第27話 面会

 約束の日、左門はクラブ・サラを訪れた。沙良が自ら出てきて

「一応伺ってます。奥へどうぞ」

と個室に案内された。テーブルには一輪の花とともに備前の小皿に青い石が置いてあった。沙良ともすっかり馴染みになっていた左門は

「緊張しちゃうな」

と微笑んだ。沙良は

「平常心よ」

とにっこり笑った。

 そうだ、緊張する必要なんかない。元々降って湧いた話だったんだ。こちらから頼んだわけじゃない。

 暫くして店のドアが開いて男が入って来た。日焼けしてがっちりしたガタイのいい、しかし優しそうな目をした男だった。男は沙良と二言三言、言葉を交わすと個室にやってきた。


「初めまして。高井忠興と申します」


 男は左門の前で一礼し、向かい側に座った。すぐに沙良がブレンドとお冷を二つずつ持って来る。忠興はブレンドコーヒーを一口飲んでにっこり笑った。左門はその目に一瞬で魅せられた。この男は自然を知っている。自分の足で歩いて来た男だ。忠興が口を開いた。


「初めに御礼申し上げます。栞の面倒をみて頂き本当に有難うございました。私が不甲斐ないばかりに西陣さんにご苦労をお掛けしました」

そう言うとしばらく頭を下げ続けた。そして頭をあげると

「改めまして、私が栞の父親の高井忠興です。事情あって母親の事は明かせないのですが、私が栞の唯一の肉親です」


 皮肉と取ろうと思えば取れる言葉であった。しかしその言葉は清々とした雪山から吹き下ろす一陣の爽やかな風のようだった。左門は頷いて答えた。

「初め、私も訳が判りませんでした。高井さんの前の奥様に電話しても取りつく島もなく、まだ高校生なのに、こんな風に一人で放り出されるものなのかって信じられない気持ちでした」

 忠興は体の前で手を組んで俯くと声のトーンを落とし、

「そうでしょうね。全くそうでしょうね。非常識極まりない事です。お恥ずかしい次第です」

「何があったのですか?っていうか高井さんは何をしてらしたのですか?」

「丁度海外での仕事が入ってて、それに合わせて飛び出したようなものですが、そのまま海外で拘留されてしまったのです」

「拘留?」

「ええ、私、鉱山関係の仕事していまして、雇い主の手抜かりがあって、向こうの同業者に軟禁されてしまったのです。山小屋の一室にです。所持品も取り上げられて外部に連絡も取れず、一種の人質状態でした。その仕事が終わったらすぐに栞を引き取るつもりが、そんなゴタゴタで1年が経ってしまいました。それで日本へ帰って来て栞を探したんですが見つけられず、また向こうに舞い戻って、それからしばらくは地道に向こうでやってけるようにベースを作っていました。栞をみつけられてもその時の私じゃ栞を養って行けなかったですから」

「軟禁って、犯罪にならないんですか?」

「まあ、同業者の縄張り争いみたいなものですから、警察もわざわざ介入しません。荒くれた連中ばっかりなんですよ。私も日本では日焼けして見えますが、連中に較べたら生っ白いもんです」

「向こうってどこら辺ですか?」

「今は本拠地をベルギーに構えました。便利な所なんでね。でも山はヨーロッパ中行きます。北欧からイタリアまで」

「高井さんが自分で山に行かれるわけですか」

「そうです。自分だけが頼りの世界なんです。一人きりで何ヶ月も山を歩くこともあります」

 

 サラリーマンとは随分違う世界だ。忠興は続けた。

「何とかやって行けるようになったのは、実は軟禁されたからなんです」

「え?」

「ま、お互い山師同士なんでね。捕虜と兵士みたいな、元々同じことを自然の中でやってる訳ですから気心は通じましてね。自由に動けるようになってからは結構助け合ってます。世界が一遍に拡がりましたよ」

 忠興は笑った。まるで登頂に成功した登山家のような笑顔だ。左門はほんの少しの嫉妬心が湧くのを感じた。これに較べりゃ俺の仕事なんて小さいもんだ。こんな男の元で栞は大きくなったのか。


 忠興はバックからごそごそと何やら取り出した。

「実際は辛いこともあったんですが、これがあったから乗り切れたんです」

忠興が見せたのは手紙、キャラクタのメモ用紙に書かれた幼児の字だった。

 

お父さんへ・・・で始まり、大好きで終わっている。その下には『しおり』とあった。きっと栞が小さい頃に書いたものなんだ。お父さんが大好きだったんだ。左門は手紙から目を逸らした。


「で、用件に入りましょうか」

「そうでした」

 忠興は頭を掻いた。そして改めて左門の目をじっと見ると一気に言い放った。


「栞を、私の娘に返して頂きたい」

まるでドラマのシーンだよ。左門は呟くように答えた。

「そう・・・ですか」

「西陣さんには申し訳ないと思っています。しかし今更ですが、親の役目をしたい、そう思っています」


 左門は思った。この男は生まれた時からの栞を知っている。これには勝てないな。俺だって栞の事は大切に想い、恐らく愛している。だが一時は邪心も抱いた事だしこれ以上父親を務める資格は、確かに…ない。


 左門はあれこれ言い立てる気にはなれなかった。女神は俺には微笑まん、これが潮時というものだ。左門を促すようにテーブルの青い石がキラッと輝いた。左門は引く決心をした。また市役所で手続きしないとな。職員に呆れられそうだ。


「解りました。そのようにします」


 忠興は深々と頭を下げた。


「有難うございます。かたじけない」


 左門はちょっと椅子を引いて聞いた。

「高井さんはまだ日本にいらっしゃるんですね。じゃ、連絡先だけメモに書いて下さい」

 忠興が記したメモをポケットに入れると、左門は立ち上がった。

「後のことは栞と話し合って下さい。今日のことは帰って私が栞に伝えます」


 左門は沙良に向かって手を挙げると、千円札を一枚カウンターに置いて出て行った。残された忠興は大きく溜息をついた。沙良がやって来る。

「私は結果に口出しできないけど、でもこれ坂東さんから預かったのよ」

沙良はテーブルの青い石を指した。

「高井さんはご存知なんでしょ?砂織さんがずっと大切にしてた石。坂東さんもこれを栞ちゃんにって」

忠興は青い石を手に取った。懐かしそうに眺める。

「久し振りだなあ。これって皆さんのお気持ちも入ってますよね。判りました。栞に似あう様にしてみます」


 忠興も席を立った。

「今日は有難うございました。坂東さんの仰ったように、ここだから話がスムーズにいった気がします」

「ううん、きっとその石のお蔭よ。心静かにお話が出来た」

「そうか。砂織のお蔭かな」


 一旦店を出て行った忠興だったが、暫くしてまた戻って来た。沙良が怪訝けげんに尋ねる。


「あれ、忘れ物ですか?」

「いえ、あの、ちょっと伺いますけど、この横の駐車場ってこの店の駐車場ですよね」

「ええ、そうですけど」

「あの白いホンダのS660の持ち主の方ってここにいらっしゃいますか?」

「いえ、妹のなんですよ。今日は車置いて、電車で出掛けてます」

「そうですか」

「車がどうかしましたか」

「あの、多分その妹さんに預かりものがあるんです。差し支えなければ連絡先を教えて頂けませんか?」

「ああ、いいですよ」

 沙良はメモ用紙に由良の携帯番号を書いて忠興に手渡した。

「有難うございます。きっと大切にされていたものだと思うので。それじゃ」


 帰宅した左門は、早いうちにと栞を呼んでダイニングテーブルで向い合った。心なしか栞も緊張気味だ。以前のことを引きずっているのかも知れない。左門はなるべく明るい声を出した。


「話があるんだ。今度こそ本当に重要な話」


 左門は麦茶を一口飲むと、栞を真っ直ぐに見た。


「実は栞の本当のお父さんと今日会った。少し前に市役所から電話があってね、高井さんに連絡して欲しいって」

栞は目を見開き左門を見た。

「それで電話してみたら俺に会って欲しいって。内容は見当つくだろ。それで今日会って来たんだ」


 左門は一呼吸空けた。躊躇ためらったらおしまいだ。ここは一気に、

「お父さんは栞に戻ってきて欲しいって。俺は了承した。栞は本当のお父さんの元へ帰るべきだと思う。ヨーロッパに住んでるそうだよ。ベルギーだったかな」

 栞は黙って聞いていた。

「それで、栞は俺の養女になってるじゃん。それ、解除しないといけないんだ。前にやったのと同じだけど順番が逆。これが用紙」

 左門は、以前の手続き時に余計に貰っていた書類を前に置いた。それをチラッと見て栞は顔を上げた。


「それあたしがやる。自分の事だし。ハンコ借りていい?」

 実は左門には好都合だった。市役所の職員と顔を合わせたくないのが一つ、それに重要な出張が入っていたのだ。

「本当?丁度良かった。ほらカレンダーに書いてあるだろ。来週、北海道に出張なんだ。遊びじゃないよ。C社って大手にコンペに行くんだよ。いろいろ見てもらわないといけないから一週間動けないんだよ。だから助かる」


 左門は身体をひねってカウンター下の引き出しから印鑑を取り出した。そうか、こうなるように決まってたんだなきっと。

 左門は用紙と印鑑を栞の方に押し出した。栞は黙ってそれを受け取る。NOと言わない。それが答えなんだ。左門は立ち上がって大きな声を出した。


「さって、忙しくなるぞ。大学どうするかってあるけど、ベルギーに住めるなんて凄いよなあ」


 リビングを出てい良く左門の後姿を、栞はまともに見られなかった。パパ、ごめん。

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