第22話 シンデレラ

 あの日以降、栞の帰宅は遅くなっていた。


「栞、まさかあの貴公子と会ってんじゃないだろうな」

「そんな安直な人じゃないよ。図書館寄って調べものしてるだけ」

「ふうん」

「六条家って本物の貴族だったみたい。その流れで今もいろいろ役目があるんだって。お屋敷が隣の城下町のお堀のすぐ傍にあってね、殿様からも重用されてたみたいよ。ストリートビューで見たら凄いよ。ずっと白壁。入口は雷門みたいな大きさ」

「それ、興味本位で見てるの?それとも真剣?」

「判んない。どっちにしても知らないより知ってた方がいいでしょ」

「ま、そりゃそうだけど」


 栞は本当に図書館で調べていた。六条家とは?その暮らしとは?勿論、澪を質問攻めにもしていた。その結果、輿入れした場合、六条家が名前を連ねる稽古事の宗家や各種団体のトップとして振舞わねばならない事、それも一つや二つではない。稽古に励むのは勿論、催し物への出席、挨拶回り、社交活動は多忙を極める。勿論、立ち振る舞いや言葉遣い、慣習は六条家に仕える師匠連がみっちりしつけてくれるようだ。一見華やかだけど厳しい世界。栞がこれまで見たこともない世界だ。しかし生活や経済面の心配はなくなる。パパへの親孝行は間違いない。パパには本来責任ない栞への経済負担等は払拭ふっしょくされる。再婚し易くなるだけではない。もしかしたら再婚相手だって出てくるかも知れない。本当にパパの事を思うのなら、あたしが縛りつけているモノたちからパパを解き放ってあげるのが当たり前じゃないのか。その為にはうってつけの話だ。こんな話が突然やって来るのは奇跡だろう。これってまるでシンデレラ?


 あたしが我慢して頑張れば何一つマイナスはない・・・。


 栞は客観的に考えていた。そして大学で澪に声を掛けた。


「澪、こないだの話だけどさ」

「はい」


 澪は一歩引いた。顔が強張っている。


「受けようかと思うの」

「え? ・・・ ま・誠ですか?」

「ん?うん。澪、勧めてくれてたんじゃなかったっけ? わざわざウチに来てスパイ迄してたし」

「いえ、決してそのような恥ずべきことは致しておりませんし、それで、本当にお受けになると?」

「そう言ったつもりだったんだけど。六条君に言っといてくれる?直接言うのは照れくさいしさ」

「は・はい・・・」


 澪は更に二歩ほど後退している。何してんの?そんなにビビる話なのかな。言い出したのそっちじゃん。栞は不思議に思ったが、次の授業の時間が迫っていた。


「じゃ、お願いね!」


 栞はキャンパスを駈けて行った。残された澪はしばらく動かなかった。


 その後、栞は実朝からのリアクションを待ったが、キャンパスで出会ってもにっこり会釈するだけ。大層な振り出しの割には淡白な対応だな。これが貴族ってものなのか。ひゃっほー!サンキュ! とか言えないんだ。栞はちょっとがっかりした。でもパパには言っとかないと。ある日突然六条家からパパに牛車に乗った貢物が来るかも知れないし。

 澪にことづけてから一週間後、栞は夕食のあと、打ち明けた。左門が週末で完全に油断していたタイミングだった。


「あのさ、パパ」

「ん?」

「少し前に六条君来たでしょ」

「え?ああー、そうだったな」

「あの話、受けようと思うの」


 左門は電撃を喰らったように立ち上がった。


「何だって?」

「だから、六条君ちにオコシイレしようかと思うの」

「ちょ、ちょっと待て栞。そんな簡単に言うな!それは嫁に行くって話だぞ。簡単には帰って来れないんだぞ。俺とはもう会えないんだぞ。ただの結婚じゃないんだぞ」

「うん、解かってるつもりだけど」

「解ってない!もう一緒に朝ご飯も食べられないし、その、ツーリングも行けないし、ほら、お風呂だって・・・いや、お風呂は違う、でも一緒にアイス食べたりできないんだ」

「あたしもう子どもじゃないんだから解ってるって。それにもう返事しちゃった」

「な・なんだって!!」


 左門は一瞬硬直したかと思うと、急にリビングを出てウェストポーチを掴むと『断って来る!』と叫びながら慌ただしく玄関を出て行った。


 栞は後を追えなかった。小さく溜息をつくとダイニングの自分の椅子に座った。いつもの場所、前にはパパがいる場所。栞は手を組んであごを乗せた。

 パパが言うのは正しい。解かっているつもりだった。もう一緒にアイスも食べられないし朝ご飯だって、パジャマでトーストくわえて、なんてできなくなる。そもそももう会えないかも知れない。会えたとしても六条家の監視の下、バカ話したり、おでこゴツンしたりはきっと許されない。パパと呼ぶ事さえ駄目かも知れない。

 自分では自分に言い聞かせたつもりだった。だが、改めて人から言われると全く違って聞こえる。突如いろんなシーンがよみがえって来た。初めてここへ来た夜、一緒に走った道、クラブ・サラで叱られたこと、朝一の寝ぼけた顔、あたしのお弁当の方が由良さんより美味しいって本気で言ってくれたこと、石を見つけた夜、たった3年半なのにこんなにたくさんの思い出がある。


 栞の目から大粒の涙がこぼれ落ちた。 やっぱり・・・パパ、断って・・・。お願い。

 しかし、一旦動き出した六条家のメカニズムがそう易々と翻意を許すとは思えない。どうしよう。

 栞はスマホを取り出すと、隠密にLINEを送った。そしてヘルメットとグローブを取り出すと、玄関を出て鍵を掛けた。

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