第13話

 どうしてこうなったのだろう?

 僕は師匠に背中を流されながら、自問する。


 師匠がこれまで僕に風呂の世話をさせてきたのは相互理解のためだという。

 無防備を象徴とする背中を晒し、そこを流させることで、もっとお互いを理解しようという試み。

 いわゆる裸の付き合いだ。


 そして、裸の付き合いだから、僕が裸になるのも、まあ道理である。


 でも、どうして僕はいま体を洗われているのでしょうか?

 立場が逆転しておりませんか?


「まあ、せっかくだし」


 そうですか。

 いや、すっごい嬉しいんですけどね?

 嬉しさのあまり心臓が飛び出しそうですけどね?


「どう? 気持ちいい?」

「は、は、はい、とっても……!」


 僕は上擦った声で返事をする。

 情けないけど、めちゃくちゃ緊張しているのが自分でわかった。


 憧れの女性が、僕の背中を流してくれている。

 しかも、一糸纏わぬ姿で。

 これで緊張しないほうがおかしいだろう?


 さっきから心臓の音がどっきんばっくんとうるさい。

 もう爆発するんじゃね、これ。


 ……いや、爆発しそうなのは心臓だけじゃない。

 師匠、お願いですから、前だけは見ないでくださいよ……。


「ふむ」


 一通り洗い終わると、師匠はぺたぺたと僕の背中を触り始めた。

 ああ……師匠の細くてすべすべした指が気持ちいい……。


「背筋の発達が著しい。基礎がちゃんと養われている証拠ね。ちゃんと剣術家の体になっているようで安心したわ」

「六年間、通い続けていますからね」


 実のところ、人間の体というものは前面よりも背面の方に、より多くの筋肉が備わっている。

 背筋を鍛えることで正しい姿勢が身につき、それによって初めて全身の筋肉を合理的に使えるようになるのだ。


 しかし、全身の筋肉をくまなく使うという感覚は日常ではなかなか養われない。

 だからこそ、地味な基礎を何百、何千と長い時間をかけて繰り返し、体に覚えさせないといけないのだ。


「でも、ありがとうございます。そう言っていただけると、励みになります」


 僕の体は、着実に剣士のそれへと変化しているらしい。

 これまでの稽古が報われたようで嬉しくなる。


 ……ところで、いつまで触っているのでしょうか?


「男の子の体は良いわね。女じゃこうはいかないわ。女の筋肉じゃ、どれだけ鍛えても限界があるから」

「そうですか? ハイデンローザの強さに、男女の差はないでしょ?」


 そりゃ、全力で腕相撲をすれば僕が勝つかもしれないが、そんなもの実戦では何の役にも立たない。

 戦いを征するのは力じゃない。その使い方が巧いほうが勝つ。

 それが技術というものだ。

 でなければ、僕は師匠に毎日ぼこぼこにされていない。


「私もただの筋肉達磨が相手なら負けるつもりはないわ。でも、身体運用の技量が同じなら筋肉量が多い方が有利なのは事実だから。

 いつまでたっても戦争が男の仕事なのはそういうことね。こと強くなることにかけて、男性ほど早熟な存在はいないわ。

 いつか、あなたがハイデンローザの術理を完全に習得した時……もう私じゃ手に負えなくなるかもしれないわね」


 師匠の声音には、どこか寂しさが滲み出ていた。


 そんないつかのこと、考えたこともなかった。

 師匠は僕の中の最強で。初恋の女性で。いつだって英雄だった。

 そんな師匠を追い抜く時が来るだなんて……夢にも思わなかった。


 でも、人間は成長する。

 それだけ、あの時から時間が流れたということか。


「まあ、その代わり、男には明確な弱点もあるわけだけど」

「弱点?」

「うん。……えっとね」


 そう言うと、師匠は背中にもたれかかってきた。

 ふにゅん、と柔らかいものが二つ。僕の背中で押し潰される感触。


 思いもよらない心地よさに、酸欠の魚みたいにぱくぱくと喘ぐ。


「よっと」


 困惑した僕などまったく意に介さず、師匠は脇からするりと細い腕を通し、僕の股間に手を伸ばした。


 ――え? 股間に?


「男の急所。ここばかりは鍛えようがないからね」


 ……師匠が掴もうと思ったのは、別の部分だったのだろう。

 でも、白魚のような指でにぎにぎしておりますそれは、その……。


「実は、ここは内臓の一部なの。つまり、男性は常に内臓が飛び出ている状態なのね。だから、ここを蹴られたりすると、内臓を蹴られたのと同様にものすごい痛みがある。ちょっと触っただけでも充分な効果が――って、んん?」


 予想していた感触と違うからだろう。

 怪訝そうな顔をして、肩越しに師匠が覗き込んだ。


 そして、直視する。を。


「……まあ」


 ……あぁ、終わった。

 見られてしまった。男の本能。劣情の象徴。

 どうにか隠し通せないかと思ったけれど、やっぱり駄目でしたか。


 師匠が今どんな顔しているのか。

 視線をちょっと横に動かせばわかる。

 わかるが、見る勇気なんてあるはずなかった。


 どんな顔をしているのか、想像するだけでめっちゃ怖い。

 初めて真剣を握った時より怖い。


 めっちゃ怖いので、僕は考えるのをやめた。

 どぉーん。

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