝書鳥で報が入りまして、森の民アルシェのカルヴァ氏族の里が賊に襲撃されたと」

 カルヴァという名を聞いたとき、ほんの一瞬だけ動揺したようにエイザの眉がぴくりと動いたのを、アルサムは見逃さなかった。思った通り、これはいけるかもしれない。そう思った。

「それがどうしたというのだ」

 いたって平然と言う風に、エイザは言った。

「随分と冷たいのですね。カルヴァ氏族と言えば、エイザ様のご息女が、嫁がれたところではありませんか」

「あのような出来損ないの家出娘がどうなろうと知ったことではない」

「……ご息女とはいまだに仲がよろしくないようですね。まあ、それはさておき本題です。此度の襲撃事件の調査のために、祭司官を一人お借りしたいのです」

「なにゆえ、わしの部下をそなたの使いにさせねばならぬのだ。そのようなこと、そなたの兵を使えばこと足りることだろう」

「ええ、普段ならそうしたでしょう。ですが、今回襲われたのは森の民アルシェの里。うかつに兵を送れば、あちらを刺激しかねません。それに襲撃には、精霊が使われた可能性があるのだそうです。もしそれが本当ならば、恥ずかしながら、我々にはどうすることもできません。それもあって祭司官の力を借りたいのです。もちろん、護衛が必要とあれば、わたしのほうで手配します」

 そこまで聞くと、エイザは黙って考えこんでいたが、しばらくして小さい声でわかったと言った。

 アルサムは微笑んだ。そして、礼を言おうと口を開きかけたとき、ただしと、遮られた。

「近々、ユーラムに人を送りたいと思っていた。こちらの用のついででよければ引き受けよう。あと護衛は二人ほどつけてもらおう。よいか?」

「お引き受けしていただきありがとうございます。その条件でかまいません」


 アルサムが部屋を去ると、エイザは机の角灯を取り、また普段執務に使っている書机の上に置いて、その前にある椅子に深く腰掛けた。そして、深く息を吐いた。

(……少々疲れた)

 さすがに年には勝てぬな。昔ならこれくらいの激務など、軽々こなせたのだが……と、角灯の中で静かに揺らめく火を見ながら、おぼろげにそう思った。

――カルヴァ氏族の里が賊に襲撃された……。

 先ほどのアルサムの言葉が脳裏によぎる。心配……じゃないわけではないが、親の反対を押し切って、勝手に嫁いでいった娘を許したわけではない。娘をたぶらかし、強引にめとったあの男を許したわけではない。だが、もし無事ならば、今度こそこちらに連れ戻し、さんざん文句を言ったあとで、王都に住まわせよう。そしてそのときは、一人いると聞いた息子も連れてこさせよう。あの男は……どうでもいい。

 エイザは机の上の呼び鈴を鳴らした。少しして、扉を叩く音がしたので、入れと、言った。

「エイザ様、お呼びでしょうか」

 入ってきた若い男は、きりっとした姿勢で後ろ手を組み、はきはきとした口調で言った。

「クライグは今日戻ると聞いているが、ここにはもう着いているのか?」

「はい、先ほど戻られまして、いまは自室におられると思います」

「ならば至急、わたしの部屋を訪ねるように伝えてくれ」

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