第11話

 午後になると、師匠が代書の仕事に取り掛かる。

 その間に僕が道場や庭先の掃除を行うのが普段の流れだ。


 最後は仕上げで地稽古を行うが、それまでの空いた時間で基礎を繰り返し行う。


 ちなみに、先日購入した数打ちを意気揚々と見せたのだが、「私が見ていないところで抜いちゃ駄目だからね」と使うのを禁止された。


 さもありなん。

 いくら真剣稽古を許されたとはいえ、僕の力量はまだまだ未熟。

 勝手に真剣を振り回して揉め事を起こせば、それは師の責任になる。

 浮かれていたのが恥ずかしい。


 それにしても、師匠の発言は……その……ふふ。

 むしろ、見せちゃっていいんですかっていうか……。


「かあちゃん、あのにいちゃん、へんなかおしてるー」

「しー。見ちゃいけません」


 ……いかん。気を引き締めよう。


 煩悩を打ち払いながら道場前の掃き掃除をしていると、来客が訪ねて来た。


 身なりのいい、ちょっとぽっちゃりしている中年だ。

 にこにこと愛想笑いを浮かべているが、狐のように細められた目の奥には、底知れない光を宿している。

 

 僕はそういう目をした人種を知っている。商人だ。


「こちらの道場主様が、古銭刀をお持ちと伺いましてね。是非、道場様にお目通りを願いたいのですが」



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



「お初にお目にかかります。私、ギーリッヒと申しまして、ヴェラスの街で商いをやらせていただいております」


 居間に通された男は、そう言って恭しく首を垂れた。


 その名には聞き覚えがある。

 ギーリッヒ商会と言えば、ヴェラスでも名の知れた豪商だ。

 うちの実家の商店なんて比べること自体、おこがましいほどの。


「それどうも、はじめまして」


 ギーリッヒと向かい合う形で腰を下ろしている師匠は、どこか思案顔だ。


「それで、どのようなご用件ですか?」

「ええ。道場主様が古銭刀とお持ちだと伺いまして」

「確かに、私が所持しているのは古銭刀ですが、どこでそれを?」

「それは風の噂というものですよ。そして、商人は噂話には敏いのです」


 ……僕は背中が汗で冷たくなるのを感じる。

 ここで修業をして長いが、こういった目的の来客はこれまでいなかった。

 そして、僕自身も、師匠が古銭刀を持っていることは最近まで知らなかった。


 時期的に考えても、噂の発生源は僕だ。


「それで、是非とも拝見させていただきたいのですが」

「それは、まあ……構いませんよ」


 師匠はそう言って、すぐ後ろに安置してある古銭刀をギーリッヒに渡した。


「はは。ありがとうございます」


 ありがたそうに古銭刀を受け取ったギーリッヒは慣れた手つきで鞘から抜くと、ためつすがめつ刀身を眺める。


「この優美な刃紋。間違いない。それに状態もとてもいい」

「そうそう使うことはありませんからね」

「でしょうな。これほどの名刀、実戦で使うにはあまりにもったいない」


 ……うん?

 二人のやり取りに、ちょっとだけ違和感を覚える。

 なにか、内容が食い違っているような……。


なかごを拝見しても?」

「ええ。目釘を抜きましょう」


 師匠は太刀の目釘を外し、柄と刀身を分ける。

 剥き出しになったなかごの部分には、普通ならば刻まれているはずの製作者の銘はなかった。ただ、九とだけ数字が彫ってある。


「……素晴らしい」


 ギーリッヒは感嘆の吐息を漏らした。


「道場主殿は、古銭刀の製作者についてご存知ですかな?」

「ええ。とはいえ、名前くらいですけど」


 師匠はその名を口にした。


 その名前は僕でも知っている。

 レスニア王国における天才的な刀匠だ。

 世の名刀の大半は、その人物が生み出したと言ってもいい。


 刀匠にも流派があり、それぞれに伝統と製法がある。

 だが、はそういった常識に束縛されない人物で、より良い太刀を作るためであれば流派の垣根を越えて製法を学んで、太刀作りに活かした。

 ……なるほど、確かにならば、太刀の素材に古銭を使おうと思い立ったとしても不思議ではない。


は古銭刀には名を刻まず、製造した順に番号のみを彫ったと言います。故に、銘のないこの太刀は間違いなく古銭刀と言えるでしょう」

「なるほど。ですが、なぜ番号だけを?」

「古銭刀は作品として作ったものではないからだとするのが定説ですな。が刀匠としての最後の作品、究極の一振りを完成させるための段階で、実験的に作り上げたものなのだと」


 究極の一振り。

 なんとも、男心をくすぐる響きだろう。


「ですが〈大戦〉が起き、大量に太刀が必要になった。試作品に過ぎない古銭刀の数々も徴収され、それが本人の予想を超えて威力を発揮し、名刀として扱われるようになったのです。本人からすれば草葉の陰で泣いているのかもしれませんが」


 ……面白い話だと思った。


 まるで現在の剣術のようだ。

 戦いに明け暮れてた時代、どうにかして生き残るために編み出された剣術というものが、今では娯楽となってしまっているように。

 剣術の創始者たちは現代の剣術の在り様を見てどう思うだろう?

 やはり、草葉の陰で泣いているのだろうか。それとも、それもまた善しと笑っているのだろうか。


の思惑はともかくとして、古銭刀はそのすべてが名刀であることは疑いようもありません。その中でも、最初期に製造されたものが特に業物であるとされています」

「物作りあるあるね」


 通常、何かを作ろうとすると、その過程で知識や経験が蓄積していき、より後期に製造したもののほうが出来が良くなるものだ。


 だが時折、「最初の頃が思い切りがあって良かったけれど、最近のは小さくまとまりがちでつまらない」というような現象が起き、初期の作品の方が評価が高かったりすることがある。


 師匠があるあると称したのは、そういうことだろう。


「最初期と言っても、どこからどこまで、という明確な基準があるわけではございません。ですが、真の古銭刀と呼べるのは十本目までと聞き及んでいます」

「え、じゃあ……」

「左様、この古銭刀は九番目に製造されたもの。その範疇に入ります」

「す、すごい!」


 僕は興奮で鼻息が荒くなる。

 まさか、師匠の持っている太刀が名刀中の名刀だったなんて!


「なんと、まあ」


 対する師匠は、どうでもよさそうな顔だ。


「……ところで」


 ごほん、と咳払いをした。


「私どもと取引してくださっている、さる御方が刀剣の愛好家でございましてな。古銭刀を手にしたいと常々仰っておりまして。我々としては、その望みをかなえてあげたいと考えているのです。そこで、是非ともこちらの太刀をお譲り頂けないでしょうか」


 ……そう来ると思った。

 さも誰かのためだという言い草だが、高貴な人間に取り入るための賄賂だろう。

 でなければ、わざわざ商会の長が足を運んでくるはずがない。


「お譲りしたいのは山々ですが、これは私の師より受け継いだもの。手放すわけにはいかないのです」

「ええ、ええ。そうでしょうとも。名刀、名剣は継承されゆくものですからな。お言葉はごもっとも。ですが、こちらも無理を承知でお願いしているのです。譲っていただけるのならお礼はいかほどにもさせていただく所存です。まずはこれほどでいかがでしょう」


 そう言って、ギーリッヒは懐から金袋を取り出した。

 じゃらり、と重々しい音が響く。


 ちょっと待て。え、そんなに……!?

 その中身を見て、僕は目が飛び出るかと思った。


「申し訳ありません。どれほどお金を積まれても、お譲りできません」


 大金を見ても、師匠は顔色一つ変えない。

 僕とはえらい違いだ。


「剣術家には剣術家の矜持があります。そして、それは金銭では贖えないものであると、なにとぞ、ご理解いただきたい」

「……そうですか。それは残念でなりません。今日のところはお暇させていただきましょう。また伺わせていただきます」


 ギーリッヒが帰ったあと、僕と師匠は居間に二人きりになる。

 沈黙がちょっと痛い。


「……何か、弁明はあるかしら?」

「申し訳ありません」


 僕は額が床につくほど深く土下座する。

 うちもそうだけど、商人の情報網って怖いなぁ。

 まさか、あの店でうっかりしゃべったことが、もう同業者に伝わるなんて。


「まあ、釘を刺さなかった私にも落ち度があるから、あまり責められないのだけど。でも、困ったことになったわね」


 師匠が短く嘆息する。


 あのギーリッヒが諦めたとは思えない。

 譲ってもらうまで、何度も足を運ぶつもりだろう。それを断り続けるのはなかなか骨が折れそうだった。僕のせいだけど。


 でも、正直、もったいないとは思う。

 古銭刀を売ってしまえば、これまでの節制が馬鹿らしくなるほど贅沢な暮らしができるだろうに。


 優れた太刀とはいっても、もはや戦乱の時代ではない。

 身を守るだけなら、それこそ数打ちでも十分だ。

 名剣、名刀なんて持ち主を輝かせるための宝飾品でしかなくなっていく。


 でも、師匠にとって、恩師との思い出はお金に換算できないものなんだよな。

 ……本当に。ちょっとその太刀が妬ましい。


「でも、あれだけのお金を用意できるのだとしたら……まあ、そうなるわよね……」


 師匠はぶつぶつと独り言を言って、納得したように頷いた。


「とりあえず、罰として今日からしばらく泊まり込みね」

「え?」

「うちに、泊まり込み」


 それは、しばらく師匠と一緒に暮らすということでしょうか?

 それが、どうして罰に?

 むしろ、ご褒美では?


「いいかしら」

「は、はい」


 師匠の考えはよくわからなかったが、僕は頷くしかなかった。

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