境界線

 あっちとこっちを隔てる何かがある事に僕は気づいた。

 それは幼いころからのもので、何らかの断絶を表しているという事はなんとなくわかっていたけれど、その正体は何なのかはまだわかっていなかった。


 時を経て、僕は更にその断絶、隔絶したものの正体を徐々に知り始める。

 人は何故わかりあおうとしてわかりあえないのか、きっとそれは古代に持っていたテレパシー能力を言葉の獲得によって失ったからだと、何らかのオカルトめいた雑誌やらで言っていたような気がする。

 人は分かり合えない。

 どれだけ言葉を積み重ねても、どれだけ肌を重ね、時を一緒に過ごしたとしても。

 人の思考を読み取れるような能力、あるいは機械でも発明されない限りその人が何を考えているかなんて絶対にわかりはしない。

 人の考えている事がわかる、おそらくは限定的に。

 思考の流れ、傾向くらいはわかるかもしれない。

 だけどその人の感情、無意識的なものは絶対にわからない。これは確信としてある。

 そもそもそんなものをぶつけられたら果たして僕たちは正気で居られるのだろうか。いやきっと、気が触れてでもいない限り狂ってしまうに違いない。

 

 断絶の崖を見ている。

 断層のずれを見ている。

 いつかはきっと、分かり合える日が来るのかもしれない。

 でもそれはいつなんだろう?

 僕が生きている間にはきっと、そんな日は来ないという事だけはわかり切っている。

 

 人は分かり合えるはずだというメッセージこそが欺瞞であり、嘘だ。

 わかりあえない。

 だからこそ共感がある。

 それはきっと、自分もこうなのだから相手もこうなのだという、一種の思い上がり。

 だけどそうやって人間は生きて来た。

 思いにズレがあり、たとえ必ずしも同じ思いではないにせよ、ある程度は一致する感情が共感だと思う。

 そうやって交わりを経て来た。


 分かり合えるのは幸せなのか、あるいは不幸なのか。

 考えてみても答えは出ない。所詮僕には。

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