六 焼け跡の集落
「だめだ。あんたは貴重な働き手だからね」
木陰から出てきた少年――ツィンに、トリシィはやや厳しめな口調で言った。
「いや、おれ狩りじゃ、あんま役に立たないし。そこは問題ないっす」
とんでもないことを、自信満々で言われたので、トリシィはあきれて、ため息をついた。
「あんたねぇ。そんな情けないことを、言っててどうする? これからあんたら若者が、一族を引っ張っていくことになるんだよ」
ツィンは、痛いところを突かれたというように口を尖らせた。
「そっ、それを言われると、弱いっすけど。でも、おれ、狩りをさぼりたいから、連れて行ってくれって、言ってるわけじゃないんです」
「ほぉう。なにかわけがあるってことだね?」
トリシィは試すように、にやりと微笑んだ。
はいとうなずいて、ツィンは真剣な顔つきになった。
「……おれ、レアンの助けになりたいんです。あいつは、あの襲撃でなんもかんも全部失った。おれはと言うと、そりゃあ家はなくなっちゃったけど、親は二人とも無事だし、いまだってこうしてなんとか暮らせてる。おれにはそれが、なんだか後ろめたくって……。あいつが集落を出るって言いだす前に、困ったことがあったら何でも頼れよって言ったけど、あいつはたぶん助けてなんて言わない。そういうやつだから。あいつは集落を襲ったやつに復讐するまで帰ってこない、集落を出るときそういう目をしてた。だからおれはおれで、集落を襲ったやつの正体を突き止めたいんだ!」
言い終えると、わずかに沈黙した空気が流れた。トリシィはまた微笑んで、うなずいた。
「……なるほどね。そこまでの決意があるんだったら、連れて行ってもいいだろう」
「本当に!」
「ただし、帰ってきたら、いなかったときの分、しっかり励んでもらうからね」
トリシィがそう言いつけると、ツィンはうへえと情けない声を上げた。
「それはないっすよぉ」
「じゃあ、この話はなしだよ?」
トリシィはいたずらっぽく笑った。ツィンはつかの間、うんうんとうなっていたが、やがてあきらめたようにうなずいた。
「……わかりました」
「よし、じゃあ決まりだ。今日はもう遅いから、明日の朝にカルヴァの集落に向かうことにしよう。あんたも、それでいいかい?」
トリシィは、傍らのクライグを見やった。クライグはすぐにうなずいた。
「ええ、かまいません」
翌朝、トリシィはクライグと一緒に、ツィンは護衛官の一人と一緒に馬に乗り、あとの一人の護衛官と一緒に、五人はカルヴァの集落へ向けて出発した。
今日は少し肌寒い日だった。冷たい風がたまに強く吹き、空気はどこかひんやりとしている。近くの空に雲はほとんどないが、遠くの空に黒く分厚い雲が立ちこめているのが見えた。
カルヴァ氏族の領地に入ってしばらくして、トリシィは馬を止めるように言って、表情を曇らせた。クライグはすぐに馬を止めた。また、その他の者たちも、少し遅れて止まった。
「……どうかしましたか?」
「いや、森の気配が変わったのを感じてね……どうやらカルヴァの領地に入ったようだね」
「ええ、それなら随分前に……」
「それはあんたら役人が勝手に決めた区分けのことだね。
トリシィは道端のとある木を指さした。クライグはその木に目を向けた。だが、どう見ても、何の変哲もないただの木にしか見えなかった。
「あの木に、印が入っているのは見えるかい?」
クライグは首を振った。
「いえ、わたしには何も…………あっ」
トリシィの言葉を疑いつつも、なめるように木の幹を見ていると、不自然な細い線が数本、木の幹にうっすらと彫られてあるのが見えた。
「あの印は、いまの領土の境界線だ。つまり、わたしの力はここまで及ぶというわけだ。ちなみに、わたしの力の範囲はユーラムのほうまで届いているのさ。だから本来ならユーラムはメルバ氏族の領地ということになるね……まあ、あの辺りはもう森ではないし、とうの昔に平野の民たちのものだからね。いまさらとやかくいうつもりはない」
「はあ。して、気配が変わったというのは?」
「森の精気が弱まったのよ。感じない? さっきから、まわりの木々が弱々しくなったのを」
言われてみて、あたりを見まわしてみると、確かに先ほどまで見ていた木々よりも、ほんの少し枝葉の張りが悪いようにも思える。それに葉の色つやも悪い気がする。
「言われてみれば、確かにそうですね。ですが、それがどうしたというのですか?」
クライグの問いに、トリシィはほんの一瞬やれやれという表情をして、すぐに口を開いた。
「森が弱っているということはね、精霊の舞手の力が弱まったということなの」
「なるほど。でも、だとしたらコリーナさんの力が弱まったということでしょうか」
「まあそうなるね。でもね。どうもしっくりこないんだよ。あの子は、そう腕の悪い舞手じゃなかったからね。それにレアンから聞いた話じゃ、最近妙な病が流行ってたとかで、しょっちゅう精霊の儀式をやっていたっていうじゃないか。だとしたらこうはならないはずなんだがね」
クライグは眉をひそめた。
「妙な病というのは?」
それならおれが、とそれまで話に入れずにいたツィンが名乗り出た。
「――それがですね。まったく奇妙な病で、ある日突然、小さな結晶が体から生えたと思ったら、日ごとに大きくなっていって、しまいには結晶に覆いつくされ死んじまうんですわ」
「それは、結晶ノ病です。精霊の儀式と聞いてもしやとは思いましたが、よかった、ちゃんと対処法を知っていたのですね」
「いや、精霊の儀式をしても、病は直らなかったとわたしは聞いたよ」
「そんなまさか! ……いや、病状によっては一回ではうまくいかないこともある。でも、あの人に限って何度も失敗するとは思えない……」
最後のほうは、ほとんど独り言のようだった。
「まあここで考えていても仕方がないね。先を急ごうか。引き留めてしまってすまんね」
トリシィがそう言うと、一行はばらばらと、また馬を歩かせた。そのあともしばらく、クライグは浮かない顔をしていた。
その姿を後ろ目にちらりと見てから、トリシィはもう一度、森のほうを見た。
(……それにしても妙だね。
妙に静まり返り、魂が抜け落ちたような森を見て、トリシィは腹の底にしんとしみこむ不安感を、どうしても拭えずにいるのだった。
カルヴァの集落は、あれからもう何日もたったというのに、鼻を衝く焦げ臭いにおいがまだほんのりと残っていた。
ひどい光景だった。ほとんどの建物が灰と炭と化していて、かろうじて一部形を残している家でさえも、もう人が住むことができる状態ではないことが、一目でわかる状態だ。所々の地面が焦げている。
あまりの惨状に、クライグはつかの間言葉を失った。被害の状況は、昨日のうち聞いてある程度は把握していたが、実際に見てみると衝撃が強いものだとは思ってもみなかった。
変わり果ててしまった故郷を改めて見てしまうと、いろいろと込み上げてくるものがあるのだろう。ツィンも集落に着くなり、荒れ果てた故郷を茫然と見つめていた。
「こりゃあ、ひどいねぇ」
沈黙を破ったのはトリシィだった。トリシィはひょいひょいと集落の中へ入っていって、ひとしきりあたり見て回るとうなずいた。
「うん。これはやっぱり
「ええ、薄っすらとですが、
地面に触れながら、クライグは言った。
トリシィは何も言わずにうなずいた。
でも、とクライグは続けた。
「……だとしたら、なぜこの集落は襲われたのでしょうか」
トリシィはうなった。
「うーん。それがよくわからないのよねぇ。この国じゃ人と関わりのある
そこまで早口で言うと、トリシィは、まったく、と息をついた。
「ねぇ、ツィン坊。集落が襲われる前、何か変わったことはなかったかい。例えば監察官とかほかの氏族の連中ともめたとか? それこそ灯火を運ぶ者たちとなにかあったとかね」
ツィンは一瞬考える素振りをしたが、すぐ首を振った。
「いや、特によその連中ともめたとかはなかったかな。まあでも、変わったことって言ったら、狩りの収獲がめっきり減ったってことくらいかな。集落が襲われたのとは関係ないと思うけど」
クライグが眉を上げた。
「……収獲が減った、ですか。原因は何です?」
思わぬことを聞かれたので、ツィンは一瞬言葉を詰まらせた。
「えっ、いや、原因ははっきりわかんないけど、森の動物が減ったんですよ」
「なるほど。それはいつごろからですか?」
「うーん、はっきりいつからって言ったら難しいけど、大体ひと月ほど前からかな」
「ひと月前……確か結晶ノ病が流行り始めたのと同じくらいですね」
「そう言えば、そうだったかもしれないな。それで思い出したけど、収獲が減り始めた頃から、森の中で石になった動物やら植物を見かけるようになったんだけど、いま思えばあれはその結晶ノ病とやらにかかっていたんだなあ」
「おいおい、結晶ノ病ってのは、人間以外にもかかるのかい?」
トリシィがぎょっとした顔で言った。
「そうですと言いたいところですが、厳密に言えば違います。あの結晶は生き物だけを侵すというよりは、土地そのものを侵すのもののようなのです。生き物に影響が出始めるのは、前兆なのです」
「へぇ、そういうものなのね。生まれてこのかた、そんな妙なものは見たことがないからね。まったく、まだまだ世の中知らないことだらけだね」
「……結晶ノ病を見たことがない? メルバの集落では、結晶ノ病は流行っていないのですか?」
「流行ってるも何も、そんな奇妙な病なんて、うちの集落の連中は見たことも聞いたこともないだろうよ」
「そんなまさか……あれは国中で流行っているはず、いや、ユーラムでも結晶ノ病の報告は挙がっていない」
ユーラムという言葉が頭に浮かんだとき、クライグの中で何かがはじけた。
「先ほど言っていましたが、ユーラムにはトリシィ殿の力が及んでいるのでしたね?」
「そうだよ。それがどうしたのかね」
「いや、いま思ったのですが、トリシィ殿の力が及んでいるところでは、結晶ノ病が発生しないのではないでしょうか」
それを聞くや否や、トリシィは困ったように微笑んだ。
「それは買いかぶりすぎじゃないかね。外の連中はどうだか知らないけど、近場の集落でもその病が流行ってるなんて言う話は聞いてないけどねぇ。それにあんたらだって精霊の儀式をしているのだろう。だったら、あんたらのところだって、病は流行らないはずだろう」
「いえ、そうともいかないんです。お恥ずかしい話ですが、わたしたち祭司官の間では、精霊の儀式は形だけのものになりつつあるのです。精霊の儀式を行っても、精霊が集まらないことが多いのです。もちろん、上級の祭司官になれば、そのようなことはありませんが、それでも人によって精霊の集まる数には差が開けるのです」
「なるほど。言い方は悪いけど、外の連中は気づかぬうちに落ちぶれちまったってことかね。まあ、それはわたしらがたどる末路かもしれないけどね。なにせ後継者がいないからね。少なくとも精霊の声が聞こえないやつには、精霊の舞手は務まらないからね」
「
「そうなんだよ。まったく困ったもんだ。ところで、コリーナは王都にいる頃は、どうだったんだい? 実力とかはさ」
「よいほうでしたよ。精霊を見ることはできませんでしたが、話をすることはできました。精霊を一度に多く呼び出すことができて、さすがに祭司官長のご息女といったところです」
「ほう、あのときの坊やは、祭司官長に出世していたか」
トリシィはひとりごとのようにつぶやいた。
「エイザ様をご存じで?」
「まあ、若いときにちょっとね。まあそれはどうでもいいんだ。……やっぱりそうだよねぇ。あの子は腕のいい精霊の舞手だった。なのに、なぜこんなに森がすさんでしまったんだろうね。やりすぎってくらいに、精霊の儀式をしていたはずなのに……」
しみじみと、トリシィは言ったとき、森のほうからかさかさとなにかが近づいてくる音がした。
「トリシィ殿、
しわがれたその声がするほうに振り向くと、たくましい白ひげを携えた年老いた
それを見るなり、トリシィは
「お久しぶりでございます。アントス様」
「ほうほう、いつぶりかのう」
ひげをさすりならアントスが言うと、トリシィは少し困ったように微笑んだ。
「いつぶりでしょうかねぇ……いやですわ。年は取りたくないものです。ところで、ここへは何用で出向かれたのでしょう?」
それを聞くと、やっと本題を思い出したように、アントスは手のひらをこぶしで打った。
「そうじゃ、そうじゃ。トリシィ殿に用があってな。ちょうどカルヴァの集落に向かってると聞いてな。ここまで来たのじゃ」
「わたくしに何の用ですの?」
「森で大変なことが起きていての、もっと早くに知らせたかったのだが、何分身動きが取れで、遅くなってしまった」
そう言うとアントスは声を落とした。
「……最近、ここらいったいの領域で、黒いもやのようなものが発生していての、それに近づいた精霊が次々と消えてしまうということが起きていたのだ。しかも、その黒いもやは厄介での、いつどこに現れるかわからないのだ。わしらは聖域のそばを離れられなかったのだ。それで、精霊の舞の呼びかけに応じれなくての、この集落の人間たちには申し訳ないことをしてしまった」
納得したように、クライグはうなずいた。
「なるほど、そういうことだったのですね。コリーナさんがいくら精霊の儀式を行ったところで、結晶ノ病を治せなかったというわけですね。そもそも精霊が集まらなければ儀式は成り立ちませんから」
トリシィもまたうなずいた。
「森がすさんでいたのも、
「それがだな。カルヴァの集落が襲われたと聞いた後すぐにな、領域内の黒いもやがめっきり減ってな。おそらくこの集落で
ここでアントスは深刻そうな口調に変わった。
「でじゃ、これが本題なのだが、せっかく動けるようになったからの。皆で森の様子を見て回ったのだ。――それで、とんでもないものを見つけてしまったのだ。森の奥に、黒い霧で包まれている場所があったのだ。それはおそらく、黒いもやが寄り集まったものだと思うのだが、それがまた恐ろしい光景でな。これはひとつトリシィ殿に見てもらって、精霊の舞いでもしてもらって、森を清めてもらえないだろうかと思ったのじゃ」
「それはかまいませんが、もちろんついてきていただけますわよね?」
「それはもちろん。我らの大事ないとし子に、何かあっては困るからの」
トリシィは軽く息をついてから、クライグのほうを向いた。
「というわけで、わたしは急用ができてしまったけれど、あなたはどうする? 後半事件の話からだいぶそれてしまって、あまり調査できてないけれど……」
クライグはしばらく考えてから、深くうなずいた。
「……わたしもトリシィ殿と一緒に行かせてもらってよろしいでしょうか」
少し驚いたように、トリシィは眉を上げた。
「それはどういう風の吹き回しだね?」
「いえ、わたしの目的は事件の調査だけではないのです。結晶ノ病について調べるようにとも、エイザ様より申し付かっています。いままでの話から考えるに、森の異変と結晶ノ病とは、なにか密接な関係があるように、わたしには思えてならないのです。ですから、引き続き調査にあたりたいというわけです」
「早く王都に帰って、調査の報告はしなくていいのかね?」
「それなら問題はありません。調査の報告なら、リアラに頼めばどこからでもできますから」
「ああ、そう言えばそうだったね。じゃあ、問題はなしだ。で、ツィン坊だけど、あんたはここで帰りな。この先は森の深いところだからね。すぐに帰れるところじゃない。それに申し訳ないけど、この先はツィン坊がいたところで、あまり役に立つとは思えないし、これ以上狩りの人手に穴をあけたくないからね」
そんなぁ、とツィンは、がっかりしながらぶつくさと言っていたが、トリシィはかまわず、護衛官の一人を指さした。
「そして、あんた。この先は馬で行けるようなところじゃないからね。いったん集落まで馬を連れて帰ってくれないかね。ついでにツィン坊を送り届けてくれると助かるわね。あと、もう一人のほうは、護衛としてついてきてもらおうかね」
トリシィの有無を言わせない、てきぱきとした指示にあっけ取られて、護衛官の二人はもううなずくしかなった。
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