世界の終わりの後に。中編

 女を連れ帰る事を決めたのはやはり不味かったかと早くも俺は後悔していた。

 まず食べ物や水が自給自足できる事については、女は喜んでいた。

 だが周囲に老人しかいない事にあからさまに不平不満を漏らす有様だ。

 そもそも俺が住んでいる場所は限界集落みたいなものだと説明しても、全く理解していないのだから。

 そして得体の知れない外部からの人を連れ込んだ事に、集落の老人どもは眉をひそめてあからさまに嫌がっていた。

 そりゃ、確かによくわからない奴を連れてくるなんざトラブルの元にしかならないってのは、俺も頭ではわかっている。

 だがどうしようもなく、俺はもう代わり映えのしない連中の相手をするのに飽き飽きしていたのだ。何より潤いが無さすぎる。若い女の一人や二人くらい連れ込んだっていいだろうが。


「ねえ、ここに住んでいいの」


 言いつつも女は既に荷物を降ろして靴を脱ぎ、居間のこたつでくつろぎ始めている。この崩壊した世界を生き延びて来ただけに、割と図々しいなこいつ。


「連れて来たのは俺だ。周りが何と言おうと好きにしろよ」

「やったあ」


 その後、飯を食い俺たちは床に就いた。


 深夜。気配を感じて俺は目を覚ました。


「ゾンビか?」


 咄嗟に布団の横に置いてあるライフルに手を掛けようとした時に、吐息が俺の頬に掛かった。


「ゾンビなんかじゃないよぉ」

「ちっ、なんだおめえかよ」

「お前なんて言わないでよ。ミカって呼んで。そういえば貴方の名前も聞いてなかったね」

「俺は坂井だ」

「坂井さんね。じゃあ、続きやろっか」


 ミカは俺の掛布団をはぎ取ろうとした。

 その時、ふと服の袖の綻びから見えるものがあった。


「お前、腕どうした?」

「えっ」


 ミカの顔色に明らかな狼狽の色が見えた。

 

「ゾンビにでも咬まれたか」

「だからどうだって言うの」

「感染者とヤるのはごめんだね。悪いがここから出て、どっか違う土地にでも行く事だな」

「まだ私は発症してない」

「感染者の疑いがある以上、近くに居てもらうのは困る。出て行かないなら撃つぞ」


 俺に言われ、ミカは脱ぎかけの服を渋々着て立ち上がった。


「一週間分の食料くらいはやるよ。餞別だ」

「うるさいわねこの人でなし」


 言いつつもミカは干し肉と水を受け取り、家から消えた。

 とはいえ、老人どもの話では山から下りて行った姿を見たとも聞いていない。

 山の更に奥にでも行ったのだろうか。

 感染者の事をいつまでも思っていても仕方がない、が久しぶりの若い奴が居なくなってしまったのはやはり惜しかった。

 

 ある日の事。

 老人たちが噂話をしているのを耳にした。

 曰く、集落でも厄介者扱いされている広田という男の姿を最近見かけないと。

 広田は何かをやらかしてこの山に入り、日がな研究と称した何かをやっているらしい。老人たちにはそれが理解できなかったし、俺にしても自分が生きるのに精一杯で他人の事を構う余裕などなかった。故に不気味がられていつしか厄介者と言われるようになった。

 老人たちはこぞって様子を見てきてくれ、と俺に頼む。何があるかわからないし、もし感染していたら事だと。


「俺にばっかり頼むんじゃねえよ」


 愚痴りつつも、俺は銃を二丁持っていった。

 俺以外にこの山で銃を所持しているのは重松という男だけで、そいつは俺と同じく猟師をしていてかなりの腕前だが、いかんせん気難しい男だった。

 それに比べれば俺の方が頼みやすいんだろう。ホイホイ引き受ける俺も俺だが。

 この極限状態とも言える状況で食糧を渡してもらえるのは有難いからな。


 広田の家に行く。集落の中でも外れのボロ家に住んでおり、勿論庭やらの手入れはしていないから草木がボーボーに生え放題と来たものだ。

 

「おい、広田さん。居ねえのか?」


 声をかけるが返事はない。

 

「勝手に入るぜ」


 俺は土足のまま玄関を開けて家の中に入った。

 田舎の奴らは大体家に鍵なんかかけやしないのでこうやってズカズカと上がり込むことができてしまう。物騒な世の中になっているというのに人の習慣って奴は中々直らないものなんだろうか。俺が家に鍵を掛けていると老人たちは何かと揶揄する。


 家の中は外とは違って思いのほか綺麗、というかモノが無かった。

 最低限、暮らすのに必要な家財道具しかないと言った風情のシンプルな部屋。

 しかしその中にも広田の所在は確認できない。

 一体どこに?

 台所、居間、風呂場などを探したが居ない。

 

「……そういえば離れの納屋があったな、この家は」


 もしかしたらそこにいるかもしれない。

 俺が家を玄関から出て納屋に行くと、なるほど納屋のドアの前に広田が立っている。しかし広田の様子が明らかにおかしい。

 顔色は土気色で白目を剥いており、虚ろに中空を見ているかと思えば急にこちらを向いた。口からは涎を垂らしている。


「あぁあ」


 これはもう駄目だな。

 俺はライフルを構え、安全装置を解除して引き金を引いた。

 ズドン、という音と共に広田の頭が砕け散る。

 音が響き渡ったと同時に納屋のドアがけたたましい音を立てながら開いた。


「な、なになに何なんなの!?」

「ミカ? お前何してるんだよ」

「別に関係ないでしょ。って、広田さん!?」

「こいつは既に感染していた。お前、もしかして広田とヤったか?」


 俺はミカにライフルの銃口を向ける。周囲に感染者をまき散らすような真似をされては流石にたまらない。俺達の命が脅かされる。


「ちょ、ちょっと待ってよ! 殺さないで!」

「俺達の集落をゾンビまみれにされたらたまらん。悪いが死んでくれ」

「おーい! ちょっと坂井さん、坂井さん大変だ!」


 その時、集落の比較的若い(といっても60代だが)のおっさんが息を切らしながらここまで走ってきていた。


「集落にゾンビが! ゾンビが発生した!」

「何ぃ!?」

「もう既に何人も襲撃されて感染しちまってる! もうここはダメだ! あああ!!」


 言っている間にどこからやってきたのかゾンビがおっさんを襲っていた。

 俺はライフルを構えようとしたが、おっさんとゾンビが激しくもみ合っていて狙いを定められない。


「おっさん、早く逃げろ!」

「ぐわぁああああ!」


 だがゾンビを振り払う前に、おっさんはゾンビに首筋を噛まれて大出血を起こす。

 こうなったらもう助からない。

 俺はおっさんごとゾンビをぶち抜こうと銃を構えたら、一足早く銃声が響いた。

 ゾンビの頭を撃ち抜いた正確なショット。

 急いでおっさんとゾンビを引き剥がすが、既に息も絶え絶えで呼吸も浅く速く、危うい。

 

「もうそいつは助からん」


 先ほどの銃を撃った奴が現れ、俺が何かを言う間も無くおっさんの頭に銃を撃ちこんだ。


「重松……」

「坂井。なんで早く撃たなかった」

「おっさんを避けて撃とうとしていたからだ」

「あの状況ではどっちもぶち抜いた方が結果的には安全だ。あのおっさんではゾンビを振り払うのは無理だった」

「だからといって!」

「今議論をしている暇はない。とにかくここから脱出しなけりゃならん」

「重松、当てはあるのか?」

「この山には採石場がある。そこには大型トラックがあったはずだ。燃料もおそらく十分に残っている」

「なんで知ってるんだ?」

「俺はあそこに出入りしていたからな。生き残りたいなら俺についてくるべきだぞ、坂井」

「待って、私も連れて行って!」


 今まで押し黙っていたミカが口を開いた。

 しかし、重松の視線は凍り付くかのように冷たい。


「ふん、お前感染者だろうが。お前を隣に乗せていつ襲われるかを待っているなんてゾッとしねえ。勝手に野垂れ死ね」

「待ってよ! 思い出したの!」


 そう言って、ミカは納屋からリュックを持ってきて中から何かを取り出した。

 それは空のアンプルと手紙、何かの成分表を記した紙だ。


「なんだそれは?」

「両親が私に宛てた手紙と、ゾンビウィルスに対する抗体が入ってたアンプルよ。私はパンデミックが起こる前に両親からこれを接種されたの。私の両親は製薬会社に勤めていた。もしかしたらパンデミックが起こる事を知っていたのかもしれない」

「胡散臭いな。どちらにしろそんなものでお前がゾンビ化しないなどとは思えん。坂井、行くぞ。そんな女ほうっておけ」


 重松の言う事はもっともだ。

 だが何か、この男の合理的に過ぎる行動が妙に癪に障った。

 もし本当に両親が製薬会社に勤めているのであれば、ゾンビ化に対するワクチンだって量産が可能かもしれない。

 馬鹿かと思われるかもしれないが、俺はこう言ってやった。


「俺はミカの言う事を信じる」

 

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