16話 問3「背中を刺された時の適切な対処法を述べなさい(ただし、それは致命的な一撃とする)」

 放課後。日直の仕事を終えたころには既にいつもの喧噪はなく、廊下には静けさと陽だまりだけが転がっていた。けれど、今日は委員会の会合が控えている為、その静けさをかき消すようにして足を進める。

 日誌を提出し誰も居ないはずの教室に向かうと、窓際の席には頬杖をつきながら時折、危なっかしく船を漕ぐ彼女らしからぬ姿があった。

 降り注ぐ日差しの暑さも、吹き込む風が中和してくれているお陰で午睡には絶好のスポットになっていた。日差しにそっと毛布を添えられ風に優しく髪を撫でられてしまえば、その誘惑に打ち勝てる子なんて居ないかもしれない。

 このまま眠たそうな姿を見ていたかったけれど、今日はそうもいかない。少しだけでいいから時計の針を止めてみたかった。


「ほら、早く行きましょう? 私はあらかじめ遅れるって言ってるけど、あなた何も言ってないじゃない。ねぇ東口さん、聞いてる?」

「ん、んぅ?…… あ、あぁ、そうだったね」


 眠たそうな瞳を半分だけ開き、数秒まどろみと対峙したところで彼女は重たそうにその頭を上げた。


「さ、行こうか」


 立ち上がった時は既に、いつも通りの東口さんの姿がそこにあった。


「どうせいつもの会議室だろうし、私を待つ必要なんてないじゃない」

「ただ座ってお話を聞くだけなんだ、私なら数分で眠ってしまうよ。叩き起こされて叱られるよりだったら遅刻して怒られる方がまだいいさ。寝溜めもできるしね」


 扉の横で待つ東口さんを見、私も呆れながら外に足を向けて歩き出した。

 私、やっぱり東口さんのことがよくわからない。

 


 会議室に入ると既に、紛糾した議論が繰り広げられていた。既に帰りたい。


「だからそれは秋の文化祭で実施した方が…… あ、倉實さんと……東口さん?」


 私達が入ってきたことで会議室は一瞬、静寂に包まれた。良いところだったのにと言いたげな視線と、良いところに来てくれたと言わんばかりの視線の板挟みに、広い会議室なのに言い知れぬ窮屈感に襲われた。


「すみません。日直のお仕事が長引いてしまって……」


 誰に咎められたわけでもないけれど、自然と語気は弱くなり逃げるようにして空いてる席に腰かけた。東口さんも私に続いて空いた席に腰掛ける。私に乗じてサラッと回避したわね。傍にいた先輩から暖かい紅茶をいただいたけど、少なくとも今は喉を通る気がしない。

 黒板を見るに、今日の議題は8月中旬に行われる収穫祭内でのイベントについてだった。

 この学院の裏手、園芸部の温室のあるところの先にはこの学院が運営している大きな畑がある。

 そこにはキャベツやトマト、トウモロコシにワイン用のブドウなど、多くは8月に収穫が行われるものが多く植えられているため、その時期に合わせて収穫祭が行われるらしい。

 収穫祭は祭事委員と教員主導のもと行われるもので、全校生徒で収穫をしたその次の日の夜に盛大に行われる。夏休み前最後の一大イベントとされている……らしい。

 娯楽の少ないこの学院にとって数少ないイベントだから、こうして祭事委員の先輩方も特別熱が入っている。


「そうそう、ちょうど1年生の子達に聞きたかったことがあるんだけど……」


 私達2人を見て言う先輩に、続きを促すように疑問符を浮かべていると


「丁度今頃、1年生は選択授業が始まったころでしょう? そこでなんだけど、成果発表のような形で演劇とボールルームダンスの披露があれば、もっと収穫祭が盛り上がるのではないかしらっていうお話をしていたの」

「……はい?」


 待ってほしい。言葉は確かに耳に入ったけれど、頭がそれを理解しようとしてくれない。

 発表? 発表と言ったわよね? この人は。

 昨日の授業が脳裏によぎる。盛大に身体を打ち付けた記憶が新しい。できればこのまま記憶の引き出しの奥で眠っていてほしかった。

 簡単なステップもろくにできないくせに、2か月後には全校生徒の前で発表? 先輩たちの考えに決して悪意があるとは言わない。けど、けれど、その提案は学院に入って以来最悪のものだと思う。


「先生方は賛成してくれたの。それでね? 実際に主役の1年生の子達の意見を聞かせてほしいの」


 前門の虎、後門の狼とはまさにこの提案のことを指しているのかもしれない。

 私達に意見を聞いてくれるのは大変うれしい、まだその提案を辞退できる道を示してくれているからだ。

 けれど、先生方は賛成している。先輩が作ってくれた退路が先輩のその言葉によって完全に断たれてしまった。


「え、えと…… 少しだけ考える時間をもらってもいいですか? 私達2人に命運がかかっていると考えると、気が重くて……」

「……聞いた身で悪いのけど、そんなに重いものなの?」


 重いです。

 2か月しかない練習時間で、人前に出られるようなものが作れる気がしなかった。ただでさえ人の前に出ると緊張してしまうのに……。

 先輩から受けた視線を受け流すように東口さんの方を向くと、顎に手を当てて悩んでいる様子だった。さすがに昔から演劇をやってきた東口さんでも、2か月という時間は短いと感じているのだろうか。

 視線を向けられていることに気付いた東口さんは、顎に添えていた手をどけて小さく口を開いた。


「別に、私はいいと思いますけどね。成果発表」


 なぜそうなるの!? 


「発表の機会があると生徒ひとりひとりのモチベーションにもなるだろうし、ひとつの大きな目標に向かうことで1年生間にもより強い繋がりが生まれそうな気がします。それに、私も倉實さんの踊りを1回見てみたいと思っていましたし」


 それに、なんて付け足すように言ってるけど確実にそこが目的であり本命であることは、火を見るより明らかだった。

 先輩もまさか前向きな応えをもらえるとは思っていなかったのか、一瞬固まった後に、その顔に花が咲くようにして笑顔をつくった。


「そ、そう! 東口さんは前向きに考えてくれているのね! それでは…… この件はいったん保留にして、次の会合までに2人の意見をまとめてもらえないかしら?」

「わかりました」

「それじゃあ今回の会合はこれくらいにして、また来週のこの時間に開きたいと思います。今年の収穫祭は去年とはまた違った楽しさがありそうで、今から楽しみだわ」


 途端に会議室に張られていた緊張の糸が切れる思いがした。話し終えた東口さんを見ると、どこか満足げな表情を浮かべていた。まさか「どう理由をつけて断ろうか」ではなく、「どの選択が1番楽しそうか」ということを考えていたの?


「東口さん、本気なの?」


 思わず彼女にしか聞こえないくらいの声で聞いてしまった。


「そっちもそっちで楽しそうな話を聞いているしね。私は至って本気だよ」


 ぬるくなった紅茶に口をつけても、少しも体は暖まる気配を見せない。まさか東口さんに背中を刺されるとは思わなかった。

 


「そもそも、さっきはなんであんなこと言ってしまったのよ」

「単純に倉實さんたちの踊りを見てみたかったからだよ」

「言いたくないけど、ろくにステップも踏めないのよ?」

「知ってる。倉實さんが透子に気を取られて足を絡めてしまったこともね」


 思わず自分で自分の脚を絡めてしまうところだった。

 なぜ授業中に転んだことを東口さんが知っているの? それに、透子さんに気を取られてっていう尾ひれは何……?


「いくつか聞きたいことがあるのだけど、その前に誤解だけ解いておくわね。気を取られて転んだんじゃなくて、気にしないようにしていたら転んでしまったの」 

「それ、否定するほどの違いなのかい?」

「余計な誤解を生まない為よ」


 パートナーに見惚れて転んでしまったなんて、まるで私が透子さんに気があるみたいじゃない。

 それよりも、だ。このことはボールルームダンス選択の子しか知らないはずだけど……


「ねえ、そういえばその話って……誰から聞いたの」

「月代さんだけど」


 お元気そうでなによりです。

 先日の1件以降、月代さんはまるで憑き物が落ちたようにその快活さを取り戻していた。幽霊事件だけに。

 クラスの子達とも仲良く打ち解けているみたいでうれしいにはうれしいけど……


「……どうしてそういう話になったのよ」

「今日はたまたま昼食の席が近かったんだ。そこで丁度選択授業の話になってね。そちらの様子が気になって聞いてみたら、という次第」


 要するに事故だよ。事故。そう話す東口さんはどこか楽しそうだった。

 対岸の火事だと思って…… 話半分に聞かれて誤解されては堪ったものじゃないわよ。

 意を決して、そんな仰々しいものではないけれど、東口さんに顔を向けると同時に、廊下の開かれた窓からは海風が舞い込み、小さく髪を揺らした。

 くすぐったそうにして小さく微笑む姿は、普段から大人びて見える東口さんからは想像のできない無邪気さを孕んでいるようだった。海風は笑顔を運んできてくれたのかもしれない。

 まあ、また今度でもいいわよね。そんなことを思ってしまったけれど、決してどうでもいいことではなかった。

 靴棚に靴をしまい寮に入ると、別れ際に差し込む前に私は口を開かざるを得なかった。


「わ、私、本当に透子さんに気を取られたわけじゃないからね。そ、それだけは勘違いしないでね」

「大丈夫大丈夫。この話は私しか聞いてないし、広げるようなマネもしないから」


 私の言いたいこと、ちゃんと伝わったかしら。恥ずかしくて建前としていった嘘、とかではないのだけど……

 小さく手を振りながら離れていく東口さんの背中に、声をかける元気はなかった。

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