寒の戻り
吐く息が白い。
目覚めてしばらく布団でもぞもぞと芋虫のように蠢いていたが、時間が迫るにつれて私は諦めて掛布団を勢いよく跳ねのけた。
わかっていた事だが、冷気が体にまとわりついて瞬間すぐに顔をしかめ、冷気によって尿意を催し急いでトイレに駆け込んだ。
四月も半ばを過ぎたと言うのに冗談のような寒さに、私は物置部屋にしまい込んでいた石油ファンヒーターを取り出して点けるしかなかった。
さすがに雪は降らなかったが、曇天の最中降りしきる雨は容赦なく地面を濡らしていく。春の雨なのでそれほど激しく降る事はないにせよ、季節外れとも思える冷たさは春が一足踏み入れて三歩くらい遠のくような、そんな印象を覚える。
仕事を終えた私は、部屋が暗いままなのに気づいた。
今日は誰も居ない日だった。
いつもなら一緒に住んでいる同居人が居るのだが、今日は珍しく出かけると言って一日留守にしているのだった。
一人暮らしに慣れた頃なら、いってきます、ただいまと一言いえばすぐさまいってらっしゃい、おかえりと言う声があったのに。
いざ誰も居ない部屋に戻ってみると、ぽっかりと穴が開いたかのように思える。
喪失感というのはこういうものだろうか。
例えば同居人が死んだら、ずっとこの喪失感を抱えて生きていかねばいけないのだろうか。そう考えるだけで私の背筋には寒気が走る。
いのちを持つものはいずれ死に向かう。
頭では勿論理解しているつもりだし、幾度となく私も人の死というものを見て来た。事故で倒れている人、病気で臥せっていた人、親戚の人が棺桶の中で静かに眠っている時……。
だがそのいずれにしろ、当事者としての意識は薄かったように思える。
もし、あの人が居なくなったら私はどうなってしまうんだろう?
考えれば考えるほど、私の思考の渦はどん底に落ちていく。
ピロリン。
その時、携帯にSNSの着信が届いた。
メッセージを確認したら、同居人からだった。
「なんだろう?」
いまから帰るという簡潔な一言と共に、新幹線の座席の小さなテーブルの上に乗せられた駅弁とビールの写真。
帰る途中で新幹線の中で一杯ひっかけるつもりなんだろう。
このやろう、一人だけで楽しみやがって。
なんなら私だって冷やしてあるワインでもあけちゃおうか。
とっておきのチーズだって食べようか。生ハムだってある。
たった一つのメッセージでご機嫌になれるのもまた、この人と出会ったからだろうか。それだけでも有難い事なのかもしれない。
いずれどちらかが先に居なくなるとしても、私はまだこの人と一緒に居たいと思えるだけの気持ちを持ち続けていたい。
別れはまだ遠くにある、そう信じたかった。
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