第15話

 お客様が来た。

 そう言うと、師匠は中庭へ飛び出して行った。


 師匠は帯刀していたことを考えると、字面通りの意味じゃないだろう。


 僕も数打ちを掴んで、布団から飛び出す。


 師匠が向かった中庭には四つの人影があった。

 そのどれもが夜の闇に溶け込めるよう、頭から爪先まで黒ずくめの衣装をまとっている。

 引き締まった体格。無駄のない身のこなし。気配の希薄さ。

 街のごろつきとは一味も二味も違う。

 だ、と直感する。


 心臓が波打つ。

 僕の中に眠っていた、惨めで、情けない記憶が目を覚ました。

 幼い頃。誘拐された時のあの恐怖が。


 ……ああ。そうか。

 師匠は解っていたんだ。

 ギーリッヒが力づくで古銭刀を奪いに来ることを。


 師匠は物怖じした様子もなく、四人に声を掛ける。


「虫に悟られるなんて、お粗末な陰行おんぎょうね。今度から秋虫のお仲間も連れてきたらどうかしら?」

「……我らの侵入に気づいていたのか。大したものだな。〈大戦〉を生き抜いたというのは本当らしい」

「あなたたち、ギーリッヒ商会の依頼で来たのでしょう?」

「答えると思うのか」


 四人は懐から刃物らしきものを取り出した。

 断言できないのは、その刃が月明かりを反射しないからだ。

 光って目立たないように刀身に黒塗りが施された闇討ち仕様。


「目的のものさえ手に入れば、殺しはする必要はないとお達しだが」

「言い方を変えれば、殺してでも奪い取るってことね。結構。では、こちらも手段は問わないことにするわ」


 そう言うと、師匠は太刀を鞘から抜き放つ。

 暗殺用ではない、ただただ優美な刀身は月光を帯びて妖しく輝いていた。


 ……なんで、師匠が泊まり込みをさせたのか、いま解った。

 きっと、師匠は僕を守るためにそばに置いたのだ。


 もし、僕が泊まり込んでいなければ、相手は個別に襲撃を仕掛け、僕を人質に取るという絡め手を使うことができる。

 そうなると、いくら師匠が強くとも関係ない。


 あの人は、決して僕を見捨てない。

 ルスト流の高弟たちが闇討ちを匂わせた時、守るべき流儀を曲げてまで他流試合を決行してくれた。

 だからきっと。僕を守るためなら古銭刀さえ捨てるだろう。


 僕の胸に去来したのは嬉しさと、ほんのちょっとの憤りだった。


 僕のことをそこまで気にかけてくれるのは嬉しい。

 でも、僕はあの時の無力さを克服するために師匠に弟子入りした。

 そして、六年間鍛えてきた。

 未熟なのは自分でもわかっています。

 でも、決して少なくない稽古を積み重ねてきました。


 それでもまだ、僕は頼りないんですか?

 捕まったら、がたがた震えるだけの男だと思われているんですか……?


 踏み込む寸前、師匠は僕をちらりと見た。


「……背中は任せたわよ」


 その言葉に息を呑む。

 僕の胸に蟠っていた暗い気持ちが、すべて吹き飛んだ。


「はい!」


 僕の声を聞き届けると、師匠はその場から消えた。

 消えたように見えた。


 ……技術としては知っているが、実物を見たのは初めてだ。

 高度な肉体操作による地面を蹴らない足運び。

 一切の予備動作もなしに接敵する移動法。

 時間を切り取り、距離を切り取る認知外の運足。

 ――縮地。

 

 師匠は瞬く間もなく肉薄すると、神速の斬撃を繰り出す。

 夜空に金属同士がぶつかり合う甲高い音が響き渡った。

 さすがに手練れ。不意を突かれようと、きちんと受けてみせる。

 いつぞやのルスト流の高弟たちとは格が違う。


「ひゅっ――!」


 四方から黒刃が迫る。

 師匠はその一つ一つを紙一重で躱す。

 高速で入れ替わる攻防。一対多の不利をまったく感じさせない立ち回り。


 戦場で培われた古流剣術には、一対多を想定した技術が豊富に含まれている。

 師匠の戦いは正に技術の粋。

 敵味方入り乱れる合戦場で生き残るための動きだ。


「ちっ、あの小僧を狙え!」


 押しきれないと判断した頭目が、師匠を抑え込みながら叫ぶ。

 黒づくめの一人が脇を抜け、僕のほうに迫ってきた。


 ヴェラスはイール地方最大の都市だ。

 人が多ければ、それだけ諍いも多い。流血沙汰だって無縁じゃない。

 だけど。

 生死を賭けた戦いを体験するのは、初めてだ。

 でも、不思議と恐怖はなかった。


 ――


 その言葉が、どれほど僕に勇気を与えてくれたことか。


 師匠は、僕を守るために泊まり込みをさせたんじゃない。

 背中を任せられる存在として、この場に立ち会わせることを選んだのだ。

 なら、弟子として、その期待に応えないわけにはいかない!


「うおおおおおおっ!」


 剣士の心得は不惜身命。常在戦場。

 腹の底から叫び声をあげ、喉元に迫る短剣に数打ちを叩きつけた。


「こいつ、見えているのか……!」


 動揺したような声。

 残念だったな。

 見えない斬撃なら、師匠との地稽古でさんざん味わっている。


 同じ見えない斬撃でも、師匠の剣は速すぎて捉えられない。

 それにくらべれば黒塗りの刃物なんて、ただ目で見えにくいだけだ。

 そんなもの……毎日毎日、神速の斬撃を受けている僕が対応できないわけがないだろう!?


 なんて、かっこよく決められるのも最初の一撃目だけ。

 二撃目は防げない自信がある。

 でも――


「十分!」


 一瞬の隙をついて追いついた師匠が、黒づくめのを背中から斬りつけた。

 うめき声をあげ、一人が倒れ込む。

 血は出ていない。峰打ちだ。


「! 師匠、後ろ!」


 背後に頭目が迫る。

 師匠は振り返りざまに一閃。


 だが、神速の一太刀は頭目の武器によって受け止められた。


 師匠がわずかに目を見開く。

 頭目の手に握られた武器が変わっている。


 それは異様な武器だった。

 棒状の刀身の付け根に、鉤のようなものがついている。

 師匠の攻撃を、その鉤で受け止めたのだ。


 師匠の動きが固まる。

 刀身が鳥もちにくっついてしまったかのように挟まれたままだ。

 そうか。あの異様な武器は、対太刀用の捕縛武器なのか……!


 頭目の左手が走る。

 師匠の太刀の側面へ向かって。


 ぎいん、と不快な音。

 その瞬間、耳を塞ぎ、目を覆いたくなるような光景が飛び込んできた。


 ――師匠の古銭刀は。

 頭目の掌が弾いた部分から、あっけなく折ってしまった。

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