35話 Side 東口綾乃 ――忘れられない私の、私たちの……
この学院に来てからもう半年が経過したというのは日和の冗談ではなかったようだ。
あの頃咲いていた桜もあれだけ暑かった日差しもここにはもうなくて、最近は枯葉と秋雨が散らばるように落ちるばかり。ただ装いは春と同じ冬服で、けれど半年で変わらないのはこれだけかと思うと少し寂しくも思う。
もちろん、変わることすべてが悪というわけではない。変わってくれたことで救われた経験を私はしているのだから。
それは多分日和。あなたのおかげなんだと思う。
目の前のデザートに目を輝かせている隣の彼女は多分、重いなんていうだろうけど。
それを抜きにしてもこの気持ちを直接伝えることは今の私にできるわけがない。今まで立ってきたどんな舞台よりも緊張するだろうし、恥ずかしさで死んでしまうだろう。誰かを表現することが得意な私は、自分を表現することが苦手みたい。
それを知れたことに少し喜びを感じた。最近は少しずつ自分という人間を見つけられてきているような気がする。
ぼんやりとした輪郭が鮮明になっていくような、そんな感覚が。
それは私の輪郭を優しく、そっと撫でてくれる彼女が隣に居てくれるからなのかもしれない。
ずっと彼女の隣に居たい。居てほしい。もっと傍に……
視界の隅で幸せそうに微笑む日和をずっと、見ていたい。
「ん、綾乃も持ってくれば? 見てるだけじゃもったいないじゃない」
「い、一個まるまるはさすがに多くてね」
「あぁ、なるほど」
見ていたのは日和だよなんてこと、言えるわけがない。
そういうことはこういう時ではなくてもっと…… もっと?
もっとって、今以上の私と日和の関係なんてそれはまるで、まるで……
「ん、」
「……ん?」
こちらを見つめながら向けられたスプーンには栗色の、日和がさっきまで食べていたソレが乗せられていた。
「ひとくちくらいなら入るでしょ」
「ま、まぁ」
「だから、はい」
ぐい、と向けられたそれをいただいてみる。うん、これは…… どうしてか味がわからない。
とりあえずひとこと。
「おいしい」
「でしょ?私これ好きなの。綾乃も好き?」
答えようのない質問にとりあえず首を縦に振ると、少し口元の緩む彼女が見えた。風が吹いたように灰色の髪が揺れ、後ろ髪をまとめた花飾りも笑っているよう。
「それなら私、もっとこれが好きになれるかも」
すっ…… 今、なんて?
「ひ、ひよっ……」
「私今、変なこと言った?」
変、変なの、だろうか。他の人が変と言っても私はそれを受け止めたい。受け止め切れていないけれど。
さらりと流れるように出たあの言葉の真意を考えると……いや、真意もなにもそれ以上でもそれ以下でもないだろう。あれは。
「いいや。十分食べたし、先に戻ってる」
「おー」
食堂から出た私は走り出していた。このままだと噴き出た熱に融かされてしまいそうだったから。
もう一度言ってほしいなんて、言えるわけがなかった。
「それなら私、もっとこれが好きになれるかも」
あの言葉をもう一度聞きたくて家庭科室のキッチンに立った私が辛うじて作れたのは、塩と砂糖が謎にブレンドされたクッキーだった。日に当てるとソレはちりばめられた星々のように光る。ただ、その見た目だけの良さが皮肉のようにも見えてしまって、どうにも悲しくなる。
暇で寄ったといったお菓子教室なんてことももちろん嘘で、本当は今しかないと思って飛び込んだ次第。どうしてそんなことを…… 私にもわからない。
けれど彼女は、日和はそれを悪くないと言ってくれた。お世辞だとしてもそれは嬉しくて、あんな結果でも努力を認めてくれた彼女がやはり好きなんだと、改めて感じさせられた。
その後にふたりで作ったケーキは誕生日に出てくるケーキより特別で、甘くて、美味しくて、幸せだった。
あれは私にとって宝物のようで、保存できないのが本当に残念。そんなことを言ったら日和は笑うだろうか?
宝物はそれだけではなかった。
あの日、あの時の私たちを誰かが一枚に収めていて、ベストショットとはこういうものなのだろいうことを知った。忘れられない私の、いや、私たちの宝物。
「最高の一枚だね」
「えぇ、ちょっと恥ずかしいけどね」
「日和はこの写真、好きかい?」
「うん、大好き。ちょっと恥ずかしいけどね」
照れながら髪を揺らす私の『宝物』と一緒に、思い出が飾られた校内を進む。幸せに包装されているのは紛れもない『私』で、その笑顔を向けられているのも『私』であることを信じて疑わない。保証はどこにもない。けれど、今はそれを信じて歩むことにした。
「ならよかった。それなら私」
――もっとこれが好きになれるかも。この写真も、あなたも。
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