22.5話 『』

 私が何者であるかなんてことは結局、あの日が過ぎた今でもわからない。数日前までの私がした行動の意図なんてものも、わからない。わからないことに囲まれて生活を送る日々だけれど、最近になってわかった、というか、わからされたこともある。

 

「さあ、元気を。笑ってみせて。ふふっ、その調子」

 

 悲しそうに泣く、いや鳴く小鳥に向けて姫は言う。

 出番はまだ先だけれど、ついつい舞台袖から様子を窺ってしまう。私の好きな場面だからだ。

 指先にとまった小鳥に向けて彼女は微笑む。小鳥の冷え切った心を融かしていったのはたぶん、言葉だけではないだろうと思わせられる。

 そういう演技だからと言われたらそこまでだけれど、最近の私はそうだとは思わない。


「余裕が表現力に個性を載せて、そうして『私』の演じる『誰か』が成立する、ね」


 いつぞやの私が言い、いつぞやの彼女がかけてくれた言葉を思い出す。

 その姿は姫であると同時に、彼女でもあった。あの保健室での出来事がより一層、姫から滲み出る彼女らしさを強調させているような気がする。

 感傷に浸る私を置き去りにしながら物語は続いていく。

 

「困ったときはどうしたらいいの…… そうなの。歌うのね!」

 

 行動の結果は良くも悪くも自らに跳ね返ってくるもの。それは変えられない。

 それを私は自業自得と、報いと呼んでいたけれど、彼女はそれを因果応報と呼んだ。

 言葉の意味は変わらない。けれど彼女は言った。ものの見方の違いがある、ニュアンスの違いだと。そういうものらしい。

 

「歌を歌いほほ笑むとき、苦しみは消えて日が光る」

 

 意図したものでなくとも、人はそれを必ず覚えているし報いてくれる。

 

「歌を歌いほほ笑むとき、喜びが胸で目を覚ます」

 

 その時はすぐ来るのかもしれないし、それこそ忘れてことにひょっこりと、顔をだして手を差し伸べてくるかもしれない。

 

「嵐の吹く夜もじっと抱いていれば、やがて朝がくる」

 

 きっと、きっとその時が来るはずだから。

 

「歌を歌いほほ笑むとき、苦しみは消えて日が輝く」

 

 明けない夜も止まない雨も無い。あたり前なのに私にとっては特別なそれを教えてくれた彼女の傍に、今は居ることにしよう。

 小鳥を励まし、また、動物に励まされた彼女は、あの時かけてくれた言葉を呟いた。

 

「――きっと、なにもかもうまいくわ」

 

 

 やりたくないと思っていた写真撮影も今となってはいい思い出の1ページだと思えるようになったのは、私が気分屋だからなのだろうか。それとも、喉元を過ぎた熱さを忘れただろうか。それとも、変えられない過去を少しでも彩のあるものだと思いこみたくて、脚色した私由来のせいなのだろうか。

 振り返ってみても思い出せるのは今の私が塗り変えた景色で、その時は現在だった過去を精巧に真似た贋作であることはどうしても変えられなかった。

 ただ、贋作は必ずしもオリジナルよりも劣っているということはないはず。根拠なんてないけれど、なんとなくそう思う。そう思えるようになった。

 

「長めの10秒でセットしたから、ゆっくりポーズ決めてていいよ」

 

 レンズの先に居る3人に向けて声を掛け、同時に私もその横に立つ。

 

「わたし、この学院に来てから誰かと写真を撮るって初めてだわ」

「実は私は2回目」

「私と撮ったの」

「そうだったの! 綾と多蔦さんっていうのは珍しい組み合わせよね」

「透子と撮るのははじめてだから、ちょっと楽しみ」

 

 いつの間に呼び方が変わったのかはおいておくとして、ふたりとも楽しそうだ。

 

「日和。いつぞやに言ってたことなんだけど」

「いつぞや?」

「私たちのこと」

「あぁ、この関係ってなんていうんだろう、ってやつ」

 

 こちらは呼び方こそ変わってないけれど、確実に何か変わった感覚はそこにはあった。

 友達でも親友でも、恋人…… ともちょこっと違うこの関係はなんて言うのだろう。ふたりで話していたことを思い出す。

 

「なにか名案でも?」

「あぁいや、実は今でもよくわかっていないんだ。でも、こんな言葉はどうだろうか、ってね」

 

 彼女の短い髪が耳に触れ、息が触れ、声が触れ、想いは心に触れた気がした。

 

「なにそれ。ふふっ」

 

 思わず微笑んでしまった瞬間に乾いた音が響く。改めてそれを見ると、可笑しくなりながらも悪くはないと、そう思っているような顔を私はしていた。

 そうね。とりあえずは、そう呼ぶことに私もしよう。たぶんあたしも納得してくれるはず。そう。

  ――『ファミリア』と。

 

 王子とあたしと毒リンゴ 了

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