第16話

 太刀が優れた武器とされる理由は様々だが、その一つに刀剣らしからぬ頑丈さが挙げられる。


 刀剣というものは、そもそも折れやすい構造をしている。

 物体を切断するためには、刀身を薄くしなければならないからだ。


 しかし、薄いということは耐久性が低いということ。

 負荷がかかればあっさりと折れるのは道理。


 かといって安易に分厚くすれば肝心の切れ味がなくなってしまい、おまけに重量も増すので取り回しが難しくなってしまう。


 刀剣というのは矛盾の上に成り立つ武器なのだ。


 その矛盾を、太刀は柔らかい芯鉄しんがねを、硬い皮鉄かわがねで包むという手法で解決した。

 硬くて薄い鉄の刃で切り裂き、その衝撃を柔らかい鉄が拡散する。

 そのおかげで、太刀は刀剣の中でも抜群の耐久力と切れ味を持つ。


 ……のだが、それでも限界がある。


 いくら太刀が刀剣としては頑丈だが、それでも真横の衝撃には弱いまま。

 構造上の欠陥を回避したことにはならない。


 太刀は刀線刃筋を立てないと、うまく斬れない。

 それどころか横からの抵抗がかかって折れてしまう。

 巻き藁を切る時、師匠から姿勢を注意されたのはそういうことだ。


 なので、やろうと思えば人間の手でも折ることができる……らしい。

 僕は折ったことないし、折っているのを見たこともない。

 ただ、そういう技術があるということだけ聞き及んでいる。


 でも、僕が驚いているのはそんなことではない。

 なんで、こいつは目的である古銭刀を折ったんだ……!?


「――ふっ!」


 師匠はすぐに意識を切り替えると、流れるような身のこなしで懐に入って頭目の股間を思い切り蹴り上げた。


 ぐしゃり、と耳を覆いたくなるような音がする。

 僕は反射的に股間を握ってしまった。


 うめき声をあげ、頭目はその場でうずくまってしまった。

 即死するわけではないけれど、それは度し難い隙だ。

 男の急所……うん。確かに。


 しかし、師匠は追撃しなかった。


「……いま折ったの、あなたの目的の古銭刀よ?」

「な、に――?」


 激痛に耐えながら、頭巾の奥で瞠目しているようだった。


「まさか、国宝級の太刀を実戦で使うだと……?」

「うち、これ一本しかなくて」


 そうなのである。

 最初、僕に容易く貸してくれたのは、単純にそれしか真剣がないからだ。

 他のはとうの昔に売ったらしい。


『この優美な刃紋。間違いない。それに状態もとてもいい』

『そうそう使うことはありませんからね』

『でしょうな。これほどの名刀、実戦で使うにはあまりにもったいない』


 今になって、僕は師匠とギーリッヒの会話で覚えた違和感の正体に気づいた。

 師匠が「そうそう使うことはない」と言ったのは、泰平の世では文字通り太刀を抜く機会(実戦)がないということ。

 だが、ギーリッヒは師匠の言葉を「こんな名刀、普通は使わないで飾っておくよね。傷でもついたら価値が下がっちゃうもん」という風に解釈したのだ。


「どうする? お目当てのものはなくなったわけだけど」


 わずかな無言。


 これ以上争っても益はない。

 そう判断したのか、四人はすぐに撤退していった。

 仲間に肩を担がれながら、ひょこひょこと股間をかばうように逃げていく頭目が少しだけ哀れだ。


 完全に気配が遠のくと、師匠は僕のそばに歩み寄る。


「怪我はない?」

「はい。おかげさまで」


 怪我はない。

 怪我はないが、戦いが終わって、思い出したように膝が震え出した。

 僕はこてん、とその場に尻もちをつく。


 本気の斬り合いなんて、生まれて初めての経験だ。

 一歩間違えば大怪我。それどころか命を失う危険もある。

 今更ながら、よく生きてここにいると思う。


 これが本当の実戦。これが本当の戦場。

 師匠は、ずっとそんな世界で生きてきたのか……。


「……はは。お恥ずかしい」

「無理もないわ。斬り合いなんて初めてでしょうし。私も最初はそうだった。お漏らししていないだけ上出来よ」

「師匠は漏らしたんですか?」

「……内緒」


 師匠は薄く笑いながら、僕に手を差し伸べてくれた。

 その細い手を、しっかりと握る。


「よく頑張ったわ。私の事情に付き合わせて、ごめんね」

「いえ、元を正せば僕のせいです。僕がうっかり口を滑らせなければ、こんなことにはならずに済んだのに……古銭刀だって……」


 師匠の思い出の太刀を、折られずに済んだのかもしれない。

 そう思うと罪悪感で胸がいっぱいになる。


「道具だもの、いつか壊れるわ。むしろ、壊れてくれてありがたいくらいよ」

「……は?」


 師匠は半分になってしまった古銭刀を月に掲げる。

 折れてなお、その刀身は美しかった。


「この古銭刀は免許皆伝の証として贈られたものだけど、同時に災いを運ぶ太刀でもあるのよ。その稀少価値ゆえに、人目につけばこういうことになる。先生もそれをわかってて、私に押し付けたのね」


 ……あー、思い出した。

 巻き藁を斬る時、確かに押し付けられたって言ってた。


「そんな厄介者なら、売り払ってもよかったのでは?」

「そんなことをすれば、すぐにバレちゃうでしょう? 免許皆伝の証を売り払ったなんて知れたら先生からの報復が怖いわ。あの人、根に持つ人だから」


 珍しく……本当に珍しく、師匠が目に見えるほどの溜め息を吐いた。

 いったい、どういう人なんだろう。師匠の先生というのは。


「だから、先生が存命しているうちは隠し通して、お亡くなりになった瞬間に手放そうと思っていたけど、今回の件でそうもいかなくなった。

 ふふ、あの人たちはいい仕事をしてくれたわ。これで今後、ギーリッヒ商会みたいな人たちは現れないでしょうし、実戦で折られたならしょうがないという大義名分も立つしね」


 めちゃくちゃもったいないけど、師匠的には満足な結末のようだ。


 でもまあ、あの太刀からすればこれで良かったのかもしれない。

 実戦で使われることなく、富豪の棚にただ飾られているだけの太刀にどれだけの価値があるというのか。

〈大戦〉を生き抜いた古い刀は、今宵、その使命を終えたのだ。

 それでいいじゃないか。


「まあ、あなたが免許皆伝できたら、あげる予定だったんだけどね」

「……僕に押し付ける気だったんですか」

「うん。実は」


 真顔。

 師匠……僕のこと、なんだと思って……。


「でも、なくなったものはしょうがないわ。ちょうど半分になったし、鍛冶屋さんに行って、小太刀に鍛え直してもらいましょう」


 折れた刀は、くっつけることができない。

 そういった都合のいい技術は開発されていない。

 だから刀剣が折れると残った綺麗な部分を加工して、小太刀や槍の穂先にするのが一般的だ。


「それでよかったら、あなたに譲るわ。もちろん、あなたが免許皆伝までいけたらの話だけど」

「――はい、頑張ります!」


 あの古銭刀は師匠と先生の思い出の品。

 数日前はそれに嫉妬してしまったけど、新しく生まれる一振りは僕と師匠だけの思い出だ。


 不謹慎だけど、やっぱり折れてよかったなと思う。

 ちょっとだけね。

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