• 異世界ファンタジー

確かめたがっているのか?

 こんにちは。久々の近況報告です。3週間ぶりくらいですかね? このところ小説の執筆でかつかつになっていたので、更新している余裕がありませんでした。まあ、ある意味では健全なことですね。とはいえこの間に、ありがたいことに、いろいろと評価をいただいていたにも関わらず、御礼の記事すらあげてなかったのはさすがにまずかったかなぁ、とただいま反省中です。


 というわけで、この場を借りて、応援のハートをくれた方、コメントを書いてくださった方、そしてレビューをつけてくださった方、書いてくださった方、に感謝を申し上げたいと思います。大変ありがとうございました。筆者は大変自信を無くしやすい生き物ですので、このように反応をいただけますと、やる気も出ますし、少し自信もつきますし、なによりもこれは待たせてはいけないなあと自分のケツを蹴りあげることができます。また、中でもレビューのコメントには、本当に身に余る文章を書いていただきまして、それはもう気持ちの悪い笑顔で、おどおどと何度も何度も読ませていただきました。まあ、そんなわけで、まだまだ未熟な私ですが、これからも応援いただければ幸いです。


 それでは、そろそろ表題の件に行きましょうか。これはTwitterで、創作論関連の論争を見ている中で思ったことなのですが、ああいう論争をしたくなる理由って、自分の考え、またはやり方が正しいかどうかを確かめたいからというのも中にはあるんじゃないかないかなと。

 小説の書き方、文章の書き方、物語の作り方というのは、様々な種類の意見がこの世の中にはあふれていますが、そのどれもが絶対的に正しいわけではないですし、個々人にとって完全にフィットするものではないと思います。
 となれば、そういった意見を念頭に入れつつも、自分なりにアレンジをしていくか、まったく新しくやり方を編み出すことにもなってきたりもすると思います。ですが、オリジナルのやり方となると、独りよがりになっていないかとか、これははたから見てどうなのだろうか、また同じような方向性の仲間がいないかな、といったところが気になってくるのではないかと思います。
 いまの時代はネットでこうして簡単に意見を表明できますから、そう言ったツールを用いて意見を表明し、自らの正しさを証明しようとする……そういう流れが生じているのではないでしょうか? その上、割りに自分の意見には自信がありますから、激しい論争になる……それが事の次第なのではと、ふと思ったのです。

 まあ、これは僕の勝手な持論ですし、こういう捉え方では、証明のつかないこともあると思います。ただ僕が言いたいことは、結局のところ、その人にとってうまくいったやり方が、その人にとっての正しいやり方になると思いますので、多少なりとも他人の意見を取り入れるとしても、それに右往左往、一喜一憂せず、トライ&エラーの精神で、少しずつ自分のやり方を平和的で最短な道なのではないかということです。


 ということで、いつに増して戯事感増し増しですけど、こういうことを書きたいがために近況ノートかいてるんで許してください。といっても、こんなとこまで読まずに、ブラウザバックしている人のほうが多そうですが笑

 そんなわけで今回は以上で! では!

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