世界の終わりの後に。後編
重松は俺の言葉を聞くや否や、信じられない馬鹿をみるような目でこちらを見た。
「お前正気か? それともこんな状況に陥ったからって自棄にでもなったのか」
「俺は至ってマトモだぜ。こんな状況だからこそ、少しでも希望になる物があるんならそれを探してみるのも悪くないって思わないか? いつまでもゾンビになるのをビクビクしながら暮らすのはうんざりだ」
「そうかよ。悪いが俺はそこまで信じられるほどアホじゃないんでな。せいぜいゾンビに喰われないように気を付ける事だ」
重松はそのまま背を向けて足早に去っていった。
去り際に馬鹿野郎めが、という言葉を小さく言ったのを俺は聞き逃さなかった。
「ねえ、本当に、本当に信じてくれるの?」
「ああ。もういい加減、ここの暮らしに飽きていた。お前の両親の会社に薬でもあるんなら探しに行くのも悪くねえ」
「あ、ありがとう」
ミカはぼろぼろと涙を流し始める。
「本当は私だってこんな事したくない。でもこんな世界じゃ私みたいなのはこうやって生きるしかなかったの」
「そう言えば、広田とはどうやって知り合った?」
「坂井さんの家を出たらすぐに会ったの。製薬会社に関わりのある人の娘だって言ったら血相変えて飛びついてきた。私の言う事もすぐ信じた。納屋の中にはなんか実験器具みたいなものもあったよ」
もしかしたら広田はゾンビ化に対する抗体の研究をこの片田舎でやっていたのかもしれない。
「身の上話も多少はしてくれたけどね。どこかの研究所に勤めていたって言う話だけど。私とセックスしたのも、抗体持ってる人間の体液採取が目的かもしれない」
「それで自分も助かる為にワクチンでも作ろうとしてたのかね」
しかし結果は無残なものに終わってしまったわけだ。
完成まで持っていけていれば世捨て人から一転して救世主になれたかもしれない、哀れな男の残骸を後に俺達は急いで脱出の準備の為に自宅に戻る事にした。
道中、集落の人びとであったものとすれ違う事はあったが大概がゾンビになってしまっていた。ゾンビの能力は生前の能力にある程度依存するらしく、既に老人となっていた人々の動きそのものは余計に緩慢で、気を付けてさえいれば避けるのは容易かった。それでも一旦掴まれれば女子供ではひとたまりもないだろう。俺ですら振りほどくには一苦労だったのだから。
「あっ、隣の家の……」
道すがら、ゾンビ化していた隣家の夫婦を見た。
車で都市に行って少し怪我をしたとは聞いていたが、ゾンビから怪我を受けていたと知っていれば追い出していたのに。後ろめたくて黙っていたのかもしれないが、そうならばここに戻ってくるべきではなかったのだ。あるいはかすり傷なら感染などしないとタカをくくっていたのかもしれないが。
ゾンビから外傷を受けたら基本的には助からない。だからこそゾンビには触れる事も触れられる事も避けなければならない。感染の進行具合も人と怪我の具合で多少の前後はあるが、だいたい1週間~1か月くらいでゾンビになってしまう。ごく稀にミカのように抗体を持っている人も居るがそれはゾンビウィルスに感染しないというだけで、ゾンビから噛みつかれたりすれば怪我を負うし、大概そういう状況だと囲まれて噛みつかれて死んでしまう。
俺の家の出入り口をふさいでいたので悪いが倒れてもらう。
銃声が二つ鳴り響いた。
「ちょっと、銃声はまずいんじゃない?」
「今更だろ。どうせ脱出するんだ。出てきたらその都度倒せばいい」
そうでなくてもここの集落のゾンビたちは動きが緩慢すぎるからな。
銃声におびき寄せられるとしても来るのは日が暮れてからになるだろう。
俺は急いでありったけの銃弾と食料をかき集め、残っていたガソリンを軽トラに満タンし、あとは携行缶に詰め込んだ。
助手席にミカを乗せ、俺は勢いよくエンジンをかける。
エンジンはホラー映画の定石のようにかからないなんてことはなく、すぐにかかった。
「こんな形で集落から出る事になるとはな」
「……ごめんね」
「お前が謝る事じゃない。結果的にお前はゾンビにはなっていなかった。だろ?」
「うん……」
「いずれ俺はここを出ていた。遅いか早いかってだけだ」
俺は軽トラを発進させた。
「ここからどこに行くの?」
「俺の知り合いが山向こうの県境を超えた先に居るんだ」
「無線機とかないの?」
「あればそれで連絡とってるよ。携帯やネットが死んだ今、連絡取れるのはそれくらいだ。ああ、一応狼煙とかもあったか。でも狼煙じゃ大まかな連絡しかできないし無線機はやっぱりほしい所だな」
そういえば大型トラックには無線機がある事を思い出した。だが今ごろ大型トラックを動かしているのは重松だろう。あいつが俺達に銃を向けて来た事に、今更ながら腹が立ってきた。とはいえ既に出発しここを脱出しているに違いない。
山道は当たり前だが曲がりくねっていて走るのには大分難儀する。ゾンビパニックで道路の整備なんかも行われる筈もなく、所々ひび割れているしガードレールが破損している箇所もある。慎重に運転しなければ転落してしまう。
「ねえ、あれ見てよ」
「ああ? なんだトラックが道を塞いでやがる」
山道は片側一車線だというのに、大型トラックが横向きになって両車線を塞いでいた。これでは通行できやしない。そしてトラックの車体には採石場を運営していた会社の社名があった。重松が今頃運転しているに違いないトラックだ。
「なんでこんなとこで止まってるんだ?」
エンジン音は未だに鳴っているままだ。
「何か臭うよな」
「気を付けて、坂井さん」
俺はショットガンを持ち、大型トラックにじりじりと近寄る。
突如トラックのドアが開き、二つの人影が道路にぼとりと落ちて来た。
ひとつは重松であったもの。もうひとつは恐らくトラックの運転手であったと思われるもの。既に見る影もない。
トラックの休憩スペースに居た運転手に背後から襲われたのだろうか。いくら腕が立つ重松とてひとたまりもないだろう。重松だったゾンビは銃を抱えながらもただ持つだけで、引き金にすら手を掛けられない有様だった。生前の寡黙で精悍だった姿はもはや無い。
「アンタは嫌な奴だったが、こんな姿になったアンタは見たくなかったよ」
噛みつかれ、うめき声を上げている二人のゾンビを見つつ俺は引き金を引いた。
やがて動かなくなったそれらを後目に、俺はトラックを動かして崖から落とし、軽トラックに戻した。
「ねえ、大型トラックでこの先行かなくてよかったの?」
「俺大型免許持ってないのを思い出したんだわ。崖から落ちるよりも慣れた軽トラで運転した方がいいだろ」
「それはそうね。じゃあ行きましょう」
「ああ」
アクセルを踏み、軽トラックは音を立てて山道を走っていく。
山を一つ越えるにはまだ時間が掛かるだろう。それでも夜になる前には県境を超えていけるはずだ。
俺達はまだ生き延びている。この先も生きられるかどうかの保証は全く無いが。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます