20話 問7「鶴も人も恩を返すのならば、鶴は人であるか。答えなさい」
たくさんの音が転がっている廊下の雰囲気は、嫌いじゃない。
騒々しい空間にいるのは得意でないけれど、放課直後のあの騒々しさには彩がある。靴の音ひとつとっても同じものはない。放課後、部屋でお茶会があると言っていたあの子の音はいつもより楽しそうに跳ねているし、楽しそうに話してるあの子たちからは小さく小さく、この帰り道がずっと続けばいいのに。なんて、その一歩一歩が名残惜しそうに鳴いているような気がした。
コツコツ。パタパタ。ザワザワ。ぴちゃぴちゃ。……ぴちゃぴちゃ?
いつの間にか降り出していた雨を窓越しに見、梅雨の到来を感じた。
春の雨とは違い肌寒さはないけれど、代わりに身体の内側からも外側からも、潤いとは似て非なる生緩い水気を感じさせられる。制服も今日はなんだか恥ずかしがり屋さんみたいで、私にくっついてばっかりだ。
ピッチピッチちゃっぷちゃっぷランランラン、どこか懐かしい歌を口ずさみながら廊下を進む。行き先は図書室。最近は本にお熱なのだ。
急に文学少女に転向したとか、雨で外に出られなくて暇だからというわけではない。最近は1人で居ることが多くなったために、暇なのだ。
今まで1人で居ることが多かったはずなのに、誰かと居るようになった途端にこれ。贅沢な悩みかもしれない。
収穫祭が刻一刻と近づくにつれ、生徒会も祭事委員も仕事が増えてゆく。イベントの企画やタイムテーブル、各部委員会からの予算申請処理。構想が固まっていくにつれて顔を覗かせてくる問題だってある。
祭事委員が構想を練れば生徒会は実現に向けて動かなければならない。構想を提出し通るまでの間、祭事委員は定例会以外動くことはない。逆に、生徒会はそこから動かなければならないのだ。休みはあるけれど合わない、会えない。すれ違いの日々が続いているのだ。仕方ないとは思うけれど。
同じ部屋で寝食を共にする隣人とは、教室くらいでしか会えないのだ。勿論寝室は同じだけれども、すでに眠っている隣人に声をかけるほどの非常識は持ち合わせていない。
だからこそ、
「とうっ……」
廊下で彼女を見かけると、つい声が出てしまう。一緒にいるのは生徒会の先輩だろうか。
すれ違いざまに彼女がこちらを捉えた気がするけれど、今はお互い知らないふりをして進んでいく。
先輩たちに囲まれて、楽しそうに話す彼女は私にくれた時と同じ笑顔をしていたような気がした。
彼女の笑顔を見ることができたのは久しぶりで、嬉しいはずなのそうではなくて。けれど湧き上がる感情がない訳でもなく、名状し難いソレは胸の棘をもてあそび、私を苛むのだ。
最近のお嬢様は本を読まないのか、今日も図書室は閑古鳥が鳴いていた。
受付で本を返却した私は本の海へと飛び込んだ。明るい読書スペースを抜け薄明かりの蔵書スペースへ。進むにつれて暗くなっていく様はまさに深海で、泳ぐ私は回遊魚のよう。
徐々に濃くなる本の香り思わず高揚し、一歩、また一歩足を進めていった。音楽を保存するみたいに、香りもずっと保存することができたらいいのに。
さて、探してる本はえ、え、え……あ行、本棚の一番上じゃない……
こうなると面倒だ。暗さと目の悪さが相まって、一番上のどの部分に目的の本があるのかわからないし、どうぞ使ってくださいませとばかりに設置された移動式のはしごも、いくら手すりがついていようが片腕の私には一抹の不安がある。
かと言って、見ず知らずの人に頼むというのもなかなかにハードルが高い。
そうするよりだったら他の本で妥協してしまうのが私だ。
「何かお探しの本でも?」
「あっいえその……って、月代さん?」
まるで月明かりに照らされたような白い肌、薄暗い図書室でも透明感を感じさせられる柔らかな髪に、思わず目を引き付けられた。
「
あの頃……幽霊事件の頃にあった危うさはそこにはなく、そよ風に揺れる花のような笑顔の中には雲ひとつなかった。
「それで、借りたいのはどれ?」
いつから私のことを見ていたのか、何も言わずともはしごを移動させ上段まで足を進めてくれていた。
「遠藤周作の沈黙って、そこにあるかしら」
「え、え、え……あった。これだよね。たぶん」
沈黙の文字を確認し、両手で受け取る代わりにありがとうを添えて受け取る。
「月し、小白さんも今日は何か借りに?」
言うと、なぜか明後日の方向を向きながら数秒、言葉を詰まらせた。
「え、あ~……いや。今日は本のために来たんじゃないの」
図書室は本を読むこと以外にやることがあったかしら...…? 風通しが良くて人も適度に少なく照明も薄暗い部屋でやれることといったら――
「お昼寝?」
「ち、違うよ!」
静寂という言葉を体現したような図書室に、今日一番の音が響いた。
私にしか見えない位置からコチラを覗う図書委員に申し訳なさが募り、頭を下げ唇に人差し指を当てながら奥へと足を進める。
もしかして私がうるさくしてるように見られてるのでは? それは……よくない。非常によくない
「倉實さん最近よく本を読んでるじゃない? だからここに来ればもしかして……って」
私が最近本を読んでいることをわざわざ持ってきて、ここに来ればもしかしてなんて、ここに来た目的って……
「私?」
「うん」
「わた、私!?」
今度は私が静寂を切り裂いてしまった。
図書委員さんごめんなさい。わざとではないんです。どうか弁明をさせてください。
受付から除く彼女の視線は一段と鋭いものになっている気がした。見なかったことにしよう。
小白さんを手招きし図書室の奥へ奥へ、具体的には受付からこちらが見えないところまで潜る。
「そっちにも借りたい本、あるの? 倉實さんは読書家なんだね」
えぇ、今日が最後の貸出日になるかもしれないからね。
「それで、私に用って?」
元々小声で話していたつもりだがさらに小さく、彼女にしか聞こえない大きさで話す。
呼応して彼女も顔だけ近づけ、口元に手を添え私にだけ届くような声で話す。いや、囁くと言ったほうが良いだろう。言葉をのせた吐息が髪に触れ、耳元がくすぐったい。
「幽霊事件のときのお礼、まだちゃんと言えてなかったなって。ありがとうが言いたくてきたの」
触れる指と吐息の熱が十分に離れたことを確認してからも、彼女に視線を向けることはできなかった。返す言葉をすぐに見つけられなくて、戸惑いと沈黙だけが横たわっている。
あれは事件でもなんでもなくて、色々の偶然が重なって起こったいわば事故のようなものだ。
私がしたのはその事件を解決したことでも誰かを救ったことでもない。ただそれは事件なんて仰々しいものではなく「そんなもの」であると言っただけだ。
だから私は彼女を救った覚えはない。
言い方は悪いけれど、彼女自信が勝手に救われたという方が正しいだろう。いわれのない礼はむず痒く、なにか悪いことをしてしまったとさえ思わせられる。
「小白さっ――」
「ほんとうに、あのときはありがとう」
お互いがお互いに顔を向けたせいで、半ば見つめ合うような形になってしまった。再び静寂を取り戻した図書室の中で心音はあまりにも大きすぎて、私のものか小白さんのものなのかもわからない。
桜色した彼女の唇に思わず重ねてしまいそうで、慌てて口をつぐみ一歩引いた。
「何か言おうとした?」
「い、いや、なんでもない」
彼女のありがとうを聞いてしまった後で続く言葉なんて今更伝えることもないだろう。ここで何かを並べるよりも「ありがとう」の一言で締めくくる方が、ずっと良い。
「目的の本も見つけられたからそろそろ帰ろうかなぁ。なんて」
「途中まで一緒に帰っていい?」
「えぇ、もちろん」
密会を終え深海から浅瀬へ、いつもの手際で貸し出し処理を済ませ「お願いします」を添えた。
「返却は再来週の火曜日です。それと……」
いつものやり取りで終わるものだと思っていたので、続く言葉を背中越しで受け止めることになってしまった。
「図書室ではお静かにお願いします」
その節は大変ご迷惑をおかけいたしました。ただ、ただ違うんです、お話を聞いてください。
小白さんに袖を引かれ、弁明の気持ちはあれども機会を奪われてしまった。
嵐のようなふたり、と。自分のことながら他人事のように、そう評し図書室を後にした。
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