終章 その先へ



 封印の儀式から、はやひと月半が経ち、レアンは北部の農村ナソンに訪れていた。

 だが、本当に儀式はうまくいったのだろうか。いまだにレアンには実感がなかった。オルフは、儀式を終えてすぐに、安堵したように、うまくいったと言ったが、何がどうなって、うまくいったのか、説明してはくれないのだ。

 農村をめぐる中で、結晶ノ病の発症が少なくなった、とはよく聞くようになったが、それでも、まだ結晶ノ病に苦しむ人々は多い。レアンは、そんな人々たちのためにも、精霊の儀式をしていった。

「……よし! こんなもんでいいな!」

 精霊の儀式を終え、のびのびしながらレアンは言った。

 プリムラが背後で息をつく。

「さぁ、早く荷物をまとめてしまいましょう」

 手慣れた様子で、二人は儀式の道具を片付け始めた。ほんの数か月前までは、精霊の儀式と言えば、母がやっているのを見ただけで、正式なやり方なんて何も知らなかったというのに、いまでは、すっかり慣れたように、正式な手順で儀式をこなせるようになってきている。慣れというのは、本当に恐ろしい。

 馬に乗るのも慣れた。祖父は、長旅になるだろうからと、馬を授けてくれたのだが、何せ初めての乗馬だ。一人でそれなりに操れるようになるのには、多少苦労した。だが何より、乗ったあとにくる足腰の痛みが、なかなかにきつかった。だがそれも、いまではほとんどない。

 荷物を大方片付け終えると、こちらに駆けてくる少年の姿があった。少年と言っても、レアンより五つは上の立派な成人だ。彼はチィカと言って、土地勘のないレアンのために道案内をしてくれている下級祭司官だ。チィカは童顔で、実際の歳よりも随分と幼く見える。性格も少年のように、キラキラとしている。だが、よく気がまわる人物でもあった。彼のおかげで、円滑に巡礼の旅を続けられている。

 チィカは、はきはきとした口調で、今後の旅程を話し始めた。

「今日はもう遅いので、この村で泊めてもらえるよう、村長に交渉してきまして、快諾してもらえました。というわけで、今日はここで一夜を明かします。……問題ないでしょうか?」

 チィカは、レアンに対して敬語で話す。年下で、なおかつ平民であるレアンに対して、だ。図らずも、祖父の威を借りてしまっているのだろうと思う。

 チィカはまた、王の器というのを変に買いかぶっているようで、レアンが、敬語で話すのをしつこいくらいに止めた。チィカが言うに、王なんですから、どんと構えていればいいんです、なのだそうだ。

 別に問題はないというか、旅程については、すべてチィカに任せているので、問題ないとだけ返した。

 それを聞くと、チィカは、まぶしいほどの笑みを浮かべた。

「じゃあ、案内しますね。今夜の夕食は豪華ですよ。シガ(野菜などを乳で煮込んだスープ)ですよ。いやぁ、このごろめっきり寒くなりましたからね」

 それにはレアンも、思わずほっこりした。チィカじゃないが、最近、本当に寒くなった。ノースウェルデンの山脈から降りてくる冷たい風が、頬に刺さる。もう十日もたてば、雪が降り始めるかもしれない。こんなときに、身体の温まるシガは、本当にありがたい。

 儀式を行った小高い岩場を下り、村へ続く道を歩いていると、どこからか聞き覚えのある甲高い声が聞こえてきた。

 あたりを何度か見まわし、声が聞こえるほうを特定すると、そのほうを向いて、目を凝らした。

 すると、案の定、小人の中でもさらに小さい小人が、手をパタパタさせながら走ってくるのが見えた。

「にぃちゃん、ねぇちゃん。とりしぃからの、でんごんだよぅ」

 到着早々、間の抜ける、その口調でフィーは言った。

「随分とちっこい地の精ですねぇ」

 レアンの肩越しに、チィカはフィーを見て言った。それから、思い出したように、息をすすり、訂正した。

「おっと失礼しました」

 チィカはときどき、いや、結構な頻度で、自分が祭司官であることを忘れているような節が見受けられる。精霊が見えるというのに、まだ下級の祭司官であるというのが、そのことを物語っている。

 チィカにかまわず、レアンはフィーに声をかけた。

「ばあちゃんから伝言? なんだろう?」

 たどたどしく、フィーは語り始める。

「んとね。もりのおくの、ずっとおくにあった、えーっと、け、けっしょうがもとどおりになったって」

 レアンの顔から、笑みがこぼれた。

「それか。それは良かった」

 それを見て、フィーもまた、嬉しそうに微笑んだ。

「うん。ぼくもみてきたんだけどね。まだぜんぶげんきってわけじゃなくて、ぼくのせくらいの、こーんなきもいっぱいあるんだあ」

 手のひらを頭の高さまで上げて、フィーは精一杯説明しようとしている。

 そんなフィーをレアンは担ぎ上げ、肩に乗せると景気よく言った。

「よし! 積もる話はあとにして、とりあえず飯にしようや」

 真っ先に賛同したのはチィカだった。

「そうっすね。ここじゃ、凍えちまいますわ」

 両の二の腕を手でこすりながら、チィカはいかにも寒そうだという演技をした。

「そうね。早くいきましょう」

 チィカより遅れて、プリムラも言った。

 レアンの肩の乗り心地が悪いのか、フィーは、しきりにレアンの背中から降りようともがいた。

「いいよぅ。じぶんであるけるよ!」

 暴れるフィーを、レアンは短くしかりつける。

「あぶねぇって、暴れんなよ。……ほら、こうすると、眺めがいいだろう」

 前方を指さしながら、レアンが言うと、フィーは暴れるのをやめ、景色に見入った。

「うわぁ、ホントだ。とおくまでみえるよ! まっかできれいだねぇ」

「そうだな」

 夕日が、三つの影を、長く長く伸ばしている。小、大、中と並ぶ、三つの影は、ゆらゆらと揺れながら、丘の下へ消えていった。

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精霊の騎士〈Ⅰ〉災禍の炎 河上 憬柊 @Keishu_Kawakami

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