初夏篇 わたしたちは歩み寄る
偽花風景
14話 問1「以下の選択肢から正しいものを選んで、答えなさい」
小さい頃、行ってしまえばわたしは、典型的な’良い子’でした。母親の言いつけだってしっかり守っていたし、勉強だって、習い事だって、なに1つ手を抜いたものはありませんでしたし、なに1つほかの子に劣るようなことはありませんでした。
わたしはきっと、この世界の主人公なんだろう。そう子供心に思っていたのです。
けれど、出る杭は打たれます。
「みんな」わたしに「完璧」なんていうものは、望んでいませんでした。
「みんな」なかよく1列に、同じ顔して笑っていればよかったのです。
それに気づいた頃には、あれだけ飛び出ていた杭の姿など、どこにもありませんでした。
この時、わたしはこの世界のわき役なんだろうって、そう思ったのです。
結局、わたしは「みんな」の中の1人でしかなくて、クラスメイトAでしかないのです。それが真理で、それが正解でした。
けど、けれども、そんな私を特別に思ってくれる人、そんな人がもしもこの世界にいるのならば、その人の前では特別でありたい。正解ばかり選んできた人生、少しくらい不正解を選んでも、悪くはないでしょう?
これから始まるのは、正解ばかり選んできた子が、解のない問いかけに答える物語。
―偽花風景―
6月に入ったばかりだというのに、日の光は陽光と形容するよりかは熱線と表した方がイメージとしては正解に近い程、容赦なく教室を照り付ける。
放課後の教室が好きだ。程よく静かで、程よくにぎやかで、ひとりになりたいけれど、独りは嫌だ。そんなわがままな願いを叶えてくれるこの場所が、私は好きだ。
部活動が本格的に始まったのか、最近は放課後の教室に残る人はそう多くない。机を合わせ、シャーペン片手に談笑する人。目の前のB5用紙に向かってペンを走らせる人。私みたいに、途方に暮れて消しゴムと遊ぶ人。それくらいだった。
名前だけ書かれたB5用紙から目を逸らすために顔を上げると、黒板に大きく書かれたそれが目に入ってしまった。退路はないと言わんばかりの存在感に、思わずうんざりする。
「選択授業アンケート、本日締め切り」
この学院には美術という科目の授業はない。代わりに、演劇とボールルームダンスの2つに分かれている芸術という授業がある。
演劇はその名前の通りで、希望者達で1つの劇を作り上げるものらしい。一方のボールルームダンスは名前こそ聞いたことなかったが、社交ダンスと言われたら簡単に想像がついた。
そのどちらもが自己表現力を育むために採用されているらしい。私も劇やミュージカルも好きだし、ボールルームダンスだって少しは気になる。けれど
「全学年の前で発表となると、話は変わるわよね……」
夏休み前には納涼祭という体の発表会があるらしく、1年生だけでなく2年生、3年生まで全学年の前で練習の成果を見せなければいけないらしい。
そうすることで生徒たちのモチベーションを上げようとしているのだろうけど、私にとっては正直、ありがた迷惑なものだった。
「……そろそろ決まりそうかい?」
横から見知った声が聞こえてきた。窓から吹き込む風のようにスッと通り抜ける、爽やかな声だ。
「覚悟を?」
「そうじゃなくて……選択科目をだよ」
どちらを選ぶにしても、私にとっては相応の覚悟が必要なのよ。
しかし、実際問題としてここで選ばないという選択肢は存在しない。人前で演じるか、人前で踊るか。どちらがマシかと言われたら後者だが、B5用紙に添えるように書かれている注意書きが私の手を止める。
※ボールルームダンスは原則2人1組の授業形態となっているため、履修希望者はパートナーの名前も書き提出すること。
自然と右半身に目が向いた。
パートナーの手を取ることはできるけど、その体を支えることは決して叶わない。こんな私と踊ってくれる人なんて、どこを探してもいないだろう。
片腕のない生活には慣れてきたけれど、こういった事情でやりたいことを選択できないのは少し悲しい。
(まあ、仕方ないわよね。)
諦めることだけが上手くなってしまっている私を感じ、また悲しくなった。
「私としては、倉實さんとお芝居をやってみたいと思っているんだけどね」
手に伝わるた冷たく滑らかな感触が私を現実へと引き戻した。
横から聞こえていた声はいつの間にか私の真正面へと移動しており、視界の底にはなぜか跪いている東口さんの姿があった。
「お迎えに上がりました。姫、行き先はどちらにいたしましょう?」
そこにいたのは正に王子様だった。整った顔立ち、長いまつ毛、吸い込まれそうなくらいに黒い瞳、たちまちこの教室は劇場へとその姿を変えた気がした。
芝居っ気のかかった彼女の喋り方には素人らしさというものがなく、堂々としたその立ち振る舞いは正に役者そのものだった。
結構うまいじゃん。思わぬところで彼女の意外な一面を見ることができた。
こういう時、お姫様だったらどんな言葉を紡ぐのだろうか。小さいころに読んだ絵本を記憶の引き出しから探そうとするも、どこに入れたかわからない。
こういう時、絵本で読んだお姫様だったら……
「そこにあなたがいるのなら、どこへでも……ップ」
なんだか東口さんと愛の逃避行を繰り広げているみたいで、恥ずかしさのあまり吹き出してしまった。誰の前で演じているわけでもないのに視線を感じてしまう。顔が熱いのは日差しのせいだろうか。
「……2人とも、何やってるの」
若干あきれたような声に振り向くと、声通りの表情を浮かべている多蔦さんと、少し驚いたような表情を浮かべている貴……透子さんがいた。
もしかして今までの下り、見られていたの?
2人の秘め事として墓場まで持って行くつもりだったけど、どうやらここが墓場の
ようらしい。
「あぁ、これから始まる選択授業、どちらにするのかという話をしていたんだ」
「そのお話のどこにあんたが跪く要素があるか説明を頂戴」
「私が王子様。倉實さんがお姫様さ」
更に疑問符を浮かべる多蔦さんに、透子さんは小さく「演劇のことじゃない?」と言う。理解が早くて助かる。
「たしかに、綾乃はお姫様って柄じゃないしね......え? ということは綾乃、選択は
演劇にするの? 私という女の子がいながら?」
時々思うけれど、多蔦さんのこの涸れることなく湧き出る自信の源泉はなんなんだろう。
「性に合わないんだよ。それに、私と日和じゃあ背丈も歩幅も離れすぎてしまっているから、そもそも組めないんじゃないか?」
1番言ってはいけないことを1番言ってはいけない人に言ってしまった気がする。
「言うようになったじゃない。でも、たしかに綾乃だけだとちょこっとだけ難しいかもしれないから、演劇で同じ舞台に立ってあげる。主役を張ったことがあるのよ? しゅ・や・く」
元気な声とともに勢いよく手を挙げる小さい多蔦さんの姿が容易に想像出来た。あれだけ自信満々に手を挙げられたら、先生も選ばない訳にはいかないわよね……
結局のところ選択授業は演劇でいつもの4人で落ち着くのだろうか。なんだか、仲良し4人組みたいでこれからの授業が楽しみだ。
「礼さんも選択は演劇にするの?」
「するというかは、そうせざる負えないというか……」
「? そ、そう……」
少し遠慮気味に聞いてきた透子さんの右手には、私と同じB5用紙が握られている。うっすらとボールルームダンスにマルが付けられているように見えた。
「きす、透子さんはもう決めたの?」
「実はそのことなんだけど…… わたし、礼さんとボールルームダンスをやりたいなぁって」
「え? わた……」
「いえ、ごめんなさい。礼さんは演劇の方が好きなのよね。私も鞍替えしちゃおうかしら? 」
消しゴム、借りるね? と言い彼女は、そのままB5用紙に付けたマルを消そうとしている。
違う。そうじゃない。
「私でも……いいの?」
「え?」
消しゴムを動かしていた手を止め、今度は彼女が私に聞き返した。
「透子さんの手をただ取ることしかできない。そんな私でも、透子さんはいいの?」
卑怯な問いかけかもしれない。断るか、受け入れるか。選択する権利を透子さんに押しつけただけじゃない。どちらを選んでもその先にあるのは、後味の悪い結果だろうから。
「わたしが、わたしが礼さんを支えるわ。これまでみたいに、これからも」
「……そっか」
それが透子さんの選択なら、私もそれに応えたい。
「私、透子さんとボールルームダンスをすることにするわ。東口さん、せっかく私とお芝居をしたいって言ってくれていたのに、ごめんなさい」
筆箱から2人分のシャーペンを取り出し、1つを透子さんに渡してからB5用紙にマルを付けた。その下には、添えるように書いた貴澄透子という字。
「……フラれちゃったな」
声色に暗い感情は見えなかった。
「まあ、あたしと綾乃の舞台、楽しみにしててよね。……それにしても、ふたりっていっつも名前で呼び合ってたっけ? いつの間に仲良くなったの?」
「まあ、先日いろいろありまして……」
「それよりも、早く提出しに行きましょう? モニカ先生も待ちくたびれているでしょうし」
待ちくたびれさせてたのは主に私のせいなんだけどね。
礼さんも、ほら。
差し伸べられた手を取り、鞄と消しゴムだけを残して教室を後にした。
差し伸べられた手を、初めて受け止められた気がする。
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