第三章 古銭刀と僕

第9話

「よっしゃ、完璧!」


 僕は喝采の声を上げた。


 今日の朝餉は完璧だ。

 お向かいさんからいただいた沼貝をふんだんに使った壺汁。

 泥臭くならないか心配だったけど、井戸水に二日浸けて泥を吐かせた甲斐もあってまったく気にならない。


 隠し味にちょっとだけ垂らしたお酒の香りが食欲を誘う。

 これはご飯が何杯も行けちゃいそうだぜ。

 ……もっとも、その米麦の備蓄も残り少ないんだけど。


 さあ、冷めないうちに師匠を呼びに行こう。


 師匠は朝餉ができるまで、母屋の縁側で待っていることが多い。

 案の定、師匠は母屋の中庭にいた。


 できましたよと言いかけて、僕は思わず口をつぐむ。


 師匠がを携えていたからだ。


 中庭に立てた一本の巻き藁の前で、師匠は腰を低くして構えていた。

 手にした鞘は直剣のものではなく、緩やかな曲線を描いている。


 ――太刀かたなだ。


 太刀は今となっては時代遅れの武器なのだろう。


 かつては騎士団の将校や、潤沢な資金源を持つ一部の傭兵しか装備することを許されなかった金属鎧が、〈大戦〉を経て発展した冶金技術によって民間にも急速に普及したせいで、太刀の需要は一気に減衰した。


 革鎧には絶大な効果があった太刀の切れ味も、さすがに金属の装甲には歯が立たなかったのである。


 そして、金属鎧の圧倒的な防御力を打ち破るため、力と重さで断ち切る剣の需要が相対的に高まっていった。


 刀剣界隈においては、鋭さと技の太刀が廃れ、硬さと力の剣が取って替わる――『刀衰剣復』の時代に突入したのだ。


 とはいえ、時代とともに武器の形状が変わるのは珍しいことじゃない。

 そもそも太刀だって、まだ防具が発達していなかった時代に「刀身が反ってたほうがよく切れるんじゃね?」という理由で直剣から変化したものだし。


 それに、太刀が廃れようと、太刀遣いが廃れるわけじゃない。

 手にする得物が変わろうと、その技術、理念は次世代に継承されていく。


 空気が張り詰めている。

 普段から表情の少ない師匠が、真剣な顔をしているからだろう。

 剣士は真剣を持つと人が変わるというが、それがこれか。


 ごくり、と固唾を飲んだ。


「――ふっ!」


 短い呼気のあと――ちん、と鍔鳴りが聞こえた。

 ばらり、と巻き藁が五つの断片となって崩れ落ちる。


 抜き打ち一閃。翻ること三度。

 合計四度の斬撃を、一瞬のうちに放ったのだ。


 抜く手も見せず、返す手も見せない。

 その絶技に、思わず拍手してしまう。


「お見事です、師匠!」

「……ありがとう」


 師匠が静かに構えを解くのを見計らって、駆け寄る。


「どうしたんですか、真剣なんて持ち出して」

「たまには真剣を振らないと感覚が鈍るからね。普段はあなたのいない時にやっているんだけど」

「え、なぜです?」

「だって、未熟な弟子に技を見せるなんて贅沢でしょ?」


 師匠ってば辛辣しんらつ

 そりゃ、確かにまだまだ未熟ですけど……。


 まあ、それはいい。事実だし。

 それよりも、僕は師匠の手にしている太刀に目が吸い寄せられた。


「……なんだか、良さそうな太刀ですね」

「あら、見ただけでわかるの?」

「ええ、まあ。何となくですけど」

「さすが商人の息子ね。これ、古銭刀こせんとうよ」

「ええ!?」


 その名は僕も聞いたことがある。

 古銭刀は、言葉通り古銭を素材にした太刀だ。


 かつてレスニア王国では鉄貨が流通していたという。

 もちろん今では価値のないものだ。貨幣としては。


 だが、そこに別の価値を見出した刀鍛冶がいた。

 鉄は古いほうが質がいい。鉄貨も鉄に変わりない。ならば、それを太刀の素材にしてみようじゃないか。

 そうして製造されたのが古銭刀だ。


 良質の鉄が本来は相反する硬さと粘り、切れ味と耐久性を両立さしめ、不純物が限りなく存在しないために打ち合った時に鈴のように澄み切った音がする。


 しかし、なにぶん材料に限りがあるので、鍛造された本数は少ない。

 聞いた話では、現存しているのは百振り程度だという。

 国宝とは言わないが、紛れもない貴重品だ。


「この太刀は、私が独立する時に師から受け継いだものなのよ」

「へえ。そんな貴重なものを贈られるなんて、よほど可愛がられていたんですね」

「ええ。とても良くして頂いたわ」


 懐かしい思い出を噛みしめるような表情。


 ……少しだけ嫉妬する。

 その太刀の元の持ち主は、僕の知らない師匠をたくさん見てきたんだろうな。


「まあ、受け継いだというよりも、押し付けられたというほうが正確なのだけど」

「え? なんです?」

「なんでもないわ。そういうわけで、はい、これ」


 そんな感じで、割と適当に手渡された貴重品。

 思わず、え、と間抜けな声が出た。


「あなたの前で技を見せたのは、今のあなたにはその資格があるからよ。いい機会だし、あなたもそろそろ真剣を使った稽古をしてもいいかなって」

「い、いや、でも、こんな貴重なものを使うなんて……!」

「いいのよ」


 いいのよって。

 太刀を受け止めた両手に、ずしりとした鋼の重みが返ってくる。


 ……普段使っている木刀も決して軽いわけじゃない。

 本来、剣術は文字通り真剣を振るうものだ。だから、その練習用の木刀が軽かったら意味がない。長さも重さも、可能な限り近しいものを使う。


 だが、それでも。本物の太刀は重かった。


「よ、ようし」


 師匠が新しく立てた巻き藁の前で、僕は師匠の真似をして構える。


「あ。それはやめて」


 師匠が止めに入った。


「剣術と抜刀術は別物。あなたには太刀を抜く技術なんて伝授してないし、私の動きを真似ても、術理を理解していないから形だけになっちゃう。変な癖がついても困るし、何より真剣なんだから見様見真似みようみまねはとっても危険よ」


 師匠の言うところによると、抜刀術は剣術の一種ではなく、それ単体で成り立つ武術らしい。


 武器を構えていない状態で戦闘が始まってしまった場合、生き残るにはどうすればいいか、という武器戦闘の宿命を解決するために生まれたものだそうな。

 なので、抜刀術を使えない剣術家も普通にいる。


 もっとも、古流剣術はいかなる状況も想定しているので、まだ僕がその域に達していないだけで、ハイデンローザ流の中にも抜刀術の要素は含まれているらしい。


「抜き方を教えてあげるね」


 僕は師匠に太刀を手渡す。


「まず、注意してほしいのは、腕だけで抜こうとしないこと。柄を強く握りしめると手首の可動域が狭まるから、かえって抜けないわ。親指と人差し指の付け根で軽く挟むくらいでいい。そして左脚を引いて、体を開くと……ほら、鞘が太刀から遠ざかって勝手に抜けるでしょ。これが基本的な抜刀よ」

「なるほど」

「で、これを極めると――」


 ひゅ、と風が切り裂かれる音がしたかと思った次の瞬間、抜き身の刀身がいきなり目の前に現れた。


「これが武術としての抜刀術ね。ほら、別物でしょ?」


 言葉が出ない。

 まったく見えなかった。まるで時間が切り取られたような感覚だ。

 抜く前と、抜いた後は見えるのに、その途中が見えないなんて。


「じゃあ、抜いてみて」

「や、やってみます」


 確かに、腕だけで抜こうとすると、腕が伸びきって途中で引っかかるな。

 手首を柔軟にして、左脚を引きながら……よし、できたぞ。


「そうそう。上手に抜くことができたわね」

「ありがとうございます」


 ……ところで師匠。

 あどけない顔で抜く抜くと連呼するのはやめていただけますか。思春期には刺激が強すぎます。


「じゃあ、そのまま斬ってみましょうか」

「はい」


 気持ちを切り替えて巻き藁の前に立つ。


 呼吸を整えて、上段に振りかぶり――


「はぁっ!」


 袈裟懸けに一気に太刀を振り下ろす。

 ざくっという小気味よい音を立てて、切っ先が巻き藁に食い込み――


「あ、あれ……?」


 ――青竹の芯で止まった。


「腕だけで切ろうとして、姿勢が崩れたわね。そのせいで刀線、刃筋の角度に狂いが生じている。いくら古銭刀でも、それじゃ斬れないわね。最悪、折れることだってあるわ」

「……はい、すいません」


 師匠の指摘されずとも、失敗の原因はすぐ思い当たった。


 しんしんに通じる。

 心が動じれば、それが体の動きにも表れる。


 動じた理由は明白だ。


 これは真剣。

 触れれば容易く皮を裂き、肉を切る。血を流して死に至らしめる。

 弓や槍も人間相手に使われることがあるが、起源を辿れば狩猟道具。人間にも有効だからという理由で使っているだけ。


 それに比べて、刀剣は人間を殺めるために作られた生粋の殺人道具だ。どんな綺麗事やお題目を並べても、その事実は変わらない。


 巻き藁相手とはいえ、それを実際に扱っているという事実が、僕の心にさざ波を立てていた。


 ……決して、師匠の発言で興奮したからじゃないぞ。


「これが実戦なら、骨で止められた形になるわね。手傷としては十分だけど、相手によってはここから反撃してくるわ。刀身が体に食い込むと、肉との摩擦で抜けにくくなるからね。間境まざかいに入っているから、そのまま押し切るか、柄から手を放すか瞬時に判断しないと、あなたも危険よ」


 師匠は淡々と恐ろしいことを言う。

 さすが〈大戦〉を生き延びた剣士ということか。


 いや、それよりも……。


「……情けないな。あれだけこなしてきた基礎が、まったくできてないなんて」


 心と体を切り離して、どんな状況でも型通りの動きができるのが理想なのに。

 まだまだ精進が足りないということか。


「仕方ないわ。商人の家の子じゃ、真剣を振る機会なんでないでしょうし。それに太刀を怖がるのはいいことよ。だからこそ慎重に扱えるのだし」


 師匠は僕の失態を笑ったりはしない。

 表情は乏しくとも、その言葉はとても優しげだ。


「でも、怖がり過ぎてもよくないわね。刃物は道具に過ぎないわ。正しい姿勢で、正しく振ればちゃんと応えてくれる。さ、恐がらないでもう一度」

「はい――りゃあっ!」


 今度こそ、巻き藁は両断された。


「うん。お見事」


 師匠のちょっとだけ満足そうな声がした。


 感動する。

 さっき途中で止まったのが嘘のようだ。

 正しい姿勢で振れば、太刀はこれほどの威力を発揮するのか……!


 あの地味な基礎は、型稽古は、いかなる時でも正しい姿勢を保つための鍛錬だ。

 その動きが完全に身につけば、常時この威力を発揮できる。


 稽古を始めたての時、必殺技のようなものがないか尋ねたことがあった。

 当時は「そんなものないわよ」と冷たくあしらわれたが、なるほど納得。

 だって、ただの一撃がすでに必殺なのだから。


 太刀の威力。そして、それを最大限に引き出す身体運用。

 改めて、基礎の重要さを思い知った気分だ。


 同時に、剣術というのは簡単に人を殺めることのできるものだと痛感した。

 これをいたずらに振るうようになったらおしまいだ。師匠が、そういった悪心を育みかねない他流試合を敬遠するのも、今なら理解できる。


 その後、さらに二本の巻き藁を断ち切った。

 まだまだ半人前だけど、こうやって実際に真剣を振るっていると、いっぱしの剣士になったような気がする。


 ……あの頃よりは、少しは強くなったかな。


「じゃあ、そろそろ朝餉にしましょうか」

「はい。すぐに巻き藁を片付けますね。今日は壺汁ですよ」

「それは美味しそうね」


 抑揚がないようでいて、そこはかとなく嬉しそうな声で応える師匠。

 僕が巻き藁を断ち切った時より嬉しそうなのは気のせいでしょうか。


「……あ、そうそう。その巻き藁、捨てないでね。乾燥させて湯沸かしの薪替わりに使うから」


 途端に、現実に戻された気がした。


 一振りで金貨何十枚って太刀を持っていながら、今日の薪にも困る始末。


 とても口には出せないけど。

 これ売ったら、すべて解決する気がするなぁ。

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