六 生き残った者たち



 夜明け前に集落に戻ったときには、すでに襲撃者の姿はなかった。集落を取り囲んでいた炎の壁も跡形もなく消えていた。夜半に降り出した雨は、昼過ぎまで降り続いた。雨は火を消しこそはしなかったが、森へ燃え広がっていくのを幾分か食い止めてくれた。

 集落の建物は、ほとんどが灰と炭になってしまった。

 この半日の間、生き残った者たちは失意の中、焼け跡の片づけをしていた。生き残れたのはわずか十数人ほどだった。そのほとんどは、襲撃時に狩りに出ていたものたちだ。集落の中にいたもので無事だったのは、オルバやクラナ、ミアのほかに二人くらいだった。あとの者たちは焼け跡から見つかった。

 レアンは、片付けには参加しなかった。母の墓を作っていたからだ。そのことに、とやかく言う者はいなかった。

 母の墓は、集落の東にある父の墓の隣に建てた。焼け跡から拾った鉄製の鋤先すきさきは扱いづらかったが、地面がぬかるんでいたおかげで、穴を掘るのにそこまで苦労はしなかった。だが母の亡骸を横にすると、どうにも気が進まなく、なかなか手が進まなかった。プリムラの助けがなければ、日が暮れていただろう。

 燃え残った木材で作った粗末な墓標の前で手を合わせた。もっとちゃんとしたもの作ってやりたかったが、いまはこれで勘弁してもらうしかない。母への祈りを済ませると、しばらくの間、両親の墓前に座り込んでいた。父の墓は、すっかり草が生えきっていて、墓標も苔むしていた。

 集落に戻って真っ先に向かったのは、母のもとだった。母が死んだなんて、悪い夢なのではないかと、どこかで思っていた。だが改めて母の亡骸を見ると、これは現実なんだと思い知らされた。

 母の体は妙に丁寧に横たえられていた。集落の誰かがそうしてくれたのかと思ったが、みなが集落に入ったときには、そうなっていたのだそうだ。では、あの襲撃者がやったというのだろうか。急に胸糞が悪くなって、そこで考えるのはやめた。

 墓をあとにすると、井戸で水を汲み、泥で汚れた手を洗った。雨はもう止んでいた。それから枝などを集めて、火を熾した。火種は建物の残り火を使った。枝は湿気っていて火がつきづらかったが、よくあぶって水気を飛ばすとやっと火がついた。

 今度は炉端に座り込み、昨日獲った野ウサギの毛皮を手早く剥いで、枝で作った串を刺し火にかけた。

 まんべんなく火が通るように、ときどき串を回しながら兎肉を焼いていると、友人のツィンが隣に座ってきた。ツィンはまだ顔にあどけなさが残っている少年で、年はレアンと同じ、背はレアンよりも高いがさほど大きくもない。両親は背が高いからこれから大きくなるんだと、本人は言っているが、いまのところその気配はまったくない。狩りの腕前はお世辞にもうまいとは言えないが、本人は気にしていないかのようにいつも明るくふるまっている。それで少しは反省しろと、いつも親父さんに怒られている。まあ、そんな彼でも、最近の不猟続きには多少げんなりしていたようだが。彼もまた、狩りに出ていたために助かった。

「……おまえ、よくこんなときに、肉なんて食う気になるよなあ」

 半ばあきれたように、ツィンが笑った。

「こんなときでも、腹は空く……」

 昨晩からなにも食べていないから、さすがに腹は減っている。自分でも薄情な腹だとは思う。

「うへえ。おれはそんな気になれねえや」

 二人の間に沈黙が広がる。肉から滴り落ちた脂が、炎の中でパチパチと音を立てている。

「あのさ……なんというか、その、レアン、おまえ大丈夫か?」

 絞り出すようにツィンが言った。普段さして気のまわるやつではないが、彼なりに気を使っているのだろう。

「大丈夫って、なにが?」

 炎の上の肉を見つめながら、レアンは薄く笑った。

「なにがって、そりゃ、おまえの母さんのことだよ……」

 おいおいという感じに、ツィンが眉を上げる。

「大丈夫……じゃないかもしれないな。でも、母さんの墓を作ったら、少しは実感がわいた気がする。強く生きていかなきゃ。そう思ったよ……」

「そうだ、その意気だぜ。なにか困ったことがあったら、おれだって力になるし、みんなだって助けてくれるさ。だから頼ってくれよ」

「……ありがとう。そうするよ」

 肉が焼き上がると、塩を軽く振って、かぶりついた。

「おまえも食うか?」

 一口肉を飲み込んで、ツィンの前で肉をちらつかせてみた。

「いや、いい。そんな気分じゃねえや」

「そうか」

 そう言って、また一口肉にかぶりついた。味なんてわかったもんじゃないが、まあ不味くはない。そう思った。

「なあ、知ってるか? 集会所とあの小屋の死体がやけに少ないって話」

 あの小屋というのは、結晶に侵されて亡くなった人たちを安置していた小屋のことだ。レアンはずっと母の墓を作っていたので、もちろんそのことは知らなかった。

「いや、知らんな」

「それがさ、不気味な話で、いたはずの人数にしては、骨が少なすぎるってだけじゃなくて、骨の一部が、すっぽり欠けちまってるんだとよ」

「屋根が落ちたときに、砕けただけじゃないのか?」

「それはおれも思ったけど。割と大きい骨でもそうなってるし、頭の骨がないっていうのもあるらしいからさ。こりゃ、なんかあるかもしれないって思ったんだよなあ」

「それは、まあ、確かにな……」

 そう言って、顎をさすっていると、プリムラが話をしたそうに服の端を引っ張ってきた。顔を近づけてやると、こそこそとプリムラが話し始めた。

「ねえ。いまの話どういうこと?」

「ああ、それはなあ……」

 レアンは最近集落ではやっている奇妙な病のことを話してやった。

 その話を聞くと、プリムラは神妙な顔になった。

「……なるほどね。人の世ではそんなことが……。もしかしたら、領域に現れたもやとなに関係があるかもしれないわね……」

「どういうことだ?」

「領域と人の世は、互いに影響しあっているの。つまり、領域になにか異変が起きれば、人の世でもなにかが起こっているかもしれないということよ。まあ、その逆もしかりだけれど」

「なるほどな……」

 肉を食うのも忘れて、首を傾げていると、ツィンがひょこっと顔を覗き込んできた。

「さっきから一人でなにぶつぶつ言ってるんだあ?」

 ツィンは不思議そうな顔をしてる。ツィンには〈精霊の声〉が聞こえない。ましてや姿を見ることもできなかった。

「ああ、ちょっと地の精ノームと話をしていたんだ」

地の精ノーム⁉ おまえ地の精ノームと話せたのか?」

「話せるし、見える。まあそうなったのはつい昨日のことだけど」

「そうなのか。なあ、地の精ノームって、どんな姿なんだ?」

「おれたちよりちょっと浅黒い肌をしていて、背は腰くらいしかない。あと、きれいな銀色の髪をしている」

 目をキラキラさせながら、ツィンは息を漏らした。

「へえ。そうなんだ……やっぱ精霊っているんだなあ」

 嬉しそうに微笑む、ツィンの横顔を見ながら、精霊の存在を身近に感じない人にとっては、精霊の話はおとぎ話みたいなものに思えるのだろうなと、ふと思った。

 母の影響もあって、昔から精霊の話はよく聞かされていたし、精霊の儀式で舞っている母の姿を見ていると、姿は見えなかったが、なんとなくそこに精霊がいるような気がしていた。〈精霊の声〉が聞こえるのだって、精霊のおかげだって教えられてきたし、本気でそうだと思っていた。だが、ツィンのように〈精霊の声〉も精霊の姿も見ることのできない者には、精霊は遠い存在に感じてしまうのだろう……。

 物思いにふけっていると、隣で、ぐう、という情けない音がした。

 ばつの悪そうな顔で、ツィンがレアンのほうを見ている。

「悪りぃ。やっぱその肉分けてもらってもいいか?」

 あきれたように、レアンは息をついた。

「ったく。しょうがないやつだな……」

 肉はもう半分以上食べてしまっていたので、そのまま全部ツィンにくれてやった。

 申し訳なさそうに、肉を受け取ると、ツィンは勢いよく肉にかぶりついて、あっという間に平らげてしまった。

 日が落ちてきて、あたりが冷え込んでくると、元々空き地になっていた草地に、大きな焚火がたかれた。そして、みなでその焚火を囲み、暖を取りながら、わずかな食料を分け合った。冬に向けて蓄えていた食料は焼けてしまったが、昨日の狩り収獲や昼過ぎから行われた狩りで、本当にわずかな食料はあった。

 食事のあとの話し合いの中で、今回のことについて、ほかの氏族に触れを出しつつ、協力を得ようということが決まった。

 もうじき冬が来る。このままでは到底冬を越すことは不可能だと思われたからだ。それに襲撃者の素性もその目的もわからない。皆は直接的なことは言いはしないが、王都の人間のしわざだと思っているような口ぶりを、話し合いの前からしていた。だからこそ、ほかの集落にもこのことを知らせる必要があるのだ。

 エザフォスはいまでこそ国土の三分の二ほどが森になっているが、二百年以上前は国土のほとんどが森で、いまほど国としてのまとまりはなく、少数部族が寄り集まっているだけの土地であった。そこに西のクレオナートからの移民が流れこんできたことが、国としての成長と、災いの始まりだった。

 彼らは西のアルデン山脈と南のクロン山脈の間から入り込み、いまの王都ラグダムのある場所で農耕生活を始めた。そしてその規模は、だんだんと広がっていき、森が切り開かれていった。このことで、先住民との間に対立が起きた。このときに初めて森の民アルシェという言葉が生まれた。当時の森の民アルシェはいまよりもっと精霊信仰が強く、地の精ノームが棲む森を切り開くなど、なんと不敬なことかと激しく抵抗した。

 これがきっかけで森の民アルシェと移民との間で、長い長い争いが起きた。双方多大な犠牲を出し、森の民アルシェの戦士たちはそのほとんどが命を落とし、女子供は移民たちに取り込まれ、森の半分を失った。移民たちも、たくさん戦死した。

 戦況は、移民軍が北西から南東にかけて大地を二分するように流れる大河、ウラム河にさしかかったあたりから硬直した。大河がいわば防壁のようになって、移民軍の侵略を防いだのだ。そうした硬直がしばらく続き、互いに精神的にも肉体的にも疲弊していった。そして双方、和平を申し出て、争いが終結した。

 和平が結ばれて、エザフォスは国としてみるみる成長していった。都市がいくつも作られていき、森を奪われた森の民アルシェは農耕の民となった。残された森の民は、そのまま森に住むことを許され、無理な侵略が行われることは二度となかった。だがそれでも、森の民アルシェと移民たちの間にできた溝は簡単には埋まらなかった。農耕の民に下った者たちとも多少の不和があった。そういったわだかまりは近年になって、少しずつなくなってきているのだと、母がこの話をしたときに言っていたが、それでもまだ、森の民の中に、外の人間たちに対する不信感が残っているのだなと、レアンは思った。

 皆が思っている通りだとしたら、狙われているのは森の民アルシェだということになり、ほかの集落も同じように襲撃されるかもしれない。ほかの集落に事件のことを知らせることが決まると、次は誰が行くのかという話になった。

 その話になるのを待っていた。話し合いの最中に心の中で決めたことがある。そのことを話そうとして、軽く深呼吸してから、すっと手を上げた。

「おれ、メルバに行きます」

 メルバはカルヴァの西にある集落で、レアンはまず、そのさらに西にあるユーラムに行くつもりだった。そんなわけで、メルバに行くことを申し出たのであった。

 皆が一斉にレアンのほうを見た。ありえない者が名乗り出たものだ、という顔をしている。オルバが口を開いた。

「なにもそなたが行くことはない。ただでさえ母を失ったばかりじゃろう? 無理をするでない」

 レアンは静かに首を振った。

「無理なんてしていません。それに決めたんです。集落のみんなを……母を殺したやつを見つけるって」

「母の仇を討つつもりか?」

 いぶかしさと嫌悪感を混ぜたような表情を裏に隠しながら、オルバは静かに問うた。それにレアンはうなずいた。

「それはならん! なぜなら……」

 オルバが少し声を荒げる。隠していた表情が、厳しい表情になって現れる。

 強めの口調で、レアンは話を遮った。

「まだ、国のしわざだと決まったわけではありません」

 言ってはならないことを言ったのを責めるように、オルバが露骨にいやそうな顔をした。

「それは、そうじゃが……」

「おれは、襲撃者の顔を見ています。もしかしたら口封じに襲われるかもしれません。おれが集落に残ってたら、ほかのみんなも襲われるかもしれない……それもいやなんです」

「じゃが、仮に襲撃者を見つけても、おまえのかなう相手ではなかろう?」

「はい。だからこそ、おれは地の精ノームと契約したんです」

 皆の中にざわめきが広がった。オルバは凍りついたような表情をしている。

「おまえは……なんということを……。精霊と契約することが、なにを意味するのかわかっているのか⁉」

「覚悟はできています」

 真剣なまなざしで、オルバの目をまっすぐ見た。その目を見て、しばらくしてから、オルバがあきらめたように息をついた。

「……もう、よい。おまえの好きにするがよい」

「ありがとうございます」

 すんなり同意されるとは思っていなかったし、たとえ反対されても勝手に出ていくつもりだったから、しぶしぶでも同意されただけでもありがたかった。

「……今夜はもう休め。メルバに旅立つのなら、早くに出ねばならんからな」

 はい、と言って額を地面につけて、深々と礼をすると、レアンは腰を上げた。

 本当は火の近くのほうが、休めるのだが、こんな話をしたあとだと、一人になりたくて、人けのないところまで出ていくことにした。風にあたりたかったのかもしれない。ツィンがあとをつけてくる。森の入り口の木陰で、二人は足をとめた。

「おまえ、本当に行くのか。死ぬかも、しれないんだろ?」

 背後からツィンが声をかける。

 振り向かずにレアンは、ああ、という気のない返事をした。振り向けなかった。どんな顔をしたらいいのか、わからなかった。

「じゃあ、なんで⁉」

「母さんのこと、決着をつけないと、この先進めないって思ったからさ」

 この胸の中に灯った復讐という醜い炎と決別しなければ、人としてなにか大事なものを失ってしまう気がする。いや、いま進もうとしている道を進み切ったとしても、人の道を踏み外してしまうかもしれない。いま言葉にしてみて、そんな気持ちがあることに、初めて気がついた。

 しばらくそのまま黙っていると、ツィンが、ああっ! と大声を上げて、レアンの肩をつかみ無理やり振り向かせた。レアンは目をそらした。

「じゃあ約束しろ! 絶対帰ってくるって!」

「ああ、約束するよ」

「ちゃんと目を見て言えよ!」

 ツィンが怒鳴った。肩をつかむ手に力がこもる。しぶしぶツィンの目を見た。いつものへらへらした感じがない。こんな真面目な目は初めて見る。ほんの少しうるんでいるような感じもする。少しの間、その目を見つめてから、もう一度、約束すると言った。

 それを聞くと、真面目な表情を崩さずに、絶対だぞ! と言って、去っていった。

 ツィンが去っていくのを見届けると、近くの木のところに座り込み、幹に背を預けた。夜気を帯びた風が首元から入ってきて、一瞬身震いしたが、どこか心地よくもあった。

 プリムラがひざの上に座り、肌を寄せてきた。やはり、慎みというものがない。

「お、おい。なんだよいきなりっ」

「だって、寒いでしょ?」

 なにか変なことでもした? というように、プリムラが言った。どこかしおらしい感じもした。

「おまえがいたって、大して変わんねぇよ。てか、少しは慎みを持て」

 レアンは、照れ隠しで少し意地っ張りな言い方をした。

 プリムラはなにも言わなかった。体が触れ合うところが、ほんのり暖かい。表情は見えないが、すねてる感じがする。

「……まあ、いないよりはましかな」

 少し言い過ぎたかなと思って、そう言った。素直に感謝の言葉を言うつもりが、口に出すと、強がりっぽくなっていた。それでも、プリムラはほっとしたように、小さくうなずいた。

 枝葉の隙間から、月が見える。きれいな満月だった。そっと目を閉じて、その光を目蓋に感じながら、すっと眠りに落ちた。

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