33話 Side 多蔦日和 ――忘れられない私の、私たちの……

この学院に来てから、もう半年が経ったらしい。

 移ろいゆく季節はどこか忙しなく、まるでなにかに追われて逃げているみたい。


「多蔦さん、次こっちの撮影もお願いしてもらって良いかしら?」

「うん!今行くね~」


 それはあたしもある意味同様で、胸元にぶら下げたカメラと一緒にあちらこちらに駆けていく。

 写真展をやるらしい。そんな話を聞いたのは先週のことだった。

 部活動の一環でもなんでもなくそれは、学園全体で行う行事らしい。

 娯楽の少ないこの学院に突如として現れた「イベント」になんだか、学院全体が浮足立っているような、高揚しているような、どこか落ち着かない表情が溢れていた。

 よくわからないけど楽しそう。それが大半の気持ちなの気持ちなのかもしれない。私自身もよくわからない。

 各々で思い出となる写真を撮ってみよう。そんな話を聞いていたはずなのになぜ私はこんなにもあちらこちらにも、呼ばれては駆けつけて呼ばれては駆けつけて……

 同じ一枚なら良く映ったものが良い。そんな気持ちが根底にあるからなのかもしれない。強制はされていないが雰囲気にそうさせられているような、駆り出されている写真部のみんなは展覧会前以上に忙しそうだ。


「本当は風景専門だったはずなのに……」


 写真部だったら誰でも良いのかと言いたくなる。だったら私じゃなくても良いじゃない。なんてことは部員数を目の前にしたら多分、言えなくなってしまうだろう。

 今週に入ってからフィルムの大半は人で埋め尽くされていた。一知っている人から知らない人まで、詰め込まれたおもちゃ箱にもよく似ているのかもしれない。けれどそれら一枚一枚は宝石のように輝いているみたいで、もしかしたら宝石箱なのかもしれない。

 ただ、それは綺麗だと感じるだけでそれの価値はあまり、よくわからない。フィルムの中のあの子たちにとってそのどれもがかけがえのない一枚なのかもしれない、が。


「日和」

「あぁ綾乃……って、何その甘い匂い」

「月代さんがお菓子教室を開いていてね、暇だから寄ってみたんだ。これ、作ったやつ」


 あのお菓子教室も随分といろんな人が来るようになったものね。そのうちお菓子部なんて設立されたりして。

 手のひらには熊や猫のアイシングがなされたクッキーが、可愛く包装された袋の中で賑やかに暮らしていた。


「どちらかというとこっちの方がおもちゃ箱だよね」

「おも……なんて?」


 写真よりこちらの方が輝いているように見える。当社比三割増しくらい。それは動き回って空腹なせいなのか、写りを考えて回した頭が求めているのか、それとも、彼女が作ったものだからなのだろうか。


「結構上手に焼けてるじゃん、一枚もらうね」

「一枚と言わず二枚でも三枚でもどうぞ。その方がこちらとしても安心できる」

「?」


 妙な言葉の意味を飲み込む前にまずは一口。

 うん。うん。

 ……

 …

 うん?


「なんか……しょっぱくない?」

「……やっぱり?」

「ちょっとやっぱりってどういうことよやっぱりって! あ、いや……つかぬことをお伺いしたいのですが」

「いきなりかしこまった言葉で返ってくると怖いんだけど」

「お・う・か・が・い。したいのですが」

「はい」

「味見は?」

「してないよ?」

「するでしょう!普通!」


 私で実験するな!なんて言いたくもなる。

 普通は味見するよね?そうだよね?見た目とかけ離れた味と私の中の常識とかけ離れたソレで余計に味もなにもかもがわからなくなってきた。


「さすがに味見はしようとは思ったよ。思ったが……」

「が?」

「その、砂糖と塩をですね。ああでも安心してほしい。途中で気づいたから砂糖もしっかり入れたんだ。だから他のはおいしいかも――」

「先に言いなさいよ!」


 漫画か!それもちょっと古い!

 それで私に彼女曰く味見、もとい毒見させたことだろうか。

 わかった、わかったぞ。わかってきた。

 ひとつひとつ謎が解けていくたびに頭の中は淀みのない湖のように澄み渡っていく。けれどそうなる毎に鮮明になっていく塩味がなかなかに辛い。砂糖も入れてくれてはいるらしいけど……風味が微かにくすぐるくらいでよくわからない。

 ただ、せっかくいただいたものなのでとりあえずは一枚、食べきれるようすこしずつ、すこしずつ口に運んでいくことにした。

 美味しくないわけではない。美味しいわけでもないけれど、うん、うん。噛み締めていくたびに美味しさとは違った、よくわからない感覚が湧いてくる。それはどこか暖かくて、どこか心地良いような。他の人が作ったお菓子では感じたことがないような、嬉しい?幸せ?そんなものにもよく似た不思議が私を支配する。


「そ、それでなんだけど、その……」


 最後のひとかけらをちょうど飲み込んだ時に駆けられた言葉の続きを待ってはみるけど、それは一向に返ってこない。

 綾乃を見てみるとどうも煮え切らないような、らしくもない彼女の態度がそこにはあった。

 視線はあちらこちらに転がるし、手持ち無沙汰そうな指は綺麗に伸びた髪をくるくるといじっていて、まるで告白予行練習をしているみたい。


「塩クッキーっていうのも珍しくてちょっと驚いたけど、悪くはなかった」

「ほ、本当に?」

「本当。お菓子作りは初めて?」

「そう、だね。レシピとかも読んでみたけど結局よくわからなくて、月代さんに手取り足取り面倒を見てもらったよ」


 暇で寄った割には気合十分な彼女の本当はどっちなんだろう。頑張って作ったことが知られたら恥ずかしいから?彼女らしいと言えばまあ、彼女らしい。

 レシピ本に頭を捻らせる彼女の姿は想像したら笑えてくるし、塩に気づいた綾乃と月代さんの顔を想像したらついには吹き出してしまった。


「あはは。それで、頑張って作ったものを食べてもらいたくて、ここまで来たと」

「そ、そこまでは言ってないけど――」

「もう言ってるようなものでしょ。ありがとね。今度は一緒に作ろう。リトライしても良いし、ケーキなんかでも良いし!」

「あぁ、あぁ!そうだね、日和が居てくれると嬉しいよ。レシピ本は肝心なことを教えてくれないんだ、目分量と書いて責任を放棄する」


 嬉しい、嬉しい……ね。助かるとかではなくて、嬉しい。それは自然に彼女の口から出てきたものかもしれないけれど、私の心を動かすにはそれだけで十分だった。


「そうと決まれば早速行こう。鉄は熱いうちにとも言うし」

「ま、口直しにも気分転換にも良いかもしれないわね」

「ねぇ、ケーキ好き?」

「あぁ、大好きだよ」

「そう、それなら私、」


 ――もっとこれが好きになれるかも。

 自然と指を絡め、離さないように繋ぎながら廊下を進んでいく。

 ――カシャッ

 

 

 写真展で私は、宝物と出会うことになった。

 あの日の私たちはカメラに収められていたみたいで、その時の綾乃の表情をもう一度、この写真展でまた会うことができた。そして初めまして、その時の私。こんな顔して笑ってたんだ。


「ちょっと恥ずかしいけど……ね」


 後で聞いた話だと、ベストショットということもあったけれど、撮ってくれた理由はそれだけじゃなかったみたい。

 多蔦さんのフィルムにはいろんな笑顔が咲いていたけど多分、そこに多蔦さんの写真は一枚もないと思ったからだって。なにそれ。そんなの当たり前じゃない。


「なんだかこうして欲しい写真にチェックを入れていると、修学旅行を思い出さないかい?」

「言われてみれば。でも撮る側だったから実ははじめてだったりして」


 いつもの四人で撮ったやつとあとはこれも、それも……ついでに綾乃とふたりのそれにも、チェックを付けた。

 あの笑顔は間違いなく「私」に向けられたものだと、保証もないけれど確信できた。

 瞳の先に映る「ファミリア」との一枚は生涯、私にとって忘れられない宝物となるだろう。

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