24話 夏虫疑氷

「憂、このままで本当に大丈夫なの?」

「それは進路のこと? それとも……」

「どっちもに決まってるでしょ」

 

 昼休み、窓際で黄昏れていると親みたいなわたしのファミリアが、これから小言を言いますよと言わんばかりの声色で言葉を投げかけた。

 

「夏休みなのに昼休みがあるって、普通に考えたらおかしいわよね」

「進学すればそこには人生の夏休みがあるっていうから、そのための貯金みたいなものでしょ」

 

 褐色の純には夏という言葉がよく似合う。そう連想されることを彼女は嫌っているから、言わないけれど。

 

「本当に休めるのかなぁ」

 

 この教室に居る誰も答えを持っていない問いかけを海風が連れていく。どうせならその前に投げかけられた問いも一緒に持って行ってほしかった。

 突っ伏すようにして窓枠に体を預けて見せても彼女がどこかにいく気配はなく、まるで彼女の周りだけ凪いでいるような、そんなことを思わせられる。

 

「このままじゃ、だめなの?」

 

 顔だけ横に向けて問うてみるとすぐに応えられず、わたしを見つめていないようにも見つめているようにも見える視線が生ぬるい空気を生む。

 端っこではあるが喧噪の中にいるはずのわたしたちなのに、どうしようもないくらいにそこは静かで、穏やかで、ぬるくて、永遠を感じさせられた。

 

「もうあんな憂は見たくないから」

「あらぁ、わたしの心配してくれるの? うれしい」

 

 そうじゃなくて、続く言葉もありそうだったけれど留めた純の視線は完全にわたしから外れ、明後日を見つめながら頭をかいていた。

 

「……このひとたらし」

「ん? ごめん。よく聞こえなかった」

「いいよ、聞こえなくて」

 

 時々、純は聞えないくらいの声で何かを呟くことがある。昔こそしつこく聞いていたものの、そうされるのは嫌と言われた時からは訊いていない。それが大事なことであっても、なくても。

 

「憂がそれで良いならいいけど、小白のためにも巣立ちの準備は早めに済ませておいたほうが良いよ」

「それは……どういうこと?」

 

 巣立ち、という聞きなれない言葉に思わず聞き返す。言葉の意味はわかるけれど、意図がわからない。

 別れの準備、ということだろうか。小白ちゃんのために巣立つのは小白ちゃん自身なのかわたしたちなのかわたし、なのか。それさえもわからなかった。寄り添っているようで他人事のように話すその口調から、とりあえずわたしたちという選択肢に取り消し線を引いてみる。

 

「一緒に生活を送る……家族みたいなものでも、それは永遠じゃない。1年しかないんだ。それにもう夏、もうすぐ半分よ?」

「はやいねぇ。それは生活に彩のある証拠ね」

「そうね、時には考え付かないようなことがおこったりもね。特に今年は」

「怪談が牙を剥くとはね」

 

 ふたりだけの空間だからこそ言葉は選ばない。1年生の間で幽霊がどうという話が話題になったという話はクラスメイトから聞いていたし、それが誰かを傷つけたことも知っている。えぇ、あの時はたいへんだったもの。

 あの時の小白ちゃんは塞ぎ込んでいた。

 救いを求めているようでもあったし、誰にも救われないことを望んでいるようでもあった。1人で居たいけれど独りでは居たくないような、相反する気持ちがあったのだろう。似て非なるものだけどわたしもそのような頃があったから、ついつい気になってしまって、差し出しててを引っ込めようとしていた彼女の手を半ば強引のように掴んことを思い出す。

 それは、わたしに無償の愛を注いでくれた先輩のおかげだったかもしれないし、はたまたいつも傍で優しく包み込んでくれた純のおかげかもしれないし、そのどちらも、かもしれない。

 してもらったことをただしただけ、わたしに慈しみの心があったのだろうか。わたしはわたしという人間をよく知らないけれど、良い人間と呼ばれるような人ではないことは知っていた。自己満足というのが良い着地点ではあると思う。

 

「憂がああしてくれてなかったらまだ塞ぎ込んでただろうなぁ」

「そう? あの子は勝手にひとりで立ち上がれそうだとも思ったけど。理由はどうであれ、1年生の子が解決させたんでしょう?」

 

 幽霊事件なんて種も仕掛けもないマジックのようなものを解決させた子がいるらしいとも、聞いたことがある。いや、解決という言葉は似合わない。明確な答えがあるわけではないから丸く収めた、といったほうが近いかもしれない。

 正しいことが正しいとは限らない。正しくなくとも、それを正しいように見せられることができればそれで良い。そこにたどり着いた噂の子はきっと、頭の良い子なんだろう。

 

「あの子はそんなこと思ってなさそうだけど。相当好かれてるじゃん」

「いうほどかしら? あの子が人懐っこいだけでなくて?」

 

 大きくため息をつく純にどうしてよ、と聞いても教えてはくれなかった。

 

「はい、この話もう終わり! ずっと一緒に居ること禁止令でしょ? わたし、もう席行くからね」

 

 窓際の温かさは次第に停滞と淀みを生み出す。裾をつままれながらも歩むことは止めない。

 

「最後にこれだけ聞いてほしい」

 

 さすがにそんなことを言われてしまっては歩みを止めざるを得ない。投げかけた問の意図を教えてくれるのだろうか。

 

「巣立ちをするのは小白だけじゃなくて、憂もなんだからね」

 

 裾から熱が離れていく。

 

「ねぇ、だからそれってどういう……」

 

 喧噪に押しつぶされた言葉は風にさらわれて行き、チャイムの音が鳴り終わるころには跡形もなく消えていた。

 

 

 

 小白は今のファミリアでよかったと思う?

 湯船に身体を沈めてしばらくの至福を謳歌していると、そう問いかけられた。

 

「うん、よかったと思う。相良先輩と出会えたんだし。美咲ちゃんは?」

「う~ん、普通、かなぁ?」

「それ本当に普通なの?」

 

 普通であるのならもう少し普通らしい答え方をしてほしい。どことなく意味ありげな歯切れの悪さは耳の内に嫌な後味を残す。

 数か月で少しずつファミリアの性格が見えてきた気がする。

 美咲ちゃんは快活そうに見えるけど実はけっこう優柔不断で、いつも一歩引いた位置に居るように思える。

 

「先輩もそう思ってくれてるか、ウチちょっと心配だなぁ。特に純さんとか」

「私は純先輩のことも好きだけど、先輩は私のこと、苦手みたい」

「うん、見てればだいたいわかるよ……」

 

 純さんは見た目通りの人だった。さばさばしているというか、しっかりしているというか。お姉さん、というより姉御、と呼んだほうがしっくりくるようなタイプ。なんていうとまた先輩から嫌われてしまいそうだから言わないけど。

 わかることもあれば、わからないこともある。どうして時々先輩は私と距離をとりたがるのか、それだけがわからない。4人の時は全然そんなことはない。ふたりきりの時は会話こそしないけれど、わざわざ距離をおこうとしているようにも見えない。 

 ただ、相良先輩と居る時はなぜか機嫌の悪そうな顔をするし、どことなく口調も強くなるような気がする。

 

「私、何かしちゃったのかなぁ。美咲ちゃん、なにか聞いてたりしない?」

 

 と言うと、彼女は唇をあっちにもこっちにも動かすだけ動かして、言おうとしているようで言わないようにもしているようで、言葉を飲み込もうとも選ぼうともしている様子を見せていた。

 

「心当たり、ある?」

「な、ないと言ったら…… ウソになるのかな」

「教えてほしいなぁ」

 

 あえて困らせるような反応をして見せた。そうすれば教えてくれるとわかっていたし、そうまでしても知っておきたかったから。私のどこに原因があるのかを知らぬままこれ以上離れてしまうと、笑いあうことさえできなくなってしまいそうだと思ったから。

 

「ほら、その……相良さんと小白ってすごく仲が良、良さそうじゃない? それに嫉妬してるのかなぁ……なんて」

 

 嫉妬? 純先輩が?

 思わず聞き返してしまう。ふたりで居る時はそうでなくとも先輩と居る時にだけ不機嫌になるって、そういうことだったの?

 

「でも直接聞いたわけじゃないからね? ウチが見ていてそうなのかなぁって思っただけで」

 

 見ていてわかるのだったらそれだけ露骨だった、ということなんだろうか。当事者の私は全くそれに気づけないでいたというのに。

 

「そろそろ上がろっか」

「あ、私はもうちょっとだけ浸かってく。ありがとね、ふたりで話せてよかった」

 

 のぼせるまではいかずとも少しだけ怠くなってきたけれど、もうすこしここに居て、ひとりで考える時間が欲しかった。

 ひとりの時間なんて就寝時間と一緒に来るものではあるけれど、私は今、この瞬間にひとりで居たかった。今じゃないと、ダメな気がしたから。

 ――週に1回だけで良いので小白とふたりだけでお風呂に入る時間が欲しいです。その、一年生同士でしか話せないこととかも……ありますし。

 数日前に美咲ちゃんの建てたルールにこれほどのありがたみが含まれていたなんて、思っていなかった。

 話したいけど、聞かれたくない人もいる。今のこの会話なんてまさにそう。先輩の前でこんな話をしたらたぶん、もっと口をきいてくれなくなると思う。

 それに、ここでの時間を通してなぜか、美咲ちゃんに一歩近づけたような気もした。それは単にふたりだけで居る時間が増えたからなのか、秘密の共有をしているからなのか、真相はたぶん窓から見える星の向こうにもないだろう。

 結局、私は知った気になっていただけで、全然先輩のことを知らなかった。

 ただ、知ったところで私はどうすべきなのかまでは教えてくれなかったし、聞いても彼女を困らせるだけなのかもしれない。

 無知の知、という言葉を思い出す。知らないことを知ることができた、それだけでも前進できたと捉えたほうが良いのだろうか。

 進んだ先に何があるかわからない。奈落の底につながっているかもしれない。

 ――けど

 

「よしっ」

 

 今は前に進むしかないとそう言い聞かせ、私も遅れて浴場を後にした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る