第4話

「午後はちょっと所用があって街へ出るから、この後は基礎ね。見ていないからって手を抜いちゃ駄目よ」


 そう言いおいて、師匠は食器を持って立ち上がった。

 今日のお昼も朝の残りだ。献立も変わらない。せいぜい、夏野菜の漬物が秋野菜の漬物に変わっただけだ。備蓄を使い切ったともいう。


「師匠はだいたい午後はいないじゃないですか。いつも通りです」

「それもそうね。戻ったら、地稽古をつけてあげるからね」


 師匠は薄く微笑むと台所へ行った。

 軽く食器を水洗いした後、そのまま玄関へ。

 

 ……さて、と。


 師匠の足音が十分遠のくのを待ってから、僕は隠し持ってきた包みからを床下から取り出した。


 紐を解いて中身を取り出す。それは衣装だった。


 肩の部分をぎざぎざに切り抜いた革の上着。とげとげのついた腕輪。

 そして、まるで鶏冠とさかのような髪型をした、ちょっと特殊なかつら。


 様々な文献を読み漁った結果、悪漢というものは得てしてこういう出で立ちを好むらしい。


 僕はそれに着替えると、師匠の後を追った。


 ごめんなさい。基礎はちゃんと帰ってやりますから。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 ヴェラス。

 それはレスニア王国はイール地方にある辺境都市だ。


 イール地方のほとんどは森林で覆われており、それ以外は農場しかない。田園風景どこまでも続いている、絵に書いたようなど田舎だ。


 とはいえ、行政の中心である都市部はそれなりに賑やかなもの。イール地方領主であるバーウェル伯爵の善政もあって、表通りは清々しい活気に満ちている。


 師匠が道場を出てから、遅れること数十分。

 人混みの中で悪戦苦闘することしばし、ようやく師匠の後ろ姿を発見した。


 ……師匠って、背が小さいから見失いやすいんだよな。


 だが、追いついてしまえばこっちのものだ。

 こちとら生まれて十四年のヴェラスっ子。

 ここから先回りできる裏道など、いくらでも知っている。


 僕は裏通りのほうから先回りして、師匠の進行方向とは逆に歩き出す。

 このまま行けば師匠と鉢合わせするはずだ。


 まずは基本に忠実に。

 すれ違いざまに肩をぶつけて、そこから因縁を吹っ掛けよう。


 お。師匠が近づいてきたぞ。


「……あれ?」


 肩が触れようとした瞬間、すっと躱されてしまった。


 ……さすが師匠。

 通行人の動きくらい、読めて当たり前ですか。


 くそ。もう一度だ。

 先回りして、再び接近。今度こそ――


 が、駄目。またも躱される。

 それどころか、別の人にぶつかってしまった。


「どこ見てやがる! 気をつけろ!」

「す、すいません!」


 怒鳴られて反射的に謝ってしまったが、それは悪漢としてどうなんだ。


 ……駄目だ。ぶつかって因縁つけるのはやめよう。

 もっと直接的なやり方で行くんだ。


 僕はできるだけドスの聞いた声で師匠を呼び止めた。


「待ちな、そこのねえちゃん」

「…………」


 師匠、安定の無視。

 眼中にもないということですか。


「待てってば!」


 声を張り上げると、ようやく視線が交差する。

 師匠はきょろきょろと周囲を見回した。


「……もしかして、私のこと?」


 自信がなさそうに、師匠は自分を指さした。


「おう。あんた以外、誰がいるっていうんだ」

「ごめんなさい、気づきませんでした。まさか、二十六にもなっておねえさんと呼ばれるなんて思いもよらなかったから……」


 そう言って、師匠は頬を赤く染め、もじもじする。

 狼狽うろたえる師匠、かわいい。


 女の人というものは若く見られると嬉しいものだと思ったが、師匠はそうでもないらしい。うちの母さんにおばさんなんて言ったらげんこつじゃ済まないというのに……なんと謙虚なんだ。


 というか、師匠。二十六は全然お姉さんです。

 少なくとも、僕は断言します。


「ま、まあいい。それで、だ。俺っち、ちょっとばっかし金に困っていてよ。懐のもん、出してもらおうか」


 ……こ、こんな感じだろうか。

 カツアゲなんて生まれて初めてのことだから、要領が良く分からない。


 すると、師匠は困り顔をした。


「ごめんなさい。持ち合わせはあまりないんです。むしろ食費を節約するために試食品を漁りに来たくらいですから」

「そ、そうか……苦労しているんだな……」


 師匠。ちょこちょこ街に出ていると思ったら、そんなことしてたんですか。

 やっぱり、あの量じゃ足りないんですね。

 そりゃそうだよな。いくら無駄な動きはないと言っても、ハイデンローザの稽古は過酷を極める。僕、家で普通の三倍くらい食べるもん。


 今度、差し入れを持って行こう。

 まあ、それはさておき。


「じゃ、じゃあ……向こうで俺といいことしようじゃねぇか!」

「いいことと言いますと?」

「ぞ、俗にいう婦女暴行だ!」

「具体的には?」

「え、えっと……服を脱がせたり……おっぱいを触ったりとかだな!」


 言って、顔が熱くなる。

 なに真面目に説明しているんだろう、僕は。


 だが、そんなやりとりを大声でやっていたおかげだろう。ざわざわと周囲の視線が僕たちに集まってくる。

 いいぞ。これは絶好の機会だ。


「抵抗するなら力づくで連れて行ってもいいんだぜ?」


 僕はそう言いおいて腰を落とし、威嚇するように拳を構えた。


 さあ、師匠。思い切り僕を投げ飛ばしてください。

 この衆人環視の前で、ハイデンローザの威光を知らしめるのです!


「およしなさい。力では何も解決しませんよ」

「なんだ、ずいぶん余裕だな。よほど腕に自信があるらしい。どこぞの道場にでも通っているのか?」


 今です! 高らかに叫ぶのです、当流の名を!


「私が何流かなど、どうでもよろしい」


 ……え?


「力を制すために力を使えば、それを止めるために更なる力を呼びましょう。それでは力で覇を競う戦乱の時代が繰り返されてしまいます。私は武に連なる者の一員として、私闘を固く律しなければなりません」


 こんな状況でも、戦うことを選ばないなんて。

 師匠は本当に強い人なんだ……でも、それじゃ困るんですよ!


「あなたが本当にお金に困っているのならば、少ないですが、お渡ししましょう。女の温もりを求めるほど心傷ついているのならば、一時、身を預けるのもやぶさかではありません。

 ですが、このヴェラスは伯爵家のお膝元。伯爵様の御威光によって法と秩序に守られた都市です。金を得、女を得たとしても、その手段が違法であらば法の番人が許しはしないでしょう。

 ……まあ、そうなったらなったで、私も警吏けいりに報告しますし」


「え、警吏呼ぶの!?」


 僕は目をぱちくりさせる。

 いや、師匠。あなたがとっちめたほうが早いじゃないですか。


「当然でしょう。そもそも、往来の揉め事を取り締まるのは彼らの役目。武芸者だからと言って、依頼もないのに勝手に事件を解決していいわけではないのです。場合によっては暴行罪でこちらが罰せられます。まあ、未遂だろうと何だろうと、あなたは間違いなく罰せられるでしょうが」


 騒乱罪とかありますしね、と師匠は呟く。


 僕はしばし無言になった。


 し、しまった――!!

 やった後のこと考えてなかった――!!


 仮に師匠がぶっ飛ばして実力をみんなに示せたとしても、その後、僕が警吏に捕まったんじゃ意味がない!

 むしろ、悪評!

 ハイデンローザ流道場から犯罪者が出て、しかも自作自演なんて!


 こんな初歩的なことに気づかなかったとは……。

 すいません、師匠。僕が馬鹿でした。帰ったら、基礎三倍します。


「お困りのようですね、ご婦人」


 そんな感じで僕がおろおろしていると、体格のいい三人の男が近づいてきた。

 そのすべてが道着姿。どこぞの剣術道場の門下生だろうか?


「ここは、我々にお任せあれ!」

「悪漢ごとき、我々の敵ではありませぬ!」

「ルスト流の降魔の太刀、受けてみるか!」


 三人はすかさず木刀を構えた。


 ……お前たち、師匠の話を聞いてたか?

 武芸を私闘に使っちゃいけないんだぞ。


 とはいえ、さすがに三人は分が悪いか。

 おまけに非公式とはいえ、他流試合になっちゃうし。

 それに、騒ぎを聞きつけて警吏が近づいてくるのが見える。


 しょうがない、ここはひとつ。


「お、おぼえてろ――!!」


 お約束のせりふを吐いて、僕はその場から逃げ出した。


 背後で、道着連中の嘲笑が聞こえる。


「ふん。戦わずして逃げるとは、何たる腑抜け」

「いや、これもルスト流道場の威光の賜物よ!」

「みなさん、これからもルスト道場をよろしくお願いします!」


 周囲から、わっと喝采が湧いた。


 くっそう。

 まさか敵に塩を送ってしまう結果になるとは……とほほ。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る