第22話

 かちかち、という音で目が覚めた。


 うすぼんやりする視界。

 頬に触れる、ざらりとした汚れた木の感触。

 漂う土埃とカビの匂い。


 ここは……どこだ?


 周囲を探るために体を起こそうとするが、できなかった。

 手足が縄で縛られている。まるで芋虫のように床に転がされている状態だ。


「やあ、目が覚めたかい?」


 少し離れたところでレヴォルの声がした。

 ようやく視界がはっきりしてくる。

 ここは、あの時の……攫われた時の小屋の中か。

 まったく、嫌なところに連れてこられたものだ。


 視線を巡らせると、囲炉裏の前でレヴォルが背中を向けているのが見えた。

 何か作業をしているのか、肩が上下に揺れている。


「結構、眠っていたね。もう夜だよ。寒いだろう? いま、火を熾しているからちょっと待ってくれ……よし、点いた」


 さっきから響いていた音は火打石か。

 火が灯ると、冷え切った空気がわずかに温かみを帯び始める。


「それにしても、警吏の目を誤魔化しながら、君を担いでここまで来るのは大変だったよ。もし見つかったら台無しだからね」


 そう言って、レヴォルは朗らかに笑った。

 何事もなかったかのような雰囲気が逆に気味が悪い。


「……僕をどうする気だ?」

「何度も言うけど、君を巻き込む気はなかったよ。ただ、あのまま放っておいてもどうせ追いかけてくるだろうからね」

「当然だ、僕にはあんたに誘拐されたんだからな。報復する権利がある」

「違うね」


 やんわりとレヴォルは僕の主張を否定した。


「君は自分が攫われたことなんて、もうどうでもいいはずだ。道場で僕に挑んだのは師匠のためだろう」


 僕は無言になってしまう。

 実際、そうだからだ。

 あの時、僕は自分のことよりも師匠の身を案じて戦いを挑んだ。

 結果は、まあ、散々だったけれど。


「君が師匠のことをとても慕っているのがわかったよ。まあ、だからといって邪魔されるのも困るからね。なら、いっそのこと安全なところで見守ってもらおうと思ったわけさ」


 確かに、縛られた状態では加勢の一つもできやしない。

 とはいえ、邪魔ならば斬り捨てたほうが早いし、レヴォルが僕に危害を加えるつもりがないのも事実だろう。

 だが、見守るとはいったい?


「あんたの目的は……なんなんだ?」

「道場でも言ったけど、師匠との因縁を清算することさ。僕は師匠を斬らなくちゃいけないし、師匠も僕を斬らなくちゃいけない。僕と師匠は、殺し殺される関係なのさ」

「それは、あんたが師匠の剣を悪用したからじゃないか」

「これでも事情があるんだよ」


 レヴォルは振り返らない。ずっと背中を向けたままだ。

 そのまま、とつとつと語り出す。


「僕の家は母子家庭でね。母が女手一つで育ててくれた。いっぱい苦労をかけたのに愚痴の一つも零さない母が僕は大好きだった。

 そんな母がある時、大病を患った。治療するには莫大な金が必要で、庶民にすぎない僕には、当然用意することはできなかった。

 ……日に日にやつれていく母を見るのはとても辛かったよ。自分はこれだけ苦労をかけてきたのに、何も孝行してやれない不甲斐なさで胸がいっぱいだった。そんな時、声をかけられたのさ。僕の腕を見込んで頼みたい仕事があると。

 非合法な仕事だった。けれど、そのぶん金は稼げる。母の治療も夢物語ではないほどにね。僕は断れなかった。師匠の教えに背くと判っていても、それでも死にゆく母を救いたかったんだ。

 そうして、僕は道場を辞めて裏の剣客になった。依頼のままに人を斬って、報酬を得る。暗殺だけじゃなくて人攫いの手伝いもしたっけ。ああ、誤解を解いておくと、君の誘拐は僕が主犯じゃない。実際は君の家の商売敵が企んだことなんだよ。僕はあくまで依頼を受けて実行したに過ぎない。恨むなら、そっちにしてくれ。

 でもまあ、隠し事というのは長く続かないものさ。当然のように師匠に発覚し、制裁を受けることとなった」


 それが、あの運命の日。

 僕が師匠に助けられた、あの日のこと。


「その時は何とか逃げおおせることができたけど、それ以来、僕は眠ることが難しくなった。ついに師匠に気づかれた。いつ師匠が僕を殺しに来るかわからない。それが怖くて怖くて……この六年間、安眠できた日はない」


 それが、レヴォルの目の下の隈の意味なのか。


 僕は師匠の言葉を思い出す。

 その子は、斬り合いに向いている性格ではないと言っていた。


 レヴォルの話を聞いて、その意味が分かった。

 斬り合いに向いていないということは、一言でいえば、優しいということだ。

 病気の母を見捨てられぬ優しさ。どうにかして救いたいという愛情。

 でも、優しさというのは完全な美徳ではない。

 母を見捨てられぬがゆえに道を踏み外したのだ。


 だから、僕はこう言うしかない。


「自業自得だ」


 まったくだ、とレヴォルは肩をすくめた。


「許してくれなんて言わないさ。自分のしでかしたことの意味は、自分が一番良く分かっている。……結局、母も治療の甲斐なく死んだしね」


 え、と呆けたような声が出た。


「君が言ったように自業自得。天罰なんだろう。人様を不幸にして手に入れた金じゃ、誰も救えないってことなんだろうね」


 そう言ってレヴォルは笑った。虚ろな響きだった。


 ……なんだ、それは。

 レヴォルは母親を救いたい一心で外道に落ちた。

 師匠を裏切ることになっても、これまでの生活をすべて捨てることになっても、それで母親が救えるのならと闇の世界へ魂を売った。

 そこまでしておいて救えなかったなんて、あんまりな結末じゃないか。


 ……別に、彼に同情したわけじゃない。

 事情はどうあれ、彼がやったことは紛れもない悪だ。

 でも、ついこんなことを口走ってしまう。


「足を洗えばいい。事情を話して、誠意を見せれば師匠だって悪いようにはしないと思う。何も殺し合わなくても――」


 最後まで言い終わる前に、レヴォルは力なく首を横に振った。


「なくならないんだよ。僕がハイデンローザを穢したという事実は。僕が金のために人を殺してきたという事実は。それに、謝ったところで師匠は俺を許さない。許しちゃいけない。それが師であるあの人の責務なんだ。僕と師匠の因果は殺し合いでしか清算できない」


 それからしばらくして。

 夜の冷え込みが頂点に達したころ、レヴォルは静かに立ちあがった。


「来たようだね」


 レヴォルは腰に差した三本の鞘の中から、太刀を一本すらりと抜き放つと、それをざくりと床に突き刺した。


「まあ、ひょっとしたら相打ちになるかもしれないし。そうなったら誰が君の縄を解くんだって話になるから、一応、ここに置いておくね」


 僕は床に突き刺さった太刀をじっと見る。

 鋭利な刃だが、擦り付けたところで縄はすぐには切れないだろう。

 それまでに決着をつけるつもりなのだ。


「僕が言うのもなんだけど、君との語らいは本当に楽しかったよ。振り返っても、あの道場で過ごした日々は人生最良の時間だった。……ああ、本当に。最後にそれを思い出せてよかった」


 そう言って、レヴォルは小屋を出た。

 結局、あれから一度も顔を合わせることはなかった。



◆◇◆◇◆



 扉の向こうに、師匠が立っているのが見えた。

 こんな状況だというのに、いつもと変わらず表情に色はない。


 その手には真新しい太刀。見たことのない拵えだ。

 そう言えば、新調すると言っていたっけ。


 ちらり、と僕と視線が合う。

 無事だと分かったのか、瞳に安堵の色が浮かぶ。

 それも束の間、すぐに視線をレヴォルに移した。


「……久しぶりね、レヴォル」

「ご無沙汰しています。ずいぶんと時間がかかりましたね。もう少しで、弟弟子に風邪を引かせるところでした」

「新しい太刀を用意するのに時間がかかったのよ」

「おや、ご自慢の古銭刀はどうしたんです?」

「ちょっと前に折れちゃったのよね」

「それは……もったいないですねぇ……」

「まったくよ」


 まるで知り合いと話すような気さくなやり取り。

 でも、これから始まるのは正真正銘の命の遣り取りだ。


「逃げ回るのを辞めたということは、勝算があるということかしら」

「ええ。いささか工夫をいたしました」

「――そう」


 刹那、師匠は抜き打ちを一閃。

 同等の速度でレヴォルも抜き打ちで応じる。


 きん、と涼やかな音色が夜陰に響く。 


 レヴォルが抜いたのは小太刀だ。

 太刀よりも短い刀身でありながら、師匠の神速の斬撃を器用に捌いていく。


 いや、違う。短い刀身だからだ。

 刀身が短い分、重量が軽いのは道理。

 単純な速度でいえば、太刀の師匠よりも小太刀のレヴォルのほうが速い。


 ……だが、あれがレヴォルの工夫なのか?

 単に速度を上回るだけでは、肝心の距離を埋められない。

 剣術の戦いにおいて刀身の差、約一歩の間合いを詰めることは容易ではない。

 たったそれだけで、それで師匠を打倒し得るとは思えないが――


「ふっ――!」


 ぐっとレヴォルが踏み込んだ。

 優勢だったはずの師匠がざっと下がる。

 さっきまで師匠の体があった場所を銀閃が薙いだ。


 だが、完全に回避しきれていない。師匠の道着に切れ目が入っている。

 馬鹿な、あれは小太刀の深さじゃない。


「なるほど――」


 いつの間に持ち替え、いつの間に抜いたのだろう。

 レヴォルの右手に握られているのはまごうことなき太刀だった。


 右手に太刀。左手に小太刀。

 それが意味するものは――


「二刀遣い。それがあなたの工夫ね」

「ええ。ハイデンローザの動きに落とし込むのに六年かかりました」

「そう。ご苦労なことね。使い物になるかどうか、試してあげるわ」


 師匠は鞘を放り捨てると、正眼に構えた。

 まるで、これまでの打ち合いは小手調べとでもいうかのように、師匠の周囲から陽炎が立ち上る。


 レヴォルが笑った。獰猛な笑みだった。


「最後の御指南、お願いします」

「――行くわよ」


 瞬間、師匠は石火の突きを放つ。

 突きは、あらゆる動作の中で最も速い。

 師匠の突きともなれば視認すら困難を極める。


 だが、レヴォルは左の小太刀で易々とその切っ先を叩くと、くるりと反転。太刀の右薙ぎで首元を狙う。


 師匠は重心を後ろに下げて紙一重でそれを躱すと、同じく横薙ぎで返す。

 大振り。引っかけだ。レヴォルが体勢を低くするのを待っていた。そのまま間髪入れず唐竹で追撃する。


「しぃ――!」


 レヴォルは上半身を仰け反らせて切っ先を躱した。

 だが、師匠は追撃のためにそこから斬り上げを放とうと切っ先を上げる。

 その瞬間、脇から二刀が交差して回り込み、抑え込みにかかった。


「ちっ……!」


 大きく円を描いて拘束から逃れたが、立ち直りはレヴォルが速い。

 攻守が入れ替わる。時間差で迫る二つの斬撃はさすがの師匠も厄介そうだった。


 太刀に囚われては、対となる小太刀に首を狩られる。

 だが、両方に注意を払っては攻めが疎かにならざるを得ない。

 次第に手数に圧倒され、師匠は防戦に回ることを余儀なくされていく。


 だが、その怒涛の連撃も無限ではない。

 人間が無呼吸で行動できる時間には限りがある。両腕で重い武器を振り回す二刀遣いは息切れが速い。


 その呼吸の狭間をついて再度攻勢に転じるものの、独立した生き物のように走り回る二刀が執拗に師匠の攻め手を封じ込めてしまう。


 レヴォル。なんて奴だ。攻めも守りも隙がない。

 これが、師匠も認めた天才の力なのか。


「くぅ……!」


 師匠の太刀がまたも十字受けで挟み込まれた。


 じりじりと師匠が後ずさる。目に見えて、焦りが浮かんでいた。

 交差した刃はまるで鳥もちのように師匠の太刀を掴んで離さない。

 もとより小柄な師匠だ。大の男に力任せに抑え込まれれば太刀打ちできない。


 その時、するりと拘束が解けた。

 滑るようにレヴォルの太刀が翻り、師匠の顔を狙う。

 頬がかすかに裂け、血が滲んだ。


 息を吐かせぬ連撃。

 防ぎ、防ぎ、防いで――技の切れ目の一瞬をついて、師匠の右斬り上げが一撃がついにレヴォルの左腕を斬り飛ばす。


 血しぶきをあげて宙を舞う腕。

 だが、それすらも覚悟の上だったのか。


 レヴォルは凄惨な笑みを浮かべ――右腕の太刀で師匠の逆胴を斬り裂いた。

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