雨
じっとりと湿っている。
水たまりの上にはアメンボがすいすいと踊るように滑っている。
重金属のように重苦しく暗い雲が山の向こうから顔を覗かせている。
遠雷が静かに確実に響いて、遠からずまた雨が降り出してくる事を示している。
僕の背中も、汗まみれに湿っている。
スコップを持った手は、じっとりと同じように赤く湿っている。
一仕事終えたからにはもうここには用はない。
とっととこの場所から去らなければ。
山と海が両方拝めるこの場所は、僕にとっては忌々しい場所で、もうここに住むつもりもなかった。
どのみち留まっていれば捕まってしまう。
さっさと逃げるしかない。
どこに?
どこかに。
ここではない、どこかに。
あてはない。
もとよりどこに行けばいいかなんて、誰も示してくれないし、自分で見つけ出すには少しばかり遅すぎた。
古ぼけてさび付いた、いまは使われていない電車のレールは草木が生い茂り先が何処へつながっているのかもわからない。
僕は錆びたレールに沿って歩き始めた。
スコップは棄てた。
手ぶらで行くのが良いと思ったから。
レールはやがてトンネルへとつながっている。
トンネルも使われていないから、当然暗い。
トンネルに入ると湿気た空気はより澱んで僕を包む。
水滴が滴り落ちて背中に沁みを作った。
誰が省みる?
誰も顧みない。
あれもこれも、どれもそれも僕は見て来てはうんざりしてきた。
自分が何もできない事に、何をしても上手く行かない事に、そのたびに蔑まれ、疎まれ、除け者にされる事実。
どこに行っても疎外されるしかないなら、どこにでも行ったって同じ事じゃないか。諦めるしかない。
寄り添う気配がする。
人ではない。
こんなところに人なんか居てたまるか。
暗闇の中で人の目なんか役に立たない。
気配は僕を包むように、しっとりと覆いかぶさった。
暖かくはなく、冷たい。
それが今は心地よい。
もうぬくもりなんていい加減な言葉にはうんざりしていた。
キズナとかいう、訳の分からない連帯を強いられるのも嫌になった。
そのくせ、孤独や独りぼっちでいる事に耐えられない自分の弱さにはあきれ果ててしまう。人間と言う生き物がそういう性質であるというのは知識として知っていても、僕は誰かとつながりを持って生きる事がどうもむつかしいようだ。
誰彼かまわず人の心がわからない。
気が付けばずけずけと踏み込み、知らないうちに傷つけていた。
嫌な想像ばかりして、気づけば僕の足は止まっていた。
孤独に生きる生き物であればよかったとどれだけ願った事だろう。
それでいいんだよと一言だけでも肯定が欲しかっただけなのに。
いいんだよ。
それでいいんだよ。
君は何も間違っていないんだ。
その手が真っ赤に染まっていても何も間違っていない。
間違いなんてないし、正しい事なんて何もない。
相対的なんだ。
ひとのなかで生きるためにルールがあり、ルールを逸脱しただけの話なんだ。
ひとのなかで生きる事は許されないかもしれないが、だったらそこから逃げてしまえばいい。
どこに行けばいい?
どこにぼくの居場所があるってんだ?
ここにある。
ここが除け者たちの居場所だ。
除け者は暗い場所にしか居られないのか。
除け者はすみっこで生きるしかないのか。
だったら君は何処へ行く?
ここも嫌だ、あそこも嫌だ。
一体どこへ行くというんだ?
だから、僕は立ち上がった。
ここではないどこかへ。
逃げた先に何があるのかなんてわからない。
それでもここではないどこかを探すしかない。
冷たい湿気たものはいつのまにかいなくなっていた。
雨が地面を強く叩く音が、響き始めていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます