二 盗人



 朝早くにトリシィの家を出たレアンとプリムラは、ユーラムへ行くため、ウラム河にかかるタリム大橋を渡っていた。タリム大橋は、かなり年季の入った外観をしていたが、渡ってみると、その頑丈さがわかるほど、しっかりとした造りをしていた。

 広く穏やかなウラム河の、さらさらとした流音が、橋の上からでも聞こえる。

 そんな穏やかさとは裏腹に、レアンの心は、ざわざわというかそわそわしていた。ユーラムへ行くのは初めてだ。森の民アルシェは、必要以上に森の外に出かけない。月に一度か二度、毛皮などを売りに出て、その金で米やらほかに必要な物を買って来るのがせいぜいだ。それもたいていは数人の大人たちで行くのであって、まだ成人していないレアンには関係のないことだった。

 まだ小さかったころ、ツィンがどうしてもユーラムに行ってみたいと、父親にせがんで、仕方なく連れて行ってもらったということがあったが、自分もあんな風にせがめば連れて行ってもらえただろうかと思うことがある。まあ当時のレアンには、森の外に出たいなんて気持ちはこれっぽっちもなかったので、考えても詮のないことである。いまだって、その気持ちはさして変わらない。だが、初めて人が大勢いるところに行くということに、不安ながらわずかに胸躍る気持ちがあることも、また事実だった。

 ユーラムの町中に入ると、さっそくその人の多さとにぎやかさに、レアンは圧倒された。道にはさまざまな屋台が所せましと立ち並び、人々が右往左往に行き交っている。歩いていると、どこからともなく商人たちの活気づいた掛け声が聞こえてくる。

 やはりクローガをトリシィに預けてきてよかったと思った。もともとそのつもりで、森の中でクローガを呼んだのだが、今朝になってしつこくついて来ようとしたので、あきらめて連れて行こうかとも思ったのだ。結局トリシィに協力してもらって、なんとか置いてこられたが、こんなにも人の多い場所で、クローガを連れて歩くことはできなかっただろうから、置いてきて本当によかった。

 トリシィは、まずラグダムにいる母方の祖父を訪ねてみるといいだろうと言っていた。祖父の名はエイザと言って、王都で役人をしているらしい。母は半ば勘当される形で、父と連れ合いになったので、その息子のレアンが行ったところで、門前払いを食らうかもしれない。だが、どのみち王都には行ってみるつもりだった。まだ王都の連中が白だと決まったわけではないし、人の集まる場所なら何か手掛かりがつかめるかもしれないと思ったからだ。

「――でも、ラグダムに行くったって、どうやって行けばいいんだ」

 レアンは肝心なことを知らなかった。漠然と西のほうにあるということなら知っているのだが……。

「そんなことも知らないで、ここまで来たの⁉ まったく、あきれた人だわ」

 プリムラは、ため息交じりに言った。

「仕方ないだろ。おれ、森の外に出るの初めてだし……まあ、これだけ人がいるんだから、誰かに聞けば教えてもらえるだろう」

 からっとレアンが言うと、プリムラは、のんきねと苦笑いした。

 さてこれから聞き込みだ! と、意気込んだときだった。どこからかうまそうな炭火焼きの匂いが漂ってきて、腹が鳴った。そういえば、まだ昼食をとっていなかった。

 匂いの正体は軽食屋だった。匂いにつられて近づくと、屋台の主人の、っらっしゃい! という威勢の良い声が飛んできた。

 屋台の前まで来たものの、買い物なんてしたことがなかったので、レアンはどうしたらいいかと立ち尽くしてしまった。すると、屋台の主人は、不思議そうにじろじろとレアンの顔を覗き込んでいたが、やがて何かに気づいたようにはっとした表情になった。

「お客さん。もしかしてその肌の色は、森の民アルシェかい?」

 森の民アルシェは、やや浅黒い肌をしている。そういえば、さっきから見かける人々の肌は、自分たちよりも青っ白い色をしているなと思った。

 そうだよと、答えると、屋台の主人は、やっぱり! と気さくに微笑んだ。

「もしかして町に来るのは初めてかい? うちの鳥飯は銅貨二枚だよ」

 レアンはうなずくと、トリシィから旅費にともらった金袋の中から、銅貨二枚を出して渡した。

「まいど。ところで、今日はお買い物かい?」

 鳥飯を椀によそいながら、屋台の主人はたずねてきた。

「いや、訳あって旅に出るんだ」

「旅? そりゃ、またどこへ?」

「ラグダムへ……でも、行きかたがわからなくて、町の人に聞こうかと思っているんだ」

「ラグダム⁉ そりゃ、また遠くへ。ここからだと、普通なら三日以上はかかりますぜ。道がわからないってなら、もっとかかるかもしれねぇなぁ……どこかの隊商にくっついていければ、多少は楽だろうけどなあ」

「隊商?」

 レアンは首を傾げた。

「商人たちの旅団のことだよ。町の外には野盗がいるっていうからね」

「なるほど。で、その隊商ってやつには、どこに行けば会える?」

「それなら、この道をずっと行くと毛皮商の店があるんだがな、そこを左に曲がった先の青い旗がかかった建物が、商人たちの組合になってて、そこで隊商を取り仕切ってるんだ」

「ありがとう。助かったよ」

「いやいや、礼には及ばんよ」

 と顔の前で手を振りながら言うと、屋台の主人は、ほれ待たせたなと、椀に大盛に盛られた鳥飯を渡してくれた。

 レアンは空腹のあまり、近くの長椅子に腰掛けるなり、鳥飯を掻きこむように食べ始めた。その鳥飯は、ふっくらとしたご飯の上に、ツパ(小ネギ)と塩だれであえた一口大の焼き鳥がたくさん乗っていて、口の中でそれらが混ざり合ってうまかった。

 空腹が満たされると、言われた通り、商人の組合に向かうことにした。

 しばらく歩き続け、毛皮商の店が見え始めたときだった。いきなり前から来た少年と体がぶつかった。ぶつかってきた少年は謝りもせず走り去っていって、なんてやつだと思っていると、プリムラが悲鳴を上げた。

「ちょっと! お金取られてない⁉」

「へ?」

 間抜けな声を上げて、腰のあたりをまさぐる……ない。

「ない! まさか、さっきのガキか!」

「追うわよ!」

 もう少年の姿が見えない。慌てて逃げていったほうに走った。幸いこの道はそこそこ長い一本道だ。すぐに追いつける。

 少し走ると、すぐに少年の姿が見えた。やつは余裕そうに歩いている。もう目と鼻の先。簡単に捕まると思った。だが、レアンの殺気を感じたのか、少年は振り返ってしまった。目が合う。少年は驚いて跳びあがり、また走り出した。

 ひょいひょいと人ごみの中をすり抜けるように少年は走っていく。一方レアンは、動き回る人と人の間を走るのに手こずって、なかなか少年に追いつけなかった。

 少年が裏路地に入った。人が少ないところのなら追いつける。レアンも後を追う。

 やつは意外にすばしっこかった。人がほとんどいない裏路地の中でも、距離が縮まらない。

(このままじゃ、らちが明かねえな。ん? あれは――)

 少年の行く先に、壁中に草のツルが張り巡らされている建物が見える。

 ひらめいた――これだ! 今朝練習したあれを使ってみよう。自信はないけど、一か八かやってみる価値はある。

 レアンは立ち止まって、気を集中させる。目をつぶって、意識を下へ、下へ落とす。はるか深い地の底から、力を引き上げるのを想像する。来た。少しずつ、体に力が流れ込んでくるのを感じる。いける。

(おれは草のツルであいつを縛る。おれは草のツルであいつを縛る……)

 言い聞かせながら、頭の中で何度もその光景を想像する。力が満ち満ちているのを感じる。よし、大丈夫だ。

――草のツルよ、のびろ!

 パッと目を開き、号令を送るように、手を横に振った。

 その合図で、壁の草のツルたちが、少年にめがけて、一斉にその手を伸ばした。うわあと、少年の悲鳴が上がる。草のツルたちが手足や胴体に幾重にも絡みついていく。

「よしっ! 捕まえた!」

 こぶしを握り、喜んだのも束の間、すぐに異変に気がついた。草のツルたちの動きが止まらないのだ。まずい、と思っている間にも、草のツルが巻き付いていく。このままじゃ絞め殺してしまう、そう思った刹那、パシンと、何かに弾かれたようにツルの動きが止まった。

「よし、捕まえた、じゃないでしょ!」

 ほっと息をつこうとした瞬間、後ろから怒声が飛んできた。振り向くと、プリムラが両腕を前に突き出したまま、肩で息をしていた。額にはびっしりと汗が浮かんでいる。

「いきなり力を使うなんてなに考えてるの!」

「いや、だってあのままじゃ、らちが明かないと思ったし、こういうのって実戦してみたほうがうまくいくかなって……」

「あのね。一回練習したくらいで、力を使いこなせるわけないでしょ。だいたい何?あのでたらめな力の使い方は。今朝だって、ちょっとでいいって言ったのに、暴走させかけたじゃない」

「知らねえよ。あんなにするつもりはなかったんだよ」

 ふてくされたように、レアンが言うと、プリムラは、くぎを刺すように、とにかくと言った。

「これからはわたしの許可なしに、力使っちゃ駄目だから!」

 わかったよと言って、草だるまに駆け寄ると、顔だけを出した少年が、抜け出そうともがいているのか、顔を振りながら、んーんーとうなっていた。その顔をよく見ると、まだ十にもなっていなようない幼さを感じた。

「なんだこれ、全然取れないよ!」

 存外元気なようだ。レアンは少しほっとするのと同時に、腹が立った。

「おい、ガキんちょ。金を返してもらおうか」

 すごんだ声で言うと、少年は飛びのくように顔を引いた

「げ、さっきの金袋のあんちゃん。これ、あんちゃんがやったの? 金は返すからさー、放してくれよー」

「いいけど、逃げんなよ」

 草のツルをほどいてやると、少年のひょろりとした体があらわになった。この体のどこにあんな体力があるのだろうかと思った。

「ほら、これでいいでしょ。盗ったりして悪かったね。んじゃ」

 そう言って金袋を渡すと、少年はぺこりと頭を下げ、その場を去ろうとした。

「ちょっと待て!」

 呼び止めると、少年がいやそうな顔で振り返った。

「まだ何かあるの? 金はちゃんと返しただろ」

「なんで盗みなんてしてる?」

「なんでそんなこと聞くのさ」

 レアンは答えなかった。しばらくにらみ合っていると、まあいいけどさと、少年はため息をついた。

「……母ちゃんのためだよ。おれの母ちゃん、王都から帰ってきて、すぐに変な病にかかっちゃってさ。医術師もだめだって言うから、闇市のばんのーやくっていう、馬鹿高え薬に頼るしかなくって……」

「変な病?」

「体に石が生える、気持ち悪い病だよ」

 鼓動が速くなった。ここでも、あの病が流行っているのかと思った。

「それってもしかして……」

 プリムラと顔を見合わせる。レアンはうなずいた。

「ああ、おれの集落で流行っていた病とよく似ている」

「あんちゃんたち、あの病のこと知ってるの⁉」

 興奮気味に少年がたずねた。

「見てみなきゃわかんねえけど、よく似た病を知っている」

「じゃあさ、治し方とか知らない?」

 そう言われて答えに詰まった。知らないとも、知っているとも言えない。

――精霊の儀式をすれば、きっとよくなるはずだから。

 母の言葉が頭によぎる。病に侵され死んでいった人たちの姿が浮かぶ。

(……おれは救えるだろうか)

 何を考えているのだろうかと思った。見ず知らずの、しかも人から金をとるような子供に何の義理があるのかと。第一、見たことはあっても、精霊の儀式のやり方なんて知らない。そもそも、儀式をしたところで、病が治るという確証もないのだ。だが、それでも、ここで見捨ててしまうのは何かが違うような気がした。

 すがるような眼で、少年が見つめてくる。

 それを見て決心した。賭けてみることにしよう。信じてみよう。母の言葉を、そして、自分自身を。

「なあ、プリムラ。おまえ、精霊の儀式のやり方、知ってるか?」

 プリムラの顔を見る。プリムラは、訳も聞かずに、ただ、仕方ないわねという表情をした。

「一応知ってるけど、人間側の作法は知らないわ」

「うーん、それじゃだめかぁ」

「いや、そうでもないわよ」

「ほんとか⁉」

「ええ、人がやる儀式がなにを意味しているかは、わからないけれど、精霊の儀式っていうのは、要は精霊と人が心を通わせ、共に舞うことができればそれでいいのよ。だったらいまのわたしたちになら問題はないはずよ。まあ、確証はないんだけどね」

「……やってみるか。どっちみち賭けだ」

 レアンは少年のほうに向きなおった。

「おまえの母親、おれに見せてくれないか。まだ確実とは言えねえけど、助けられるかもしれない」

 それを聞いた瞬間、少年は、ぱっと明るい表情になって、跳び上がった。

「ほんとに⁉ ありがとう!」

「礼はよせ。確実じゃねえって言ったろ」

「わかってる、わかってるって。案内するよ。ついてきて!」

 少年は手で宙を仰ぎながら言って、軽々とした足取りで歩き始めた。

 一方であとに続くレアンの足は、どこか重かった。あんなことを言った手前、本当にできるのか、やっぱり不安になる。手が少し震える。大丈夫。こぶしを握り締めた。一人じゃない。プリムラがいる。母さんの短剣もある。大丈夫、できるさ。言い聞かせて、レアンは地面を強く踏みしめた。

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