第7話

「……というわけで、お貸しできなくなりました。ごめんなさい」


 申し訳なさそうに師匠は頭を下げた。

 別に謝ることないのに。


 どういうわけだろう、と三人とも頭上に疑問符が浮かんでいたが、気を取り直したのか、甲が一つ咳払いをする。


「仕方ありませんな。……ですが、こうなることは想定済み」

「力づくで、了承を頂きましょうか」

「看板を賭け、立ち合いをしていただこう」


 ほうら。

 やっぱり、乗っ取る気だったんだ。


 ちらり、と師匠のほうを見る。

 こうなれば名実ともに立派な道場破りだ。

 こちらとしては名前を売る願ってもない機会だが、果たして師匠はどう出るか。


「当流は他流試合を禁じています。お受けることはできません」


 ……だよな。

 師匠は、やはり試合はしないようだ。

 もったいないと思う。けれど、師匠の判断に異を唱えるわけもいくまい。

 あくまで師匠に楽な暮らしをさせたいというのは、僕の個人的な願望に過ぎないのだから。


「それに、勝負を受けたところで、こちらには何の利益もありませんし」

「無利益ということはありますまい。ルスト流を下したとあらばヴェラス一の名声が手に入るのですぞ」

「あ。そういうの、別にいらないんで」


 廃れたとはいえ、その呼び名はもともとハイデンローザのものだ。今更である。


 その後も、甲、乙、丙はなんとか試合を取り付けようと会話を続けるが、師匠はまったく首を縦に振らない。けんもほろろとは、まさにこのことだろう。


 ついには。


「ハイデンローザ流は挑まれた戦いから逃げ出す腰抜け剣術ですかな」

「事実、ここまでコケにされてそれでも戦わぬというのなら、実力もその程度なのだろうよ」

「まったくだ。剣士として恥も外聞もないらしい」


 おーおー、ずいぶんと煽ってくるな。

 それだけこいつらも試合を取り付けようと必死と言うことか。どれだけそっちの師範は恐い人なんだよ。


「何と言われようと、試合はできかねます」


「……ふん」


 一向に誘いに乗ってこない師匠に、甲はつまらなさそうに鼻を鳴らした。


「わかりました。今日のところは引き下がりましょう。……ところで、こういう噂をご存知かな?」


 甲は思わせぶりな視線を僕のほうに向けた。


「最近、ヴェラスの街では闇討ちが絶えないそうな」

「被害者のどれもが、ルスト流に歯向かった道場の門弟たちだという。腕や足を叩き折られ、二度と剣が持てない体になったらしい。きっと罰が当たったのだろう」

「お主も夜道には気を付けたほうがいいぞ」


 ……まさか、こいつら。

 勢力を拡大するために、そんな汚い手まで使うのか。


 手のひらに力が入るのを感じた。


 ……ああ。上等だ。

 闇討ちとやらをやってみるがいい。その時は受けて立つ。


 僕は剣術に命を救われた。

 だから、剣術で誰かを傷つける奴を許してはおけない。たとえ、師匠から破門されようと――!!


「――お待ちなさい」


 凛とした声が、僕から怒気を洗い流した。


「気が変わりました。その試合、お受けしましょう」


「「「「なんですと?」」」」


 やべぇ。僕の声まで重なってしまった。

 師匠、あれだけ駄目って言ってたのに……どういう心変わりだ?


「じゃ、仕切りを外すわよ。手伝って」

「は、はい」


 さっきとは打って変わった態度にぽかんとしている三人を尻目しりめに、僕と師匠は仕切りを取り外していく。


 師匠の顔を伺い見るものの、相変わらずの澄まし顔。

 無表情というよりは、無感動が近いか。飄々として、冷めていて、けれどどこか優しげな風貌。


 一体、何を考えているんだろう。

 時々、その超人然とした佇まいに不安を覚える。


 仕切りを解いた道場は、それなりの広さになった。

 よほど窮屈だったのか、三人は袋から木刀を取り出して軽く体を動かし始める。


 そして、誰から挑むか相談を始めたころ、


「あ、面倒だから三人同時にどうぞ」


 師匠は、とんでもないことを平然とした顔でのたまった。


 いくら師匠が強くても、一対一と一対多は危険度がまるで違う。

 一騎打ちでは負け知らずの剛の者が、乱戦の横槍で命を落とすことは珍しくない。

 大丈夫だろうか……さすがにちょっと心配になってくる。


「ルスト流の高弟三羽烏さんばがらすと謳われた我らを同時に相手しようとは」

「慢心極まるのう」

「だが、そちらが言い出したことだ。こちらも手加減なしで行くとしよう」


 三人は高笑いをすると、前と左右から囲むように広がった。

 遠慮がない。


「あなたは危ないから下がっているのよ」


 師匠は手にした木刀で道場の隅っこを指す。

 僕は頷いて、そこに移動した。


「じゃあ、始めましょうか」

「「「いくぞ!」」」


 勇ましい声を上げ、甲、乙、丙は同時に飛び掛かった。


 ――結論から言えば。

 僕の心配は全くの杞憂であった。


 三人はそれぞれ上段、中段、下段から太刀技を繰り出した。


 三方向からの同時攻撃。

 人間の腕は二本。諸手で構えているから、実質一本。

 その状態ではおおよそ、防御、回避は不可能と言っていい。


 届けば、だが。


「「「――え」」」


 放心したような三人の声が重なる。

 同じくして、木刀同士が打ち合うけたたましい音が三つ重なった。


 三人の木刀はその手を離れ、宙高く舞う。

 三人の木刀が師匠の体に届くより先に、彼女の木刀がすべて払いのけたのだ。


 目で追うことさえ困難な、神速の太刀筋。

 その速さの秘密は、彼らがうんざりしていた道場の狭さにある。


 もともと古流剣術の大元は戦場で培われたものだ。

 そして、戦場とはなにも平地だけとは限らない。森の中。山の中。城の中。むしろ、障害物がない場所など考えられない。


 古流剣術にとって、戦場の障害物をいかに克服するかが命題であり、その答えの一つがこの狭い道場だ。


 最古の剣術と名高いベルイマン古流から連綿と受け継がれている四方三間道場。

 三人も並べばお互いの肩が当たらないように気を遣わなければならず、おのずと自分の動きを意識するようになる。

 そうしていくうちに、自然と最適化された動きが身についてく。

 最少効率の挙動を習得するのに、広い道場などむしろ不要なのだ。


 そして、そこから繰り出される最少、最短、最速の太刀筋。


 相撃を心構えとし、されど相手よりも一歩早く打ち込んで勝つ。


 まさにハイデンローザの剣の体現だ。

 身体運用を極めたら、こんなこともできるのかと感動さえ覚える。


 からんからんと、落ちてきた木刀が音を立てて床に転がった。

 圧倒的な実力差に甲、乙、丙は顔を真っ青にして硬直している。


「勝負あったわね。総評だけど、三人とも、もうちょっと基礎が必要かな」


 勝ち誇るわけでも、相手を見下すわけでもなく。

 師匠は淡々と事実だけを口にした。

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