19話 問6「肉眼で見た星々と人工衛星は同価値か、記述しなさい」

「おや、随分珍しい組みあわせだ」


 部屋に戻ると、小さく手を振りながらおかえり、と言う潮凪先輩のような姿があった。『 のような』という表現をしたのは、彼女からいつも私が接している先輩とは違った雰囲気を感じたからだ。

 彼女を支える背骨が抜けてしまったみたいに丸くなるその姿のせいでもあり、また、今日の先輩はなんだか蕩けているみたいに見えてしまって。したたかで芯の通った心をそのまま擬人化させたようなあの先輩はどこに行ってしまったんだろうか。


「ナギ、もしかして今日は元気ない?」

「いいや、単純に疲れたんだよ」

「珍しい。ナギの口からそんな言葉が出てくるなんて」

「私だって、君らと同じ人間なんだよ」


 皮肉を込めたような笑みを浮かべる潮凪先輩を見、安心感と言いえぬ不安とが交互に去来した。

 いつもと違う、いつも通りの先輩。考えれば考えるほどわからなくなる。


「……そういえば、貴澄さん見なかった?」

「同じくお疲れのようで、もう寝てるよ」


 指さす方向からは、スゥスゥという一定のリズムの音が聞こえた。電気をつけているせいか、私達の会話がうるさかったせいか、頭まですっぽりと掛布団を被せていた。委員長のお仕事、たいへんだものね……


「それで、ナギはいつの間にお風呂入ってたの? 私、実は待ってたんだけど」

「あぁ、それは本当にすまないとは思っているんだ。言い訳ではないが帰り際、貴澄さんに誘われてしまってね。いや、しまってという言葉には語弊があるね。招待、いや、お招きいただ……まあ、そんなところ」


 適切な言葉を見つけられなかったのか、見つけるのが途中で面倒になってしまったのか、両方か。そんなことよりも、話の内容に私と渚先輩は驚きを隠せず、視線を互いの顔と潮凪先輩との間を気が済むまで行き来させていた。

 入浴時間は学年ごとに分けられており、基本的には割り振られた時間内に済ませなければならない。学年の違う人を誘うことは、親睦を深めるという面では良いかもしれないけれど、規則という面で見れば褒められた行為ではないだろう。

 私の場合はそもそも入る時間を逃してしまったから、しぶしぶ半分という気持ちはあったけれど……


「その反応は酷くないか? 私だって誘われることくらいあるさ。それに、ふたりだってどちらかが誘ったんだろう? そっちだって十分珍しいよ」


 先輩は特別ひとりが好きそうなイメージがあったから余計に……ね。渚先輩も驚いてるということは、少なくとも私は少数派ではないのだ。多分。


「……誘うならナギの方からだと思ってた」

「親愛なる後輩のお手を自ら煩わせるようなことはしないよ。けれどまぁ、たまにはこういうのも悪くない」


 少しいじけた様に言う渚先輩を見るからに、やはり後輩から誘われるというのは特別なことなんだろうか。誰かの先輩にもなったことがないし、誘うことも誘われることのなかった私にはまだわからない感情だ。……今日も私から誘ったほうが良かったのかな。


「ただ、次からはちゃんと教えてよね。退屈だし、心配だし」

 寂しいし。と続く声が聞こえた気がした。

「次からは気を付けるよ。今度は……そうだね、倉實さんに誘われてみたいな」


 指名されてしまった。私にとって誰かと入浴するというのは、お風呂を楽しむというよりかは、お湯に浸かりながらの会話を楽しむものである。思えば潮凪先輩とふたりで話したことなんて岬でくらいだし、あの時だってひとことふたことだったし……一体どんな話をしてくれるのか、私がしだすのか、楽しみだ


「いいですよ。私もちょっと、楽しみです」



 ・・・

 ・・

 ・

 そろそろ寝ようか。と言ったのは先輩だった。

 潮凪先輩の眠気は渚先輩に伝染したらしい。私は別段眠くなかった。けれど私だけ起きているというのもなんだか嫌で、眠気が私のところに来てくれるまで、ただただベッド上段の木目に点在する染みを見つめてみることにした。ひとりインドアプラネタリウムとでも名づけておこう。あの星はなんだろう。ふたご座かしら。 

 どこかの神話の双子の兄弟がモチーフであると、どこかで聞いた覚えがある。

 一緒に生まれた兄弟なのだから、死ぬ時も一緒でありたい。兄を亡くした弟の願いが、あの星には込められている。そんなお話。

 素敵だなと子供心に感じたことは今でも覚えている。けれどそれは、その話に対してではない。

 ひとりっ子の私には兄弟愛なんてものはわからないし、死ぬ時も一緒でありたいと思えるくらい愛したことも、愛されたこともない。

 私が素敵だなと感じたのは、輝く星々はたまたま近くに居ただけで、その集まりに意味なんてないのに意味づけた人々に対してだった。

 どうしてそう感じたかまでは覚えていない。星々の煌めきと、そこに星座という記号を創り、意味づけるといった人々の営みにあてられて、得も言われぬ神秘性を感じたのかもしれないし、もしかしたら特に理由はなかったのかもしれない。

 改めてこの話を思い出した今も、その感想は変わらない。

 けれど、いつか私もそれほどまでに誰かを愛せる日が来るのだろうか。または……なんて思いはあの頃になかった感情だ。

 あれほどまでに輝く星座と自分を重ねるなんて、おこがましいだろうか?

 手を取り合って、踊ることができれば、それくらいの方が私には丁度良いのかもしれない。

 見せかけの星々に手を伸ばしてもやはり届かない。届かなくて良い。届いてしまったら、そんなものかと思えてしまいそうだから。

 ここからの景色がどれだけ綺麗だとしても、近づいてみるとそれは穴ぼこで不格好なのかもしれないから。

 徐々に徐々に瞼という雲が星々を隠し、眠りに落ちた。

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