第二章 道場破りと僕

第5話

 今朝も少しばかり肌寒い。

 庭先から見える、日に日に赤く色づいていく柿の実が秋の深まりを感じさせる。

 僕は袖の長い上着を一枚羽織って家を出た。


『悪漢のふりして名声を高めよう作戦』が失敗に終わった。

 その後も、正当な門下生を集う案をいろいろ考えたが、どれも実行するには少し足りないものばかりだ。


 ……そもそもにおいて、条件が厳しいんだよな。


 師匠は流儀を変えるつもりがさらさらない。

 過酷にして苛烈。苦行をもって心身を養う古流のやり方を貫いている。


 戦乱の最中。生き残るために強く在らねばならなかった時代なら、それもまた民衆から受け入れられただろう。

 でも、今は泰平の世。

 戦う術を学ぶ必要がない時代に、誰が望んで自らに苦行を課すだろうか。


 娯楽剣術が流行してしまったのは、結局のところ、太平の世の人々の負荷に対する弱さだろう。


 手っ取り早く強くなりたい。

 楽しく修業したい。


 そういった人々の願望を拾い上げたのが、街にひしめく娯楽剣術道場だ。

 まあ、商売としては正しいよ。

 顧客の需要を読み取って、それを適したものを供給しているんだから。


 いくらハイデンローザ流の術理が優れていようと、そんなへなちょこ連中はついてこれないし、そもそもやろうとも思わないのである。


 古流の貫くという考えには僕も賛成だ。

 実際、自分を痛めつけてなんぼというか、才能がない人間から努力を取ったらなにが残るという話だし。


 しかし、それはそれとして、このやり方では生活が成り立たないのも事実だ。


 門下生がいなければ収入がない。

 今のやり方を続けても、師匠の生活は依然として貧しいまま。

 いかに優れた流派とはいえ、その術理や理念が単独で存在しているわけじゃない。

 それを教え伝えるのが人間である以上、生きていなければ流派が途絶えてしまう。


 そして、生きていくためには金が要る。

 金がなければ飢えて死ぬしかない。


 厄介なのは、師匠がそれを善しとしていることだ。 

 師匠は泰平の世に真の撃剣は必要ないと言う。自分が貧しく在るのは、それだけ世の中に争いがない証拠なのだと受け入れている。


 人間のできた人だ。

 こういう人を師匠に持つことができて誇らしいと思う。本当に。


 ……でも、時々思うのだ。

 じゃあ、どうして剣を捨てないのだろうか、と。


 撃剣が不要な時代なら、別の生き方を模索してもいいはずだ。

 戦うことしかできないのだとしても、師匠くらいの実力があれば、どこの騎士団や治安組織でも引く手あまただろう。

 女性なんだから、結婚して、子供を育てるという選択肢だってある。


 でも、師匠は頑なに『剣術の師』である生き方を辞めない。

 まあ、僕も師匠から教わりたいことはまあまだあるから、それはそれでありがたいんだけど……。


 思考が脱線した。

 ともかく。

 今のやり方を続けるなら、うちの修行についてこられるだけのやる気のあるやつを見つけなければ駄目だ。


 そんな変わり者が、この街にいるのか?

 いる。他ならぬ僕がそうだからだ。

 街に道場が飽和しすぎて気づいてもらえないだけなんだ。きっと。


 やはりハイデンローザ流の強さを世に示さねばならないか。

 ……他流試合以外の方法で。


 そう、これこれ。これなんだよ。これが一番厄介な条件なんだ。

 戦わないで、どうやって威を示せっていうんだ……。


 思考が泥沼にはまっているのがわかる。

 師匠から「そんなこと考える暇があったら、型の解釈と分解に時間を割きなさい」とか言われそうだ。


 はあ……いっそ、道場破りとかやって来ないかな。

 いくら他流試合が禁止だって言っても、降りかかる火の粉は払わなきゃならないだろうし。


 そんなことを考えていると、いつのまにか道場に着いてしまった。

 やれやれ。道場が近いのか、僕の足が速いのか。


 気を取り直して、僕は道場――ではなく、離れの母屋に向かった。


 師匠の生活の世話をするのも弟子の務め。

 僕の稽古は朝餉あさげ作りから始まるのである。


 朝餉を摂るにしては日が昇り過ぎているが、師匠はこれでいいらしい。

 というのも、薪代を節約するために一日分を朝にまとめて作らなくてはならないからだが、早く作りすぎるとそのぶん傷んでしまう。

 なので、師匠の朝餉は僕が出てきてから作ることになっているのだ。


 あ。縁側えんがわに師匠を発見。


「おはようございます」

「おはよう」


 師匠は縁側に筵を広げて、長い髪を丁寧に梳いているところだった。

 まさに黒絹と呼ぶのが相応しい、長くて滑らかな黒髪。

 白い肌と対照的に映え、何とも言えない艶めかしさを感じる。


 その部分だけを見ていると、とても凄腕の武芸者とは思えない。

 さながら良家のお嬢様といった感じだ。


 ……でも、なんでこんなところで?


「どうかした?」


 じっと見つめていることに気づいたのか、師匠が尋ねてくる。


「あ、すいません。すぐに朝餉に取り掛かりますから」

「お願いね」


 そう言うと、師匠は長い髪をうなじのところで一房に束ね、脇に置いていた鋏を手に取った。

 そして、束ねた根元に刃を当てて――


「――って、なにやってんですか!?」


 僕は目を白黒させて、慌てて止めに入った。


「なにって……髪を切ろうと思って」

「なんでいきなりばっさり行くんですか! そんなところから切って失敗したら、取り返しがつきませんよ!?」


 女性の理髪事情などあまり知らないが、こういうのは整えながら少しずつ切っていくものじゃないのか。


 そもそも、どうして髪を切ろうだなんて思ったんだ?

 道場に通い始めて六年になるが、ちまちま整えることはあっても、ここまで大きく髪型を変えようとしたことなんてなかったのに……。


 まさか、失恋でもしたのか!?

 そんな。誰かに思いを寄せるそぶりなんて見せなかったのに。

 僕の知らないところで、僕の知らない男と乳繰り合っていたというのか!


 だが、なんにせようちの師匠を振るなんていい度胸だ!

 草の根を分けてでも探し出して痛い目に遭わせてやる!


「何か誤解している顔ね。別に髪を整えたいわけじゃないわ。かつら屋さんに売ろうと思って」

「……ああ、なるほど」


 ふっと、自分の中の熱い思いが冷めていくのがわかった。


 別に女性が髪の毛を売るのは珍しいことではない。

 かつらという道具はずっと昔からあるが、代用する素材が見つからず、また開発されないこともあって、未だに人間の髪が使われている。

 髪なんて放っておいてもまた生えてくるわけだし、お小遣い欲しさに売り払う女性は一定数いるのだ。


 でも、もったいないなぁ……。

 せっかくの長くて綺麗な髪がなくなるのはちょっと残念だ。


 もっとも、弟子に過ぎない我が身。

 師匠の決断についてとやかく言う資格はないけれど。


「どういうわけか、私の髪を相場よりもすごく高値で買ってくれる人がいるの。黒なんて珍しくとも何ともないのにね。でも、理由を聞いても答えてくれなくて。なんでだと思う?」

「――師匠、駄目です。絶対その人に売っちゃ」


 前言撤回。絶対、切らせない。


「どうして? 確かに不可解だとは思うけど」

「いやらしいことに使うからですよ」

「……髪をどうやっていやらしく使うの?」

「そりゃ……こう、巻きつけたりとか……」

「なにに?」


 想像が及ばないのか、師匠は真顔で困惑している。


 なにってそりゃあ、ナニですよ。

 なんて言えるわけもなく、僕がもごもごしていると。


「「「たのもーう!!!」」」


 外からそんな声が聞こえた。

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