第5話 転がり込んだロード娘
♪ ピンポン
5月の終わり、左門が帰宅後シャワーを浴びて、さてメシどうすっかなあと冷蔵庫から缶ビールを取り出したとき、インターホンが鳴った。もう暗いのに宅配便か、部屋番号の押し間違いか・・・とモニターを覗くと若い女性が映っている。おいおい、どこと間違えてんだ。
「はい、503ですけど」
どちらへご用ですか?と言おうとしたら先を越された。
「西陣さん!助けてください!」
はい? 誰?
「あの、この前パンクでお世話になった高井です」
え?ああ、そう言えば・・・ 左門は二週間前の出来事を思い出した。
けど、それがなんでこうなるんだ?
「どうしたの?またパンク?」
「いえ違います。突然で失礼ですけど家に入れて頂けないでしょうか」
何だって?ストーカーにでも追われてるのかな。
「ちょっと待って。鍵開けるから、そこのロビーで待ってて」
左門は共同玄関のロックを解除し、急ぎ階下へ降りた。エレベータの扉が開き、ロビーに出た左門の目に真っ先に入ったのはビアンキ。二週間前にレスキューしたロードバイクだ。トップチューブにヘルメットがぶら下がっている。傍らにその時の女子高生とキャリーバックがある。女子高生がペコリと頭を下げた。
「本当に突然すみません。他に近くで知っているところがなくて」
「うん、まあ、ちょっと座って」
左門は面会用のソファを勧め、自分も向かい側に座った。
「どうしたの?家出みたいな格好で」
「はい、そうなんです。家を追い出されて、行くところなくて、あたしの全財産持ってどうしようと思ったらマンションが目に入って、そうだ、西陣さんがいる・・・って」
何だか
「もうちょっと詳しく。えっとキミは高井さんって言うんだ」
そう言や名前も知らなかった。
「はい、判りにくいと思いますけどそうです。高井 栞 と言います。あの、母と喧嘩して、母とは以前からあまり良くなくて、その、ウチは父がいなくて、母はもうオマエなんか子どもじゃない、出てけ、どこでも好きなところ行けって。それであたしも、ムカついて、上等だよ、出て行ってやる、アンタなんか親と思わないってブチ切れて、荷物まとめて母がいない隙に出てきたんです。すみません」
高井栞は、また頭をペコリと下げた。
「要は親子喧嘩ってことだよね。お父さんはいらっしゃらないって?」
「はい、父も先週出て行きました。あの、母にオトコがいるんです。それで喧嘩になって、同じように父が出て行って、それで今日はあたしが母に言ったんです。『どうするのよ、お母さんが全部悪いんじゃん。出て行くのはお母さんの方じゃん』って。そしたら代わりのお父さんが来るとか訳わかんないこと言うから『サイテー!この浮気女!』って言ったら母も切れちゃって、あたしも代わりのお父さんなんて見たくもないし」
「ふーん。難しそうだけど、ちょっと他人が入れる話じゃなさそうだなあ。そのお父さんとは連絡つかないの?」
「はい。携帯、電波届かないって」
「ま、事情は判らないけど判った。もう夜だし女の子が一人でウロウロしてると危ないし、俺が危なくないって訳でもないけど、一旦ウチに来て。でもほら最近って監禁とか誘拐とかうるさいから無理矢理誘ったなんて後で言わないでね。俺も首が掛かってるから」
「大丈夫です!」
栞はJKらしい定番フレーズを叫び、そのまま左門の部屋に転がり込んだ。ま、明日、母親に連絡したら引き取りに来るだろう。親なんだからな。
「ご飯、これから作るから、取り敢えず荷物はこっちの部屋に置いて、えーっと、洗面所はここで、タオルはこれ使って、寝るのもこの部屋で何とかするからさ、パジャマは・・・持ってるよね?」
「あー、ないです。洗濯して干したままだ」
左門は呆れた。サイクルジャージやヘルメット持ってきてパジャマないなんてどんな家出だよ。いやまあそんなもんか・・・。所詮は高校生の衝動的な行動だ。
「えーっと、前に言ったけど、ウチ、奥さん亡くなったんだけど、嫌じゃなきゃ奥さんが使ってたパジャマ使って。ちゃんと洗濯はしてあるから衛生的には問題無いはずだ」
「はい、大丈夫です。そうだ、挨拶しなきゃ。どこかに写真とか置いてます?」
栞は妙な気遣いを見せ、佳那の写真と位牌に殊勝に手を合わせた。その後決して広いとは言えない3LDKを栞が探検している間に、左門は2名分の夕食を用意した。二人分なんて何か月ぶりだろう。少し感傷的になりかけた左門の想いは、都度『えーっ、これ、何ですかあ』やら『うおっ、すごっ』やら栞の叫びにかき消された。全く家出娘とは思えない明るさだ。
「おーい、ご飯だよー」
「はーい」
何じゃ、このやり取りは。左門は苦笑しながらお茶を
「いっただきまーす」
栞は明るく手を合わせた。
「すっごーい、これみんな西陣さんが作ったんですかあ」
テーブルには、鮭のムニエル、ブロッコリー・人参・グリーンアスパラの温野菜、マッシュポテト、そして焼き玉蜀黍が並んでいる。
「まあね、いつもはこんなに作んないよ。久々の来客だから」
「お客さんじゃないんですけどぉ。西陣さんには申し訳ないけど、あたしずっと居ますんで、ちゃんと家事も手伝います」
「そうはいかないと思うけどねえ・・・」
左門は、難しい話は後にしようとそれ以上は思い留まった。
栞は箸をつけるたびに「おいひー!」を連発する。こんなに明るい食卓は久しぶりだ。しかし喜んでばかりはいられない。食後のコーヒーを淹れながら左門は言った。
「明日、高井さんのお母さんに話するからさ、イエデンの番号書いておいて」
「無駄ですよ。だいたいアイツはお父さんが出ていくずっと前からオトコ作ってさ、お父さん知ってたんだけど何も言わなくて。酷いよあんなの。昼間、お父さんが働いている間に逢ってるんだよ。誰のおかげで生活できてると思ってんのよ」
栞は散々愚痴った。左門はうんうんと聞き流すしかなかった。そのうち落ち着くだろ。学校の話とか聞いているうちに夜も更けてきた。左門はお風呂の使い方をレクチャし、栞が入っている間に、栞の荷物置場になっている四畳半にソファベットを持込み、取り敢えずの寝室を作った。元々物置に使っていただけなので大して手間はかからなかったが、こんなに急に子供部屋が必要になるとは思いもしなかった。
「じゃあ、今晩はよく寝るんだよ。おやすみ」
栞が寝静まった深夜、左門はネットを調べまくった。やはり独断で未成年を保護すると誘拐になるようだ。現時点では虐待を受けていたとは言い難いので、保護にも当たらないだろう。こればかりは栞が泣こうが
ノートパソコンの蓋をパタンと閉めた左門の耳に、ふと気になる声が聞こえた。廊下に通じるドアを開けると、トイレから忍び泣きのような声が漏れてくる。左門は遠慮がちにトイレのドアをノックした。
「高井さん、大丈夫かい?」
少しして、洟をすする音とともにドアが小さく開き、栞が顔を出した。
「すみません・・・」
栞は左門の顔を見上げた。その目から涙がつーっと伝い落ちる。
「お父さんに逢いたい」
「うん。だね」
「すみません」
栞は先程までとは打って変わったか細い声で呟くと、おやすみなさい と言い残して部屋へ戻って行った。左門にはそれ以上かける言葉が見つからなかった。
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