32話 Side 貴澄透子 ――忘れられない私の、私たちの……
この学院に来てから、もう半年が経つそうです。
忙しなく過ぎ行くこともなく、かといって進んでいるのかもわからないほど遅いわけでもなく、けれどすこしゆったりとした時間がここには流れているような気がします。
時間の経過を教えてくれたのはカレンダーでも色付きを変えた外の景色でもありましたが、それだけでもないと思うのです。
「次の議題は、この余りに余った予算をそろそろ生徒にも還元をという学院側からの要望だけど…… 思いつかないからって生徒会に丸投げしてないかい? これ」
生徒会の面々が変わった、ということもひとつの要因ではあるのかもしれません。
会長の席にはこの間まで副会長だった先輩が、元会長は多分、受験に向けて教室か図書室に居るような気がします。
ただ、いつもと変わらないのは面々がうんうんと頭を悩ませている姿でした。紅茶と時間だけが消費されるばかりです。
「文化祭、は似たようなことをやっていますし、普通の学校の行事を考えるなら…… 体育祭とかどうでしょう! たまには動きたいという生徒も居るんじゃないでしょうか」
「なるほど体育祭…… 体育館がないということを除けば妙案かもしれないね」
活発そうで普段からスポーツを嗜んでいそうな先輩の一声もあえなく撃沈してしまいました。ただ、余っている予算を使うのであれば……
「予算が余っているのであれば近くの体育館を借りて、なんてこともできそうですよね」
「そうですよ。たまにはそういう使い方をしても良いと思いますよ! ありがとう、貴澄さん!」
自分が動くよりも応援しているほうが好きということは言わない方がよさそうです。撃沈してすこし寂しそうにしていたと思えば急にパッと笑顔になって、忙しいけれど楽しそうな先輩のおかげで幾分か重い生徒会室の空気が軽くなった気がします。ありがとうを言うのはこちらの方かもしれません。
「いったんは案のひとつとして保留しよう。いくらお金を使えると言っても、それを上が了承してくれるとは限らないからね。案をいくつか出してそこから許可が出たものから選ぶ、というのが良いと思う。そこで、なんだけど。貴澄さん」
「は、はい」
コの字型に座り中央をただ見つめていた方々の視線が一気に向き、少したじろいでしまいました。何も悪いことはしていないので堂々としていれば良いのでしょうが…… 慣れません。
紅茶を一口、舌を湿らせて次の言葉を待ちます。いえ、一口では足りなかったかもしれません。
「一年生の君に聞きたいんだけど、この学院に来て今まで一番楽しかったこととかって、あるかな?」
なるほど、学院の生活に慣れてしまった先輩たちよりも、不慣れながらも生活に慣れてきて、なおかつ学院外の思い出がまだ白黒になっていないわたしに聞くのが先決と考えたわけですね。
手としては最善手なんでしょうけど、困りました。すぐに答えられるような思い出をわたしは持ち合わせているでしょうか。
薄紅に映るわたしに問いかけてみることにしてみました。表情は読み取れません。深みへ深みへ、手を伸ばさなければ手に入らないと言われているようです。
半年という時間は長いわけではありません。季節がふたつみっつ過ぎるのを見ているだけなのですから。それに、年齢とともに時間の経過も早く感じると言われています。まだそんな歳でもないと思いますが、確かに感じたのです、特に今年は。
それはなぜだったのでしょうか。考えたことはありませんが、確かに感じていたはずなんです。
思い出がだんだん霞んでいくような、それは……
「あ……写真」
あれは去年のものでしょうか。前々生徒会の全員で撮った写真が生徒会室には飾られていました。
時々前生徒会長さんが言っていました。懐かしいなぁ。と。
わたしにもそんな写真があったな、と思い出せたのです。それはあの部屋のあの机に飾っている、ひと夏の一瞬を切り取ったそれが。
あの時の潮の香りも汗ばんだ制服の感触も、今はもうおぼろげです。
夏の、いえ、もしかしたら今年一番の思い出…… になるかもしれません。
そんな写真が記憶から記録に移り変わろうとしていて、そしていつかは……。
「写真展はどうでしょう?」
突拍子もないことでは自分でもわかっています。生徒会の面々は驚いていたり、隣の方と話していたり、どういうこと? そんなイベントあったっけ? いえ、そんな催し、今までありませんでした。
「この学院での思い出を共有するんです。こんなことがありました、あんなことがありました。なんでもいいんです。去年の写真でも良いですし、それこそこれをきっかけに作っても良いんです。予算はフィルム代に回すことができますしそれをアルバムにしても良いかもしれません、なにより、そういった分かち合い振り返る場というものがあっても良いと思います。少なくとも……わたしは」
最後の一押しにわたしはあの夏の思い出を、写真も急いで部屋から持ってきて紹介しました。
忘れたくない、忘れられない思い出をせめて記録にでも残すのです。わたしは幸運にも写真の好きな、大好きな友達に恵まれていました。他の方はどうでしょう。残したい思い出、ありませんか。と。
吹き込む風に触れ、話過ぎてしまったことを知りました。汗ばんだ首筋は、それだけ熱意をもって話すことができたことを証明してくれているようです。
「たしかにわたし、このままだと卒業したら思い出せるものなんて何もないかもしれないな」
「ねえ、今度の大会でカメラもってこうよ、カメラ」
「ファミリアのみんなとも撮っておきたいわ!」
会長さんのひとことは伝播して、懐疑的だった方々からも好意的な言葉が聞こえてきました。
これはわたしのためでもあったかもしれないし、わたしの知らない誰かへの為であったのかもしれません。もらった幸せを少しでもお裾分けしたくて、みんなが幸せになってほしくて、この学院のこと、みんなのこと、もっと好きになってほしいと思えたからです。
「よし、早速提案資料でも作ることにしようか。貴澄さん、もう少し詳しく教えてくれるかい?」
「はい!もちろんです!」
この幸せも伝播して、わたしから会長さんへ、生徒会のみなさんへ、クラスメイトへ、ファミリアへ…… みんなが笑顔になれる日へ。その一歩を踏み出したのは今日で、明日はもう一歩、明後日はさらにもう一歩。叶う日はそう、遠くないのかもしれません。
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