二 発火
「なるほど。話はだいたいわかりました」
レアンの話を聞き終え、アルサムは銀貨を机の上に置いた。
アルサムの館は、思いのほか質素な造りだった。道中見かけた建物と比べて、外装の装飾がやけに少ない。
いまいる、この執務室もまた、華美な装飾品や調度の類は、ほとんど見あたらなかった。
今朝がた、使者を出し、昼過ぎに祖父とともにこの館を訪れた。
執務室に通された二人は、机をはさんで、アルサムと向き合うような形で、長椅子に腰かけていた。
左手にある窓から差す日の光が、机の上の銀貨に落ちて、冷たい光をはじいている。
「……ところで」
レアンは本題に入ることにした。
「おれはさっきも言った通り、おれの集落を襲った連中を探しています。あなたは、この事件について調べていると、祖父から聞きました。いまのおれの話と、その銀貨で――なんでもいいんです――そちらがつかんでいる情報を教えてくれないでしょうか?」
言って、レアンは深々と頭を下げた。
だが、アルサムは、その頭に冷ややかな視線をそそいで、でも、と言った。
「それはあなたの私憤でしょう? 情報を提供していただいたことは、感謝していますが、国防と治安を担うものとして、そのような私的な理由では、情報を教えることはできません」
アルサムはきっぱりと言いきった。
「そう、ですか……」
短く言って、レアンはうつむきながら、唇をわずかに噛んだ。そして、物事はそう簡単にはいかないものなのだと思った。
「それにしても――」
言いながら、アルサムは視線をエイザのほうへ移した。
「エイザ様もお人が悪い。私の立場を考えれば、情報を漏らすはずのないことくらい、わかっていたのでしょうに。……お孫さんには随分とあまいのですな」
急に話の矛先を向けられ、いままでほとんど、むすっとしたまま口を閉ざしていたエイザは鼻を鳴らした。
「そんなことは百も承知だ。だが、もしかしたら、と思ったまでのこと。こやつも、それくらいは心得ておろう。……して、調査のほう、進展はどうなっておる? それくらいのことは、聞いてもよかろう?」
皮肉の仕返しに、幾分か威圧的にエイザは訊ねた。
すると、アルサムは困惑したように苦笑した。
「やや。痛いところをついてきましたな。実のところ、あまり芳しくはありません。ここ数日、伝書鳥の報が入っていませんので、どういう状況下掴めていないもので……」
「なんだと⁉ それは大丈夫なのか? こちらは、貴重な部下を預けているのだぞ」
アルサムの言葉を遮るように、エイザは声を荒げた。
「いえいえ、まだ心配するようなときではないでしょう。こちらも、信頼できる部下を送っていますので」
アルサムはなだめるような口調になった。
「……なにせ現場は深い森の奥。ゆえに伝書鳥が飛ばせない状況なのかもしれませんし、調査が難航しているのかもしれません……まあ、こうなり得ることは、事前に連絡を受けていましたので、まだそこまで焦ってはいません」
「やけに楽観的ではないか」
アルサムは目を細めた。
「……信頼ですよ。そちらこそ、
「いや、特になにも」
ここで話は終わり、執務室を出たときだった。
入れ違いに、侍女風の女とすれ違った。
そのとき、不意にプリムラが服をつかんできたので、レアンは足もとを見やった。
「どうした?」
見ると、プリムラは小さく震えていた。怯えた目で、女が入っていた扉を見つめている。
レアンは腰を落として、プリムラの肩に手を添えた。
「大丈夫か?」
声をかけると、我に返ったように、プリムラはレアンを振り仰いだ。
「いまの人……」
「ん? ああ、あの女の人か。それがどうした?」
プリムラは声を落とした。
「なにか、いやな感じがしなかった?」
思い出してみる。黒い髪。すらっとした体型。顔は……一瞬のことだったので、よく覚えていない。だが、特段変わった様子はなかった。
「いや。特には」
レアンが言うと、落ち着けるように息を吐いた。そして、レアンを見あげて言った。
「……いや、私の思い過ごしね。ごめんなさい。さあ、行きましょう」
女は執務室に入ると、接客用の机の前に座っているアルサムに微笑みかけた。
「あの少年から、なにか有益な情報は聞けましたか?」
怪訝そうにアルサムは女に目を向けた。
「戻ってくるのが早すぎやしないか。もし姿を見られたらどうするつもりだ。あの少年だけならまだしも、エイザ様もいらしていたのだぞ」
女は口角をあげた。
「ああ、そのことですか。それならさっき廊下ですれ違いましたよ。なかなか可愛いい坊やでしたね」
「あのなぁ」
アルサムは語気を強めた。
「大丈夫ですよ。しっかり変装していましたし、怪しんでいる様子もなかったですよ」
そう言うと、女は片手で髪をかきあげ、またなでおろした。すると、見る見るうちに、黒々と染まった髪が、まるで上から光が差していくように、波打ちながら、金色の光をはじき始めた。
女が得意げに笑う。アルサムは不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「で、どうだったのです?」
「……あなたの言った通り、帝国の手の者の可能性が高そうです」
不機嫌そうな表情をしまい、アルサムはレアンから聞いた話を話した。女はその話を、さも愉快なおとぎ話を聞くかのように、にこやかな笑顔を崩さずに聞いていた。
話を終えると、アルサムは神妙な顔つきで机の上の銀貨を指で叩いた。
「ところで、あなた、この銀貨に見覚えは?」
女は扉の前から一歩も動かず、机の上の銀貨を見つめた。そして、笑った。
「間違いなく、それは帝国に出回っている銀貨です」
「やはり、そうか……」
緊張した面持ちで、アルサムは机の上に視線を落とした。
「その銀貨、お預かりしても?」
アルサムのほうへゆっくりと歩み寄りながら、女は訊ねた。
「かまいませんが、どうするつもりです?」
女の真意が読めなくて、アルサムは聞き返しざまに女の顔を見返したが、女は表情をピクリとも動かさなかった。
「なにかの交渉材料になるかと思いまして」
女は淡々とした口調で答える。アルサムは苦笑した。
「まさかそんなに価値はないでしょう」
「もちろん、その程度の銀貨など、彼らからすればはした金です。ですが、帝国からの密偵が、こんな足の着くものを持っていたという事実は、彼らにとっては汚点です」
アルサムの顔に納得の色が浮かんだ。
「なるほど。それで彼らをゆすろうという魂胆ですね。でも、そんなことは、口を封じられてしまえば、水の泡では?」
女は目を細めた。
「なに、策は考えていますよ。ご心配なく。それよりも……」
女は机の上の銀貨を拾いあげ、懐にしまいながらアルサムに背を向けた。
「帝国の手がせまってきています。お互い用心しましょう」
「わかっている……おい、言ったそばからどこへ行く⁉」
アルサムは扉のほうへ歩いていく女に声をかけた。
「安心を。次の布石を打ちに行くだけですよ」
女は扉の取っ手に手をかけながら答えた。
安堵したように、アルサムは息をついた。
「そうか。だが、くれぐれも気をつけろ」
言葉を返すこともなく、女はちらと微笑み返して、執務室を出た。
廊下に出ると、女は一瞬扉を流し目で見て、また前を向いた。
「もう潮時ね」
アルサムの館の前で、祖父と別れた後、レアンは南門に向かって大通りを歩いていた。
「結局、なにもわからなかったなあ」
レアンはため息交じりにぼやいた。苦労して王都まで来て、この有様では、骨折り損のくたびれ儲けというものだ。結局、いまわかっているのは、どことも知れぬ遠い国から、やつらはやってきたということだけだ。
「嘆いている場合じゃないでしょ。通貨のことなら、商人とかのほうが詳しいだろうから、これ聞きまわればいいじゃない。もしそれでもわからなければ、国を出て地道に探し回るしかないじゃない」
プリムラはレアンを見あげながら、得意気に言った。
レアンは、わざとらしく大きなため息をついた。
「おまえはなあ。慰めたいのか、いじめたいのか、どっちなんだよ」
プリムラはいたずらそうに微笑んだ。
「さあ、どっちでしょうね」
「ったく。おちょくりやがって」
レアンは頭をかきながら言って、それから両手こぶしを握り締めた。
「よしっ。じゃあ、聴きこみに行くか」
「ええ」
プリムラはうなずいた。
気がつけば、二人は門の前まで来ていた。
祖父によく言いふくめられたのか、門を通るとき、衛士に引きとめられることはおろか、侮蔑の視線を感じることもなかった。むしろ、ある種の敬意すら感じくらいだった。……いい気味だ。
「よかった。なんとか追いつけました」
門をくぐり、平民街へと続く石段を下っているときに、そんな呼び声が背後からした。聞き覚えのない、女の声だった。
その呼びかけが自分に向けられているのかと疑いを持ちながら、レアンは振り返った。
石段の頂上に女が立っていた。肩まである黒い髪。底のない黒々とした瞳。作り物のようなゆがみのない姿勢。どこかで見覚えが――と思っていると、プリムラが服を引っ張った。
「さっきの人……」
小声で言ったプリムラは、目を見開いて女のほうを凝視していた。その瞳は揺れている。
レアンはプリムラをかばうように前に出て、身構えた。
女はその様子を見て、ころころと笑った。
「そんなに身構えなくてもいいのよ」
薄笑みを浮かべながら、女はゆっくりと石段を下ってくる。そして、不意に視線をずらした。
「そこのお嬢ちゃんもね」
レアンの陰から顔をのぞかせていたプリムラは、小さく悲鳴をあげてレアンの後ろに引っ込んだ。
レアンは腰の短剣に手をかけ、女をにらみつけた。
(こいつ――)
プリムラのことが見えている。それに、このなんとも言えない不気味な威圧感。アルサムの館で見かけたときは、ただの侍女かと思ったが、どうやらただものではなさそうだ。
「……おまえ、何者だ」
威嚇するように、レアンは言った。
だが、女はまったく動じる様子もなく答えた。
「残念だけれど、その質問には答えられないわ。答えてあげてもいいのだけど、これから話そうとも思った話はお預けよ。そうなれば悲しい思いをするのはあなたよ」
女が、不敵に笑う。レアンは女の顔から目を離さなかった。
「おれに話だと? アルサムの館にいたあんたが、おれになにを教えてくれるっていうんだ?」
「あなたが、欲しがっている情報よ。あなたの集落を襲った男が、いまどこにいるのか、知りたくはない?」
それは確かに知りたいことだ。だが、得体の知れないこの女の言葉は信用に足るものなのだろうか。第一、なぜこの女が、あの男の居場所を知っているのだろうか。
「知りたい……だが、素性も知れないあんたのことは信用できない」
女は残念そうに苦笑した。
「そう。それは残念。でも、無理強いはしないわ。引きとめてごめんなさい」
そう言って、女は元の道のほうへ振り返った。
「おい。待て――」
立ち去ろうとする女を、レアンは呼び止めた。――悲しいことになるのは自分のほうだという、女の言葉が頭の中で引っかかったからだ。
「信用できない、とは言ったが、話を聞かないとは言っていない。一応、聞くだけ聞かせてもらおうか」
それを聞いた女は、またレアンのほうに向きなおった。振り向きざまに見えた、妙につりあがった口角が目についた。
「素直な子は好きよ」
女がレアンの瞳を覗き込む。その瞳に飲み込まれないように、レアンは気を張った。
「……あなたの集落を襲った男の次の目的は、そのさらに奥にある、わたしが森の中に隠したものを消すこと」
レアンの眼前まで来た女は、唐突にそうつぶやいた。
「あんたが隠したものだと? それはなんだ? なんでそんなことを――」
問い詰めるレアンの唇に、女は人差し指を押しあてた。
「だーめ、質問は受けつけない。もう情報を話してしまったからね」
レアンは頭を振るようにして女の指を振り払い、プリムラをかばいながら素早く後ろに飛びのいた。
「……いま、言ったことは本当か?」
少し考えてから、レアンは訊ねた。質問には答えないと言ったが、これくらいのことなら答えてくれてもいいだろうと思ったからだ。
「ええ、本当よ。ま、といっても、これはあくまでもわたしの予想でしかないから、いつ現れるかは定かではないけれど」
女はさして悪びれる様子もなく、軽々とした口調で言った。
レアンの心の中に、迷いが生じてきていた。女の言うことを真に受けてもいいのかという迷いが。敵か味方かもわからぬ女の言うことだ。情報自体が罠であるかもしれない。
だが、いまのところ情報がほとんどないというのも事実だ。となれば、事の真偽を確かめてみるのも一つの手かもしれない。
完全に女の調子に乗せられていた。切望していた情報をちらつかされ、罠かもしれないという懸念と、情報の真偽を確かめてみたいという欲求が、頭の中でぐるぐると回って堂々巡りをしている。
そのことに気がついて、レアンは舌打ちをした。
女はそんなレアンの様子を、小動物をめでるような眼で眺めている。
(まったく読めない女だ……)
そう思いながら、あくせくしていると、どこか遠くのほうから、おぉーいという間延びした声が聞こえてきた。
女の挙動に目を配りながら、あたりを見まわすも、声の主の姿はない。
「あっ! あれ……」
喚声をあげて、プリムラがただ一点を指さしている。その指の先――石段の下からさらに奥につながる道の途中に、小さな影が、ひょこひょこと駆けているのが見えた。
「……や、やっとみつけたよぅ」
小さな影の正体は、トリシィと一緒にいた
「フィー、そんなに慌ててどうしたの⁉」
急いできたためか、息を切らすフィーに、プリムラが優しく声をかける。
「た、たいへんなんだ。とりしぃが……」
息を落ち着いてくるのも待たず、両手をパタパタと振りながら、フィーは必死に言った。
「ばあちゃんが! なにがあった⁉」
一瞬取り乱して、レアンは大声でフィーを問いただした。その声にフィーは驚いたようなしぐさをしたが、やっと少し落ち着きを取り戻したらしく、舌足らずな口調でゆっくりと森の奥であったことを説明し始めた。
その説明を聞くうちに、レアンは段々と青ざめていった。女が言ったことが、本当に起こったのだ――あの男が、本当に現れたのだ。
女はその話を聞いても、なお笑みを浮かべている。
「その話が本当だとしたら、急いだほうがいいですね。あれがどれほど育っているかはわかりませんが、放っておけば一面焼け野原になるでしょうね」
女が発言したことで、初めてフィーはその存在に気づいたらしく、プリムラと同じように怯えたように、レアンの陰に隠れた。
レアンは女がなにを言っているのか、まったくわからなかった。ただ焼け野原になるという言葉だけが、頭の中にこだました。
(戻らなきゃ!)
不意にそう思った。行ってどうするかなんてことは、まったく浮かんでこなかった。ただ戻らなければという焦燥が頭の中を支配していた。
レアンは、女をきっとにらみつけた。
「あんたのことは、今回は見逃す。でも、今度会ったら色々聞かせてもらうからな」
女の口が挑発的にほころぶ。
「ええ、望むところよ。また会うことがあれば、必ず。でも、いまから言ってももう間に合わないと思うけれど?」
「そんなことは、関係ない!」
吐き捨てるように言って、レアンは二人に声をかけ、石段を段飛ばしに下っていった。
その背中を、しばらく女は見つめ、感嘆と息を漏らした。
「あちら側に行ってしまうなんて、なんて恐ろしい子。これも彼らの恩寵かしら?」
女はつぶやくとまた、貴族街の中へと戻っていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます