第8話

 圧倒的な実力差を見せつけられた三人は、ほうほうのていで逃げ帰った。


 いやあ、愉快愉快。

 胸がすかっとした。別に僕が試合したわけじゃないけど。


 玄関に塩でも撒きたい気分だったが、そんなことをするともったいなくて師匠の顔が青くなる。妄想の中だけにしておこう。


 道場を四方三間に戻しながら、僕は師匠に話しかけた。


「それにしても、師匠。ルスト流を下したとなれば、ハイデンローザはヴェラス一の名門に返り咲きますね。きっと門下生も増えることでしょう」


 個人的にではあるが、最高の結果だ。

 ヴェラスで最盛を極めているルスト流の高弟を返り討ちにしたとあれば、その噂は街にすぐ広まるだろう。

 そうなれば、本当に強くなりたい剣士たちが師匠の下にぞくぞくと集まってくるに違いない。


 なのに、師匠は浮かない顔だ。


「それはどうかしら。あの人たちは破門されるだろうし、今回の一件はなかったことにされるんじゃないかしら」


 師匠の淡々とした物言いに、思わず手が止まる。


「そもそも、いくら高弟だからって道場の経営に関与できるわけないじゃない。道場破りは師範からの命だっていうのは事実でしょうけど、それなら責任者である師範が直々に来るべきよ。でも、それだと勝てればいいけど、負けてしまった時、被る損害が大きすぎる。

 つまり、彼らは捨て駒なのよ。道場破りに成功すればよし。負ければ、破門した彼らが勝手にやったことにして知らんぷりを決め込む。きっと、そういう筋書きだったんでしょうね」


 そうか。だから、あいつらは試合を取り付けようと必死だったのか。

 道場を奪えなければ破門。そうなれば、これまでの頑張りが無駄になる。高弟になるまで積み重ねた修練がまったくの無意味になってしまうから……。


 それは、とても辛いことだ。

 六年の下積みを経て昇段したばかりの僕だからこそ、これまで培った努力が水泡に帰す恐ろしさは理解できる。


「あの人たちの境遇には同情するわ。でも、だからといって剣を悪用しようとするのは許せなかった。そして、それを強要した彼らの師も。

 どんなに綺麗事を言っても、剣術は人を殺める力。だからこそ、それを修めた者は何よりもその力を律しないといけないの。

 そういう心構えができないうちに試合をして、勝利を味を覚えると、剣を抜かずにはいられなくなる。使わないことではなく、使うことに意義を見出してしまう。だから、私は他流試合を禁じているの。

 ……なんて、偉そうなこと言う資格はないわね。私の都合であなたに危害が及ぶのが嫌だったから引き受けちゃったけど、試合をしなくても、穏便に済ませられる方法もあったのかもしれないのだし」


 まだまだ未熟ね、と師匠は恥じるようにかぶりを振った。


 ……そんなことはありませんよ、師匠。

 僕にはそれが、たまらなく嬉しい。

 他ならぬ弟子ぼくのために流儀を曲げてまで戦ってくれたのだから。


「さて。反省の時間はおしまい。それじゃ、ルスト流道場に行きましょうか」

「え、なぜです?」


 だって、と師匠は淡く笑った。


「あの人たちが破門されたままじゃ、かわいそうじゃない。せっかく高弟になるまで修行してきたんだから」



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 実際、師匠の予測は当たっていた。


 甲、乙、丙の三人は破門され、道場破りは彼らが腹いせに当流を名乗って勝手にやったことだ。当道場は無関係であり濡れ衣である。

 と、ルスト流師範は主張した。


 が。


「闇討ちのことを警吏に言いふらすって言ったら血相を変えてきてね。吹聴しないことを条件に、三人の破門を取り消してもらったわ。ちゃんと誓文書もしたためてきたし、大丈夫でしょう」


 そんなことを話しながら、人の賑わう街並みを歩いていく。


 でも、ちょっと残念だ。

 三人の破門をなかったことにするということは、道場破りの事実もなかったことになる。

 ということは、ハイデンローザ流がルスト流に勝ったという事実も、やはりなくなってしまうのだ。


 結果的に救われたのは、あの三人だけ。

 僕と師匠の生活は何も変わらない。何も。


 だというのに、師匠は満足そうだった。


 まったく、この人はとんだお人好しだ。

 世の中には、門下生を商売の道具としか見ていない師範もいるというのに、この人は他流の教え子ですら導こうっていうんだから。


 でも、師匠がこういう人だから、弟子になろうって思ったんだよな。

 だから、僕は偽らざる本心を口にした。


「前から思っていたんですが」

「うん?」

「僕は師匠の弟子でよかったです。これからもお願いしますね、師匠」

「……私は、そんなに徳の高い人間じゃないわ」


 師匠は辛そうな顔をした。一瞬だけ。

 いつもの謙虚な受け答えだろうと思っていた。この時は。


 すると、ぐう、と腹の虫が鳴いた。

 雑踏の中でも聞こえるほど、とびきりのやつが。


「……ごめんなさい」


 師匠が顔を真っ赤にして、うつむいた。


 ……やべえ。可愛い。

 何が可愛いって、大男三人に囲まれても顔色一つ変えなかった師匠が、お腹が鳴って恥ずかしがるところが。


「そういえば、朝餉まだでしたね。何か食べていきますか」


 僕は笑いを噛み殺しながら提案する。


「そんなお金はありません」

「口止め料でいくらかもらってもよかったのでは?」

「それじゃ強盗と変わらないじゃない。……はぁ、やっぱり髪を売るしかないのかしらね」


 そう言って、師匠は長い髪を弄んだ。

 白い指先に黒い絹糸が巻き付き、しゅるりと滑らかに解けていく。

 そんな女性らしい仕草に、ちょっとどきりとする。


 ああ、師匠の指が羨ましい。

 僕にもその艶やかな黒髪を巻き付けてくれないだろうか。

 どこにとは言わないけれど。


 ……おっと。ときめいている場合じゃない。


「師匠、それは大いなる損失ですよ! そのままでいるべきです!」

「でも、髪の毛じゃお腹は膨れないのよ?」

「大丈夫です、今回は僕が奢りますから!」


 そう言うと、師匠は困ったようにうつむいた。


「そんな……年下、しかも弟子にご馳走になるだなんて……」

「いいんです。道場を貸さないでほしいって言ったのは僕ですし、臨時収入の機会を奪ったお返しだと思って! ね!」


 必死に断髪を止めさせようとする姿がそんなに面白かったのか。

 師匠は季節外れに咲いた百合のような、しっとりとした微笑みを浮かべた。


「そう? じゃあ、お言葉に甘えてご馳走になろうかしら」

「ええ、喜んで!」


 師匠の綺麗な髪がそのままでいてくれるのなら、こんなのお安い御用だ。

 それに、なんだか逢瀬っぽいし。


 かくして。

 僕たちは、手頃な店でかなり遅い朝餉を一緒に摂るのであった。


 ……でも、師匠。

 さすがに五人前は食べすぎじゃないでしょうか?

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