第2話

「てりゃあ――っ!!」

「足が疎か」


 打ち込もうとした瞬間、がつん、と足を払われた。

 たまらず体勢を崩したところを、もう一度蹴りが飛んでくる。


 慌てて後方に転がり、跳ねるように体勢を立て直した。


 剣術の稽古なのに蹴りとか……。

 使えるものは何でも使え、みたいな部分はやはり実戦派だと思う。


 師匠はその場から動かなかった。防御に徹している。

 というより、僕が攻める練習をしているので攻めてこないだけだが。


 師匠は、あの位置から一歩も動いていない。

 僕がどれだけ攻め立てても、涼しい顔をして返り討ちにしてくる。


 これが真剣なら、僕は反撃で何度首を落とされたことか。

 背丈、筋力、腕の長さ。

 すべて僕の方が上回っているというのに、笑っちゃうほど歯が立たない。


 ハイデンローザ流は『速さ』の剣。

 肉体の動きを極限まで最適化し、最小効率で最大効果を上げることを極意とした剣術だ。


 相撃を心構えとし、されど相手よりも一歩早く打ち込んで勝つ。

 源流であるベルイマン古流以来の理念である。


 体格も、筋力も、性別も関係ない。何なら、才能だって無関係だ。

 正しい身体運用ができれば、誰でも『速さ』を手に入れられる。だからこそ術理として現代まで継承されているのだから。


 僕の剣が届かないのは単純に技量差。

 僕よりも師匠のほうが遥かに動きに無駄がない。その無駄から生じる速度差が、如実に実力差につながっている。


 息も上がってきた。くそ。まだまだ反復が足りないな。


「どうしたの? 止まっていては、ハイデンローザの剣が泣くわよ?」


 対する師匠は呼吸の乱れどころか、汗一つかいていない。

 身体運用効率を最大まで極めることで、速く、そして長く戦える。つまり、持久戦になれば不利になるのは僕のほうだ。


 攻めろ。精一杯の技を出せ。

 師匠が地稽古をつけてくれるなんて、めったにないんだから。


「だぁ――!!」


 腹の底から声を出し、僕は飛び掛かった――










「そろそろお昼にしましょうか」


「……はい、師匠」


 僕は道場の床に伸びたまま答えた。




◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 僕は汗を拭いて普段着に着替えると、すぐに厨房に向かった。

 食事の準備も弟子である僕の役目だ。


 と言っても、今から何か作るわけではない。朝の残りを出すだけだ。


 師匠は居間で正座して待っていた。

 その姿はまるで人形のように造り物めいている。


 墨汁を流したような長い黒髪。

 白磁のように滑らかな肌。

 豊かな睫毛に縁どられた艶やかな瞳。


 体つきは華奢の一言で、背丈も小さいため、とても二十六歳には見えない。

 外見だけならまだまだ十代で通用しそうだ。


 これでハイデンローザ流剣術の師範だというのだから、世の中分からない。

 道場師範っていったら、筋骨隆々の爺みたいなのを思い浮かべるでしょ、普通は。


「師匠、お待たせしました」

「ありがとう」


 僕はいそいそと食卓に昼餉を並べる。

 ちょっと色が変わってきた麦飯。夏野菜の漬物。それと沼貝の汁。


 質素という言葉を体現したような献立だ。

 もっとも、好きで清貧を貫いているわけではないのだが。


「いただきます」

「いただきます」


 手を合わせると、師匠は黙々と冷めたご飯を頬張り始めた。


 師匠は口数が少ない。無口とも違うが、女性特有の意味のない会話というものを好まなかった。うちの母さんとは大違いだ。


 しかし、せっかくの食事が無言で終わるのは寂しい。

 だから、いつも僕のほうから話しかけている。


「今年のお米は出来がいいですね。冷めても美味しい。聞いた話では、トゥアール村にどういうわけか国家賢人様が滞在しているらしいんですけど、そのおかげかもしれませんね」


 そうねと短く相槌を打って、師匠は汁物に口をつけた。

 反応は淡白だが、いつもこんなものだ。

 僕は構わず、たわいない話を続ける。


 話の種が尽きるころには、師匠の茶碗の中身はほぼなくなっていた。


 ……さて、そろそろいいかな。


「……師匠、大事なお話があります」


 僕は声音を落として、本題を切り出した。

 師匠はぴたりと箸を止め、僕のほうを向いた。


 僕は同年代の中でも背が高いほうで、ついでに座高も高い。

 なので、小柄な師匠は自然と僕を見上げる形になるのだが、なまじ美人なので、上目遣いをされるとちょっとどきりとしてしまう。


 ……そう言えば、ちらっとおっぱい見えそうだったんだよな。

 師匠ってば体は細いし、背も小さいけど、その割にはそこそこ自己主張の強いものをお持ちなんだよな……。


「何かしら」


 師匠の声で我に返る。

 ――煩悩、断つべし。


 僕は咳払いをして話を続ける。


「門下生の募集についてです。そろそろ、対策を講じませんと」


 実は、この道場は経営の危機に晒されている。

 何も好き好んで冷や飯を食っているわけではない。単純に金がないのだ。


 僕を救った恩義で両親が多額の寄付をしているが、それでもぎりぎりで、日々の倹約が欠かせない。


 特に燃料代だ。

 あちこちに森や林がある農村部と違って、都市部は薪を買うのも金が要る。

 極力燃料代を節約するために、米は朝のうちに一日分をまとめ炊きするし、風呂も三日に一回しか沸かさない。夜は明かりがないのが当たり前。


 これが二十六の女の生活だろうか。


 では、なぜ経営難に悩まされているかと言うと、門下生がいないからだ。


 かつては街一番と称えられた道場が、どうしてそんな有り様なのか。


 その原因を辿れば〈大戦〉まで遡る。


 ――〈大戦〉。

 それは大平原統一の野望を掲げる帝国と、反帝国連合による総力戦。大平原全土を巻き込んだ有史最大の戦争だ。


 その〈大戦〉が終結すると、生き残った国々は和平条約の一環として、次々と軍縮を始めた。


 戦争が終わったのに軍備を拡張したままでは新たな紛争の火種になるし、それ以前に〈大戦〉に参加したどの国家も国力が著しく疲弊して、軍備を維持することが困難だったからだ。


 まあ、それはいい。為政者としては妥当な判断だと思う。


 問題があるとすれば、戦争で飯を食っていた者たちだ。


 軍縮とはいっても、先の戦で功績をあげた者は騎士団に残るし、そうでない者たちも各地方の治安維持組織などに所属するなどして新しい活躍の場を手に入れたことだろう。


 けれど、全員が全員じゃない。

 戦うしか能がなく、それなのに定員漏れで再雇用にありつけなかった奴はごまんといる。


 じゃあ、そういうあぶれ者たちはどうしたか。

 街に道場を立てたのだ。


 適当に流派をでっち上げ、庶民が通える武術道場を経営し始めたのである。


 それまで庶民の間で武芸は縁のないものだった。

 正当な武術の道場は武家の子弟や、それなりの出自の者しか通うことを許されなかったからだ。


 また、民草が戦う術を覚えると、反乱がおきた時に厄介だからと為政者より規制されていたこともある。


 しかし、〈大戦〉後に生まれた、従来の格式に囚われない、金さえ払えば誰でも通える道場というものは庶民には目新しい娯楽だった。


 もともと庶民の生活には娯楽が乏しい。

 いくらヴェラスが地方都市とはいえ、レスニア王国でもど田舎、ど辺境の代名詞であるイール地方。華やかさでは他の都市部に比べて数段劣る。


 そんな場所で、そんな刺激的なものが興ったのだ。個人道場は次第に庶民の間で流行となっていった。


 どこそこの道場に入門している、だれだれに指南を受けた。道場通いは中流階級のちょっとした自慢の種だ。


 そういった現状を為政者側は黙認している。道場を厳しく取り締まって、あぶれ者が盗賊に身をやつすほうが困るからだ。


 最初のうちはまだよかったけれど、後追いで次々と新興道場が立っていくと別の問題が発生した。門下生の取り合いだ。


 彼らは商売で道場をやっているのだから、金蔓である門下生を確保しないと稼ぎにならない。


 だから、門下生受けがいいような指導をする。

 師範が門下生を褒めそやして機嫌を取り、基礎が出来上がっていないのに次々と見栄えのいい技を教え、簡単に免許や伝位を授ける。

 そして、しばしば他の道場に試合を持ち掛け、自分の道場の格を上げようとするのである。


 ……しかし、それは本当に武術なのだろうか。

 真の撃剣を知る者として、そして、その真髄を学ぼうと修業に励んでいる自分には嘆かわしい限りだ。


 だが、結果として師匠のハイデンローザ流道場は寂れた。


 うちの道場は古風な道場だ。

 世に蔓延はびこるなんちゃって道場ではなく、由緒も伝統もある立派な剣術流派なのである。


 なので、修行は苛烈を極める。僕も稽古中に死にかけたことだってしょっちゅうだ。遊び気分で始めた人間にはついてこれないだろう。


 ……うん。まあ、だから寂れたんだけどね。


 そんなわけで、やり方を変えなかったうちはすっかり時流に乗り遅れてしまい、今では門下生は僕一人となってしまった。


 まあ、僕としては理想的な環境だ。

 強い師範に一対一で指導してもらえるなんて、それこそ贅沢というもの。

 これで強くなれないほうがおかしい。

 うぬぼれではなく、僕の技量でもそんじょそこらのには負けない自信がある。


 だが、それはそれとして、師匠の生活の質の低さについては、弟子ながら思うところがあるわけで。


「いっそ道場破りでもしますか。ヴェラスの人たちは、ここが道場やっていることすら忘れかけていますよ。ここはひとつ、世間にハイデンローザ流の力量を誇示すべきかと」


「うちは他流試合は禁止」


 と、師匠はにべもない。


「それに、お金のために剣を使ってしまえば、そのなんちゃって道場の人たちと同じになってしまうでしょ。私は、お金儲けをしたくて道場をやっているわけじゃないのよ」


「そうは言いますが、師匠は嘆かわしくなんですか」


 思わず、そんな言葉が出てしまった。


「なにが?」

「剣術の現状についてです。この間、街中の道場を見学してきましたけどね。あんなものはお遊戯ですよ。剣の術理なんか、何一つありはしない。そんな道場が由緒正しいハイデンローザ流道場より栄えているんですよ。こんなのってあります?」

「みんながみんな、あなたみたいに痛めつけられるのが好きなわけじゃないのよ」


 人を異常性欲者みたいに言わないでいただけますか、師匠。


「僕が言っているのは精神論の話です」

「いいじゃない、お遊びで。本物の剣なんて必要のない世の中になったってことなんだから」


 喜ばしいことだわ、と師匠は食事を再開する。


「ですが、それでは慢心につながります。いざという時、それでは困ります」

「……来ない方がいいのよ。そんな時は」


 あの〈大戦〉を生き抜いた剣士だからか。淡々とした口調が、かえって殺し合うという現実の悲惨さを物語っている。


「それに、ちゃんと学びたい人はちゃんとした環境を求めるものよ。実戦的な剣術は意欲がある人だけが学べばいいと私は思うし、そういう人にしか教えたくはないとも思っている。あなたみたいな、ね」


 あなたにしか教えたくない。

 そう言われると、悪い気はしない。


「……はい」


「この話はおしまい。じゃ、わたしは代書の仕事をしてくるから。午後の基礎が終わったら、道場の掃除とかお願いね」


 師匠は最後の一口を食べ終わり、食器を台所に持って行くと、そのまま自室へこもってしまった。


 師匠は主に代書で生計を立てている。

 道場の師範が剣を持つ時間よりも、筆を持つ時間の方が多いのだ。


 ……師匠はそう言ってくれるが、やっぱりおかしいと思う。

 現状がとても歯がゆい。

 本当の剣術を知れば、きっとみんな目を覚ますはずなのに。


 それに師匠には、せめて毎日毎食、炊き立てのごはんを食べてほしい。

 あれだけすごい人が、どうして何日も冷や飯を食べなくちゃならないんだ。


 僕が何とかしなきゃ。

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